アマチュア時代のTUBEも使った町田のスタジオ
TUBEが「シーズン・イン・ザ・サン」の大ヒットを放ったのが1986年。翌年僕は 東京都下、町田にある高校を卒業。そして同級生と新たなバンドを組んだ。
まだSNSはおろか、インターネットなど夢のまた夢という時代。足りないメンバーは、“町田の109” と言われた複合商業施設、「町田ジョルナ」のリアルな伝言板でメン募を行った。
だから練習は、おのずと町田になった。23区内に住んでいた僕は、やっと、遠距離通学から解放される… と思いきや、頻繁に町田のスタジオに通うことになった。
そうしてしばらくすると、このスタジオはアマチュア時代のTUBEが頻繁に使っていたという噂が僕らの耳にも入ってきた。下手くそながらに、心意気でラモーンズやクラッシュのパンクロックを奏でていた僕らにしても、この噂を誇らしく感じた。
当時の町田と言えば、今ほどの隆盛は極めておらず、ヤンキー文化先行の一地方都市に過ぎなかった。ボンタン、中ランなどの改造学生服メーカー、ジョニーケイ、ヤーバン、ビッグ・パーサーなどを取り扱う店が多く、都心ではすでにほとんど見かけなくなったツッパリも健在。そんな印象だ。もちろん、ロック色も皆無だったが、中学、高校と慣れ親しんだこの街が好きだった。
江ノ島までは小田急線で約40分。だが、町田は、おそらく日本の随所で見られる内陸の街と言ってもいいだろう。ここで、サザンオールスターズにも匹敵する日本の夏を代表するバンドがアマチュア時代を過ごしていたのかもしれないのだ。
緻密なマーケティングで生まれたポップス、日本の夏には欠かせないTUBE
サザンオールスターズの奏でる夏は、過ぎ去ることに感傷的になっても、そこに当たり前のように海がある。デビュー曲「勝手にシンドバッド」の歌詞に「江ノ島が見えてきた 俺の家も近い」とあるように。
しかし、TUBEの夏は、この一瞬を逃すな。俺たちの夏を逃すなといった刹那な感情が湧き上がってくる。
これは、後にZARD、WANDS、大黒摩季などをデビューさせ、ビーイングという一大勢力を築いた長門大幸プロデュースという所以かもしれない。ちなみに「シーズン・イン・ザ・サン」の作曲者であり、ビーイング系アーティストにも貢献した織田哲郎は、前年、原宿ロカビリーレジェンド、ブラックキャッツのアルバムプロデュースを行っている。
つまりビーイング系のアーティストは、洋楽志向とはまた違った、日本独自のポップスを定着させたという功績がある。日本人の国民性を背景に、どのようなことを考え、何を求めているのかを緻密にマーケティングした結果生まれたドメスティックなポップスの系譜だ。現在ではメンバーがソングライティングを手掛けるTUBEだが、デビュー当時に確立したスタイルを崩さず、今尚日本の夏には欠かせない存在となっている。
TUBEが確立! サザンオールスターズとは異なる “日本の夏”
Stop the season in the sun
心潤してくれ
いつまでも このままで いたいのさ
Stop the season.
You’re my dream
過ぎないで南風
やるせない想い feel so blue
という歌詞にもあるように、これは、80年代の日本の若者全員が内に秘めた渇望である。まさに俺たちの夏は終わらせてはいけない。海への憧憬も含め、内陸の街ではなおさらである。
そこに青春のすべてがあるかのようにTUBEは歌い、ミリオンセラーを記録した。そしてこの曲は、当時、新宿や渋谷というビルがひしめき合うの都心のど真ん中のディスコでもヘビロテされ、フロアを熱狂させた。海が眼前に当たり前のようにあったサザンオールスターズの無常観とは違った “日本の夏” をTUBEは確立したのだ。
そして、この「シーズン・イン・ザ・サン」から思い出すのが北アイルランド出身のパンクバンド、アンダー・トーンズが奏でる「ヒア・カムズ・ザ・サマー」だ。ラモーンズの疾走感を踏襲し、ポップなメロディの中に切なさが疾走するこの曲は、北アイルランドという “夏が短い地域” に生まれた若者の激情が3分にも満たない曲の中に凝縮されている。“夏の一瞬も逃してはならない” という心意気がリアルに伝わる名曲だ。東京都下、町田の夏、北アイルランドの夏。それぞれ違った風景があるのだろうが、若者の渇望は同じである。
夏を逃すな! という世界共通の心意気でつくられた音楽は多くの人々の心をとらえ、語り継がれていくのである。
歌詞引用:
勝手にシンドバッド / サザンオールスターズ
シーズン・イン・ザ・サン / TUBE※2017年8月21日に掲載された記事をアップデート
2021.04.21