時に「後追い」であることが幸いすることもある。「同時代的」には認められないような作品も、前後の経緯を知ることができると、納得して聴くことができる。そのバンドが、解散した伝説的なバンドであったら尚更のことだ。僕にとって、キース・ムーン亡き後、ケニー・ジョーンズを迎えた新生ザ・フーの諸作品がそうだった。
14歳の鼻持ちならない僕は当時、70’sブリティシュハードロックを手当たり次第聴いていた。手初めはレッド・ツェッペリンだった。しかし、まだ僕にとって彼らの、ブルースとトラッドフォークを基調とした音楽を理解するには若すぎた。そして僕は、ブルース色の薄いハードロックの雄、ザ・フーの虜となった。
71年の『フーズ・ネクスト』は僕のバイブルだ。その透明感があるハードロックに惚れ込んだ。アルバムを買い込んだ僕は、彼らの初期作からブリティシュビートの素晴らしさに惚れ込み、いつの間にかモッズを自称し横須賀へモッズコートを買いに行き…… 沼にズッポリ埋まってしまったわけだ。
その時僕は中学二年生で、「ザ・フーが!」「キース・ムーンが!」といっても同級生に苦笑いされる始末。掃除の時間に、箒を片手にピート・タウンゼントの扇風機奏法の真似をして教師に殴られたり、休み時間には「キース・ムーンの真似!」などといって、机をバタバタ叩いていた。同級生には「また発作が始まった」と笑われ、今で言う「滑り芸」を発揮していたわけだ。
さて、ケニー在籍時のザ・フーの「同時代的」評価は、そんな僕にとってはどうでもよかった。同世代で追いかけていたファンならともかく、彼らの通史を知ることのできた僕は、フラットに彼らの音楽を聴くことができた。
一般的には評価の低い、ケニーを迎えた最後のスタジオアルバム『イッツ・ハード』も、ポップで大好きだ。そして中学生だった僕が、英単語を覚える時のテーマ曲に、泣きのギターから入るタイトルソング「イッツ・ハード」が最適だった。そして今でも、ハードな案件に直面すると、このイントロが頭を流れるのだ。
2017.01.11
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