1月28日

クリスタルキング「大都会」もう二度と再現できないあのツインヴォーカル

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クリスタルキングのシングル「大都会」がオリコンチャートで1位を記録した日
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1980年2月度オリコンシングルチャート第1位


It was 40 Years Ago Today.
今から40年前の1980年(昭和55年)2月、前年11月21日にリリースされたクリスタルキングのデビューシングル「大都会」はオリコン1位を快走していた。1月28日付でトップに上り、3月3日付まで6週連続1位。2月には4週全て1位で、月間1位も獲得している。

この曲が世に出たきっかけ、並びにタイトルの “大都会” がどこなのかは、リマインダーに既にある記事を参考にして頂きたい(※1)。ちなみにこの曲名は、本当に当時放送されていたドラマ『大都会PARTⅢ』から付けられたことだけは補足しておきたい。

僕がこれから書きたいことはただ一点である。「大都会」のあのツインヴォーカルは、もう決して再現されることは無い。

8年前「探偵!ナイトスクープ」に田中昌之とムッシュ吉崎が出演


同業ながら僕が最もリスペクトする番組が、関西ロケ時現地のカメラクルーに奨められて以来かれこれ27年以上観ている朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』である。昨年末探偵局長が二代目の西田敏行から三代目の松本人志に交代した。関東では数週遅れで観られるのだが、西田局長時代の2012年1月20日に関西で放送された「“大都会” を披露したい!!」という依頼も白眉であった。

兵庫県の男性(58歳・当時)からの依頼で、クリスタルキング「大都会」でのムッシュ吉崎と田中雅之(現:昌之)のツインヴォーカルにしびれた。10数年前、このまま仕事人間で終わってしまってはいけないと一念発起。田中さんのハイトーンヴォイスを目指し我流で毎日トレーニングし、ようやく歌えるようになってきた。しかし一人で歌ってきたので一緒に歌える人がいない。吉崎さん役の人と歌いたい、という内容だった。

VTR では依頼者がまず鍛えた歌声を披露。さらに上達するようにと、ある人物の元に連れていかれる。その人こそ田中雅之であった。思わず腰を抜かす依頼者。彼は本物の前でも歌うが、やはり VTR 冒頭の時ほど上手く歌えない。田中は的確なアドヴァイスを与えていく。お腹か腰に力を入れて、といった指導だったと記憶している。

田中のアドヴァイスも参考に依頼者はさらに特訓を重ねる。そしてツインヴォーカル披露当日。共に歌うべく彼の前に現れたのは、もうお分かりであろう、ムッシュ吉崎その人だったのだ。

緊張した依頼者はさらに高音が出なくなり、まさに視聴者の泣き笑いの中で大団円を迎える。吉崎もその健闘を讃えていた。

涙あり笑いあり、まさに『探偵!ナイトスクープ』の真骨頂だった。現時点でどこでも観ることが出来ないのが残念でならない。僕にとっても久し振りに観たクリスタルキングの近況であった。が、このVTR、明らかに不自然な点も幾つかあった。

まず、田中と吉崎が同じ画面に登場することはついに無かった。そして田中の登場時のテロップは名前だけだった。これに対し吉崎が登場した時は “クリスタルキングのボーカル” と肩書がついていた。そう、この時点で田中は既にクリスタルキングのメンバーではなかったのである。そして何よりも、田中は依頼者の前で「大都会」を歌うことが無かったのだ。

1986年、田中昌之はクリスタルキング脱退


「大都会」の次のシングル「蜃気楼」(1980年4月5日リリース)もオリコン最高2位の大ヒットとなり、その後もテレビアニメ『北斗の拳』の主題歌「愛を取りもどせ」(1984年10月5日リリース)がスマッシュヒットとなったクリスタルキングだが、1983年にドラマーが、1986年に田中、山下三智夫(ギター。ヒット曲全てを作曲)、ベーシストら3名が脱退している。

田中はソロ活動を始めたが上手くいかず、2年後の1988年に九州に戻る。“大都会” 博多のホストクラブで食べるために歌う日々。“都落ち” “成れの果て” という言葉も浴びた。そして翌年、田中は運命が大きく変わる事故に見舞われるのである。

1989年、脱退後の田中昌之を襲った不幸な事故


1989年(平成元年)6月、田中は、福岡空港近くの野球場で草野球をしていた時、イレギュラーのボールを喉に受けてしまう。その結果、あのハイトーンヴォイスが出なくなってしまったのだ。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントに憧れ目指したあの高音が。

全国の病院を回ったが異常は認められず、“心療療法” にも多額のお金をつぎ込むが高音は戻らなかった。歌っていたホストクラブも解雇され、田中はこの時期死ぬことしか考えていなかったことを認めている。

クリスタルキングの元ドラマー、金福健(故人)の助力で田中は再びステージに立つ。そして友人である福岡ダイエーホークス(当時)の若井基安の「投手もいつまでも速球(高音)には頼れない。変化球(技巧)で勝負するようスタイルを変えられるやつが花開くのだ。あなたもその時期に来ているのではないか」という言葉に背中を押され、田中は技巧派の歌手にスタイルを変え歌い始めた。

こうして再び上京した田中は1995年(平成7年)10月にクリスタルキングに再加入するのだった。

1995年、田中昌之の再加入。しかし、求められたものは…


しかし田中を待っていたのは厳しい現実だった。求められたのは新しい歌唱法で歌うことではなく、オリジナルキーでの「大都会」だった。

その結果、キーを下げた伴奏と共に田中が歌い、機械的にそのキーをオリジナルまで上げて、口パクで歌うという方法が採られた。実際にはどうしても歌声が不自然になってしまうので、厚いコーラスが被せられた。

この時期のクリスタルキングの映像はネットで観ることが出来るが、僕はとてもではないが紹介する気にはなれない。田中が屈辱を抱きつつ加工に応じたその歌声は、コーラスにかき消されてよく聞こえないのだ。

1997年(平成9年)12月、田中は再びクリスタルキングを脱退した。

1997年、再び田中脱退… そして転機となった缶コーヒーのCM


翌1998年(平成10年)、田中はポッカ缶コーヒーの“クリスタルブラック”のCMに起用された。「大都会」のイントロと共に田中が登場するこのCMは、僕がネットで確認出来た限り4種類あった。

1. 恐らくはオリジナルと思われる「大都会」の冒頭の “あー” だけがリピートで流れる
2. 八景島シーパラダイスのフリーフォールでイントロが流れる中上昇する田中。歌い始めようとする瞬間落ち始め、叫ぶ中終わる
3. イントロが終わり歌い始めようとする瞬間、天童よしみがマイクを奪い「川の流れのように」を歌い始める。田中は体育座りをして不貞腐れる
4. 幾つもの目覚まし時計の田中が “あー” を歌う。その中に本物の田中も交ざっていて “あー” を歌う

このCMの時、既に田中は高音を失って久しかった。2と4では(2は叫び声?)生の歌声を披露していたようだが、キーは下げられていた。しかしこのCMがきっかけとなり、田中の技巧派の歌手としての活動もようやく軌道に乗ったそうだ。

二度と再現できないツインヴォーカル、それでも田中は唄い続ける


2012年『探偵!ナイトスクープ』を観た後、僕は横浜のライヴハウス、FRIDAY に足を運んだ。この由緒あるライヴハウスでクリスタルキングが定期的にライヴを行っている。2002年以降クリスタルキングはムッシュ吉崎一人のユニットとなっていた。

ライヴを観て驚いた。吉崎はお馴染みの自分の低い声のパートに加え、何と田中のパートもオリジナルキーで歌っていた。まさに “ひとりクリスタルキング”。一人で看板を背負う責任感は確かに伝わって来た。

しかし言わずもがなだが、この “ひとりクリスタルキング” はハモることは決して無い。「大都会」のあのツインヴォーカルは、もう決して再現出来ないのだ。悲しむことはない。あの歴史的とも言えるツインヴォーカルにはレコード、CD、そして配信でいつでも出会うことが出来る。僕らはそこで永遠を味わえばいいのだ。AIの出番もここには無い。

ムッシュ吉崎の低いパートは健在で、歳月を重ねた分滋味を増している。オリジナルを愛した人には一見の価値が十分にあるだろう。

そして僕は、田中昌之が技巧派の歌手として今どのように歌っているのか、一度この目で観なくてはと思っている。田中もツイッターの自己紹介でこう言っている。

“魂の詩を唄い続けてます。俺のLIVEに来れば解ります。”


※1:
ツインボーカルが衝撃的だったクリキンの『大都会』は福岡なんだって!
クリエーション「ロンリー・ハート」僕のレコード人生はここから始まった


2020.02.11
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  YouTube / nv850hd3
 

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うり坊
「蜃気楼」の方をカラオケでは歌ってたなぁ、「大都会」はあまりにベタすぎて・・。それにしてもこの大袈裟なイントロ(歌謡曲的な曲調とあまり関係ないプログレハード風)はまさにポプコンが生み出した「派手なのが目立つ」路線の象徴。確か本人たちもインタビューでそんなことを言ってた記憶が。良くも悪くもこれがポプコンであり世界歌謡祭。
2020/02/12 15:05
1
返信
カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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