12月

親愛なるクラウス・ノミ、限界を恐れぬアーティスト精神と時代を超えた魅力

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奇天烈なビジュアル、美しすぎるソプラノボイス、存在自体がアーティスト!


みなさんはクラウス・ノミという男を知っているだろうか。ドイツで生まれ育ち、1970年代半ば~83年にかけて、NYアンダーグラウンドのニューウェーヴ(以下、NW)シーンで活躍した男である。

かのデヴィッド・ボウイに見初められ、レコードデビュー前に彼のバックボーカルを務めたこともあった。今ではインターネットが普及したおかげで、知ってる人は知っている。しかしまだまだその存在すら聞いたことのない方も多いこのアーティスト―― いや彼は単に音楽家なわけでなく、その存在自体が文字通り真のアーティストなのだ。

まず、素顔の分からない白塗り厚化粧に、歌舞伎役者ばりのドぎついアイメイク、ラインを大げさに縁取った真っ黒い口唇と、広大なおでこの後ろ側から突き出た三本の角(ジェルで固めたスリーポイントヘアー)。おまけにコスチュームは、全身黒タイツにエナメル製の逆三角形タキシードときている(その他ドレスなどレパートリー多数)。こうした、まるで人間と思えない奇天烈なビジュアルから “宇宙人” と呼ばれた彼だが、オペラと声楽を本格的に学んだ彼の、その美しすぎるソプラノボイスは同時に「天上の歌姫(ディーヴァ)」とも謳われた。

30秒でいいからライヴ映像を観て!クラウス・ノミがわかるから!


こんな簡単な情報だけでもブッ飛びすぎていて、初耳の方にはおそらくその様相すらピンと来てないと思うので、まずは30秒でいいから YouTube などで彼のライヴ映像をご覧いただきたい。30秒もあればヴィジュアルのインパクトと究極のギャップを成す美声、そして何故か理由は分からないが、とにかく観る者の心を捉えて離さない気迫あふれるパフォーマンスに目が釘付けになるはずである。

そのオリジナリティは音源からも堪能できる。変態性抜群で表情豊かな声で歌う、皮肉めいた歌詞(特に自らがゲイであることを自嘲するものが多い)。攻撃性すら感じる、わざとらしいドイツ語訛りの英語。そしてキャッチーなのにどこか一筋縄では行かない音の表現は、思わず笑ってしまうのに決してダサくないギリギリの線を極めたシュールさだ。かと思えば、彼が真剣に歌うオペラのアリアは退廃的な美しさと悲哀に満ち、聴く者の心を強烈な引力で揺さぶってくるのである。

なんだか手放しに褒めちぎっている感があるが、斬新さと人の心を掴むパフォーマンス、という点ではクラウス・ノミほどのアーティストは彼の死後40年弱が経った今も現れていないのではなかろうか。

時代の先を走り続けた男、ニューウェーヴとノミの奇跡的な出会い


幼少期からマリア・カラスに憧れ、同時にエルヴィス・プレスリーを愛したこの男は、後に NW という、“変わったヤツ” であるほど歓迎されたムーヴメントと奇跡的な出会いを果たした。おそらく NW が無ければノミがこの世に紹介されることも無かっただろう。なにせ彼は、通常なら地球の人間では到底理解できないほど、時代の何十年も先を走り続けた男なのだから。

白塗りメイクで自らの人間性を抹消し、その存在をもひとつのアート作品たらしめたこの聖なる異形の男は、ロックやパンク、さらにはテクノなどといった音楽ジャンルと、当時は錆びれた古典とみなされていたオペラを融合することに挑み続けた唯一のアーティストであった。

同時代にオペラ的歌唱法を取り入れたアーティストは他にニナ・ハーゲンなどがいたが、古典的形式美としてオペラを主軸とし、それを新しい音楽に落とし込むという試みはノミ以外に類を見なかった。NW の時流に乗り、古典音楽… いや現代音楽の常識すらもひっくり返したクラウス・ノミという存在こそ、真の意味での NW であり、NW の証人だったのではないかと思う。

ゲイリー・ニューマン、レディ・ガガ、マリリン・マンソンにも影響を与えた世界観


1981年ごろ、アメリカの TV番組に出演したノミは、アナウンサーから「人はあなたを、NW を超えたフューチャーリスト、言うなればフューチャー・ウェーヴではないかと言っている」と言われたノミはニコニコしながらこう答えていた。

「いや、むしろ僕はナウ(NOW)・ウェーヴと呼んでいる。人々はみな新しい時代が来るのを待っている。けど未来は今この瞬間から変えられるんだよ。未来は今なんだ」

ノミの、我こそが時代の先駆者であらんとする姿勢が感じられる大好きな言葉だ。

ハッタリなアーティストが多かったことも否めない NW というムーヴメントの中で、ノミもそんな一人だという評論家もいるが、私は決してそうは思わない。確かにアメリカンドリームを強く夢見ていたには違いないだろう。しかし彼は単にオペラを愛し、親しみやすいポップスなどといった枠組みの中でオペラを蘇らせることに力を注いだ。

と同時に、その奇抜な自己演出の手法・アートな舞台芸術は、虚構と現実の垣根を大胆に取り壊し、徹底して観客を非現実の世界へと誘うものであった。彼はスッピンなら実に美しい顔をしている。しかし、この奇才、そんなもので勝負を賭ける男ではない。そのリアリティすらも白塗りで潰し、“クラウス・ノミ” という異形を演じきっていたのだ。

そして、そんな彼のパフォーマンスやファッションといった世界観は時代を超え、ゲイリー・ニューマンやレディ・ガガ、マリリン・マンソンといったアーティストたちが多大な影響を受けており、フォロワーは枚挙に暇がない。

レコードデビューから2年後… AIDSで亡くなった最初の著名人


しかし彼は81年のレコードデビューからたった2年後の1983年8月6日、AIDS による合併症で死んでしまった。彼以前にもパトリック・カウリー(ハイエナジーの元祖的存在の名プロデューサー)などといったアーティストが AIDS で世を去っているが、スターとしてはノミが初めてだったようで、最初に報道された著名人であったようだ。今後の大規模なツアーを企画し、局地的ブームからメジャーでの全米進出を狙っていた時であった。

当時、AIDS と言えば誹謗中傷に晒され、医者も手の施しようが無かったよく分からない奇病。死に方さえも時代を先走り過ぎたノミらしい「非業の死」だとか、その “死” ばかりが語られがちなところを見ると非常に切なく思う。

確かにこの残酷な宿命は、どうしてこんな稀有な才能を連れ去ってしまったのか… と思うと悔しくて腹が立つ。しかしそれは、ノミ自身の意に反するところであって、ノミの演出したものではない。だって彼は確実にもっと歌いたかっただろうし、もっと新しい芸術に挑みたかったはずなのである… それは彼の死後、なんと2007年に発売されたアルバム『Za Bakdaz:Unfinished Opera』の実験ぶりを聴いても明らかであった。これはノミが生前、最後に取り組んでいた曲のコレクションだ。

それ以前に、彼はセカンドアルバム『シンプル・マン』(1982)収録のヘンリー・パーセルの歌曲「デス」の中で、ノミらしくない悲痛なソプラノで繰り返しこう歌っていたのだ。

 Remember me!
 Remember me!
 But aaah!
 Forget my fate

 私を忘れないで
 私のことを忘れないでおくれ
 だけど ああ!
 私の辿った運命は忘れてくれ

真のニューウェーヴ、存在そのものがニューウェーヴ


彼が自分の死を悟ってか、皮肉なタイミングでこの曲を取り上げたのかは定かではないが、緊急入院ギリギリまでパフォーマンスを続けた彼なら確かにこう願ったんじゃないかと私は思うのだ。だから私は彼の死に関しては書きたくはない。

ただその “死” について一つだけ思うことがある。先に、クラウス・ノミという存在は NW そのものだと書いたが、彼がやってみせた業はまさに狂騒の時代、NW を象徴するものであった。そして NW という現象は1970年代末~80年代初頭に隆盛を極め、ノミが死んだ83年はそのフォロワーたちがビジネス的に量産され始めた年であったのだ。

つまりその頃にはもう、NW は終焉を迎えていた。アーティストとして短命に終わったノミであったが、その活動期は NW と時を同じくし、そして最後は共に去っていったのではないかと。

時代を越えて広げたい!クラウス・ノミが示した限界を恐れぬ勇気


ところで、私はこのコラムで度々、平成生まれを悔しがっているけれど、そのどれを差し引いても、ノミのパフォーマンスをリアルタイムで見てみたかった… いや、そこまで望まなくても、せめてイシバシ楽器新宿店の巨大な広告塔になった彼の顔くらいはこの目で見ておきたかった。というのも、これほどの異形が実在したのかどうかさえ、時々私にはあやふやに思えるからだ。

しかし一つだけ確実に言えるのは、クラウス・ノミはこれからもなお、聴く者の心の中で生き続けるのだ。今もこうしている間に、少しずづではあるが彼を知る人は増えていき、好きか嫌いかは別として強烈なインパクトを与え続け、中には感動を覚える人もいるだろう。現代を生きる私たちにできるのは、彼の音楽を聴き、パフォーマンスを観て、クラウス・ノミという時代を超えた魅力を持ったこのカウンターテナーを広めていくことだと思う。

ノミの再評価に繋がった2003年のドキュメンタリー映画『ノミ・ソング』のラストでは、パンクのパイオニア、リチャード・ヘルの名言が引用されている。

 NWの究極の格言
 勇気があれば違う自分になれるし、
 ヒーローにだってなれる

素敵な引用だ。私が初めてクラウス・ノミを見たときに感じた印象は、この人は革命を起こそうとしたんじゃないか、ということだった。志半ばで亡くなってしまったかもしれないが、奇抜に徹し続け、自分の持てる表現すべてをもって新しいことに挑戦する姿勢は、限界を恐れぬ “勇気”、すなわちアーティスト精神を我々に示してくれたのだ。それにあの、歌いながらせわしなく動くギョロっとした目力にはいつも、プライドとか童心とか絶望とか色々湛えた先にある、人間臭い活力を感じてしまう。人間性を排除した白塗り顔なのに、その目は多くを物語る… やはり面白い男である。

今日はノミの76回目の誕生日。これを機にただ一言、彼がいてくれたことにお礼を言いたい。ありがとう、クラウス・ノミ。

2020.01.24
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