矢野利裕さんの『コミックソングがJ-POP を作った―― 軽薄の音楽史』(P-VINE)という本が最近リリースされて、幸運にも版元より賜ったのだけれど、これがノヴェルティ(新奇・滑稽)という視点から日本音楽史を捉えなおした、あるようでなかった名著。ノヴェルティとは和製英語のコミックソングにあたるもので、いわゆる「企画もの」とか軽薄なニュアンスが強い。しかしそこを主軸に据えようという逆転の発想なわけだ。
川上音二郎の “オッペケペー” というフレーズや添田知道「東京節」の “ラメチャンたらギッチョンチョンのパイノパイノパイ” といった言葉とモノが分離した超ナンセンス言語の話に始まり、あきれたぼういずのジャズから軍歌から浪曲から何から何まで DJ 感覚にぶちこむ作曲センスにも触れつつ、トニー谷のショーゲキの日英混淆語「トニングリッシュ」を経由して、いとうせいこう や、スチャダラパーといった日本語ヒップホップ黎明期まで至る〈珍奇・滑稽なもの〉の百科全書という感じ。
でも、その珍奇さ(ノヴェルティ)が決して傍流などではなく、むしろ本流であったことが読み終えるころには分かるからすごい歴史書だ。矢野さんはノヴェルティをして以下のように語っている。
「大事なことは、新しい音楽は笑いとともにやってくる、ということだ。聴衆の目(耳)を引く新しい音楽は、滑稽さと違和感をはらんでいる。」(45頁)
まったくその通りだと思う。というわけで、リマインダー読者層にとって思い入れも深そうな YMO について考えてみよう。たとえば、スネークマンショーとのコラボで有名なコミックアルバム『増殖』には、ほとんど日本人であることを自虐的にネタにしたものや、音楽批評家の堂々巡りの議論をコケにしたようなコントなどいろいろ挟み込まれてて、明らかにノヴェルティの寄せ集めだ。けれども矢野さんはこういう分かりやすい部分を踏まえながらも、YMO が収まるテクノという「容れもの」自体について、もうちょっと踏みこんだ議論をしている。
「ディスコ / テクノという容れものは強い。なにかしらの企画を四つ打ちというフォーマットに放り込めば、すぐノヴェルティソングのようなたたずまいになる。形式が明確なディスコ / テクノは、コミックソングやノヴェルティソングと相性が良いのだ。」(193頁)
少しでも80年代歌謡に親しみのある人なら、四つ打ちのテクノというフォーマットに放り込まれた「企画もの」のあれやこれやのうち、一つや二つすぐに浮かんでくるだろう。それはテクノというニュージャンルが最先端の大量生産ロボットのように「新奇」で「滑稽」なノヴェルティと見做されていたからで、YMO はそれをかなり意識的にやった。
新しい音楽は「笑い」とともにやってくる。川上音二郎のオッペケペー節、添田知道の演歌、トニー谷のマンボ、YMO のテクノ、そして いとうせいこう のヒップホップと、どの時代も最先端音楽は「衝撃 / 笑劇」二重性のもとで受容されたことに変わりはない。洋の東西を超え、フランク・ザッパが自分の前衛音楽を、新奇と滑稽の「畸形見世物」(フリークス)だと言ったのも、やはりノヴェルティ意識なのだろう。本書の海外篇が、切実にまたれる。
2019.06.12
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