ファンタジックな松田聖子「時間の国のアリス」
2019年の『NHK紅白歌合戦』。時計の針が2020年へと進む40分ほど前、2020年にデビュー40周年を迎える松田聖子は80年代前半の大ヒット曲を4曲メドレーで披露した。このステージで最初に歌ったのが「時間の国のアリス」だった。
ハーフアップの巻き髪に、フリルとレースとリボンのあしらわれたごくごく淡いピンクのロングドレスで歌い踊る大人の “聖子ちゃん” は、ずっと憧れの “永遠の少女”。童話の世界から抜け出した “Fairy Girl” を永遠に演じられるファンタジックな歌があって良かったとわたしは思っている。松田聖子自身も「個人的にすごく好きな曲です」とCD『Best of Best 27』の解説で語っている。
編曲は大村雅朗、裏の主役はギタリスト松原正樹
松田聖子の作品で、松任谷由実(作曲者としての名義は呉田軽穂)作曲といえば、編曲はマンタさんこと松任谷正隆… というのが通例だが、「時間の国のアリス」はそのセオリーから外れる珍しいパターン(他に「レモネードの夏」が新川博の編曲)。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:大村雅朗。松任谷正隆と同学年の大村雅朗は、ユーミンによる付点音符やシンコペーションが目立つメロディに、イントロから曲の終わりまで松原正樹のギターが目立つアレンジを施した。裏の主役はギタリスト松原正樹、言ってみれば “松田聖子フィーチャリング松原正樹” といったところか。
書籍『作編曲家大村雅朗の軌跡1951-1997』によると、
「大村雅朗の編曲作品のギターについては、大村雅朗の書き譜ではなく松原秀樹が繰り出したギターのフレーズを大村雅朗が採用したと推測される」
… とある。真相は如何に。結果としてこの曲のオケは、ユーミンが書いたメロディに松本隆が載せた大人の童話に、絶妙にマッチした挿絵となった。
イントロのリフから、松田聖子のヴォーカルに見え隠れするギター。複数の小動物がチョコマカと可愛らしく走る姿を思わせる音使いや、時折目立つオブリガードで存在を主張するギターがようやく主役に躍り出るのは、オリジナル音源でちょうど3分ジャストのあたり、2コーラス目終了後の間奏部分。1コーラス目での「♪ 時間の国のアリス~」ではメジャー(B♭)のままでイントロと同じリフだが、2コーラス目の終わりではマイナー(Gm)に転調し、松田聖子のヴォーカルのフェードアウトとシンクロして松原正樹のギターソロに続く。そのシンクロ具合は、永遠の少年と永遠の少女がひとつに重なっていく映像を想い起こさせる。
首ったけ! 松原正樹が聴かせる色気たっぷりのギターソロ
松田聖子の曲で松原正樹のギターが印象に残る曲といえば、同じくユーミンが書いた「渚のバルコニー」のAメロに入る前の爽やかなギターが真っ先に挙がるが、「時間の国のアリス」の間奏で松原正樹が聴かせるのは、もっとエモーショナルで胸を掻き毟られるようなフレーズ。
途中からギター2音のハーモニーが絡み合い、高まった思いのまま(Dsus4 → D7)でギターのソロが終わり、夢から覚めきれていないメジャーセブンス(E♭maj7)に帰ってきたコード上で、松田聖子が「♪ カボチャの馬車と毒入り林檎 頬つねっても痛くないのね」とファンタジーの世界に引き戻す―― この8小節の間奏とその前後だけで、ひとつのドラマ、ストーリーが出来ているといってもいい。
淡いパステルカラーの色鉛筆や水彩で描かれたファンタジックな世界観の中で、そこだけ異質なアクリルガッシュで描かれた世界観の間奏。松原正樹の色気たっぷりのギターソロに、わたしはリリース当時から首ったけになった。ギターという楽器は時々女性に喩えられるが、自分自身がギターになって弾かれているように思えるのだ。当時は無意識だったが、何年か後になってから気が付いた。
「時間の国のアリス」には、パステルカラーで描かれたファンタジーのなかで一個所、とてもリアルな肌合いを感じさせる部分がある。それは、2コーラスめのサビ… さきに述べた間奏のすこし前、2分40秒あたり。
「♪ 童話の世界じゃ Kissする時はおでこにするの?」
アリスは少女のようで少女じゃない。既に色恋を知っている女性であることがここでわかる。そして先述の松原正樹のギターにつながっていく。この部分でこっそりと種明かしがされているから、おとなになった松田聖子が歌っても違和感がないのだ。
逝去から5年、耳から離れなかった松原正樹の間奏
1984年、夏。18歳のわたしは「時間の国のアリス」が収録されているLP『Tinker Bell』を録音した46分のカセットテープをウォークマンやラジカセで聴いていた。大好きな間奏部分だけ聴いては巻き戻し、聴いては巻き戻し… を何回も繰り返し、カセットテープを何本かヨレヨレにしたり、クシャッとさせてダメにした思い出がある。素晴らしい音楽に対してちょっと申し訳ないことをしたが、当時は仕方がなかったことだ。
本コラムは、2016年2月に逝去された松原正樹さんにちなんだ曲を… ということで多数の作品を聴いたうち、わたしの耳から離れなかったのが、松原正樹さんの「時間の国のアリス」の間奏だった。原稿を書くにあたって「時間の国のアリス」とそのオリジナル・カラオケを、通勤途中にiPhoneで何度もタイムゲージを戻しそこだけリピートして聴きこんだ。もちろん劣化などしない。童話の世界に存在する、永遠の少女のように。
※2020年2月8日に掲載された記事をアップデート
2021.05.10