コンサートの定番曲、松田聖子「時間の国のアリス」
去る6月2日、松田聖子が「時間の国のアリス~Alice in the world of time~」を配信シングルとしてリリースした。1人8役を演じたMVも同時公開されて話題を呼んだが、オリジナル盤の発売から実に37年ぶりのセルフリメイクである。
デビュー40周年を迎えた2020年4月以降、「SWEET MEMORIES~甘い記憶~」、「瑠璃色の地球2020」、「青い珊瑚礁~Blue Lagoon~」… と、自身の代表曲をリアレンジしたトラックを配信リリースしてきたが、「時間の国のアリス」もそのラインナップに加わったことになる。
コンサートにおける定番曲であり、紅白歌合戦でもヒットメドレーの1曲として2回歌唱されている同作は “時空を超越したアイドル” を象徴するメルヘンチックなナンバー。今ではスタンダードソングのひとつになったが、オリジナルが発売された37年前はそこまでの浸透度はなかったと記憶する。
事実、オリコンでも、TBS系『ザ・ベストテン』でも、10位以内に入っていたのは7週間。1曲平均10週間はベストテンにランキングされていたそれまでのシングル曲と比較すると短命であった。とはいえ、他の歌手だったら立派なヒット。あくまで「聖子にしては」という意味である。
時の洗礼を経て、松田聖子の代表曲となった「時間の国のアリス」は1984年5月10日、17作目のシングルとして発売された。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂(ユーミン)のコンビは「赤いスイートピー」から数えて7作目。編曲はユーミン曲としては初めて大村雅朗が担当しているが、今回は松本隆特集のため、歌詞にのみフィーチャーしたい。
アルバム「Tinker Bell」のコンセプトを象徴するリードシングル
街角を通り過ぎる客船、三日月に腰かけて指笛を吹くあなた、魔法の時計、あなたを追いかけ空を飛ぶ私、永遠の少年、四次元の迷路、タキシードを着て走るウサギ、カボチャの馬車と毒入り林檎――。
冒頭から童話的なフレーズのオンパレードだ。タイトル自体がディズニー映画でもお馴染みの『不思議の国のアリス』を模しているのだから、当然といえば当然だが、アリスのみならず、ピーターパンやシンデレラ、白雪姫の関連ワードまで散りばめられている。
海や丘、街を舞台に少女のリアルな恋心を綴ってきた、それまでの作品とは明らかに異なるファンタジーワールド。その世界観は1ヶ月後にリリースされたアルバム『Tinker Bell』でも展開された。『メリー・ポピンズ』的な「ガラス靴の魔女」、現代版・ターザン&ジェーンと言えそうな「密林少女」、『E.T.』を思わせる「不思議な少年」、タイトルからして『眠れる森の美女』の「Sleeping Beauty」…。いずれもディズニーやスピルバーグの映画を連想させるキャラクターやシーンが満載だ。『Tinker Bell』にも収録された「時間の国のアリス」はアルバムのコンセプトを象徴するリードシングルという位置付けだったのである。
松本隆マジックによって軽々と乗り越えたアイドルの不文律
当時の松田聖子は22歳。デビュー5年目に突入し、松本隆との出会いからも丸3年が経過していた。「時間の国のアリス」は松本の初提供作「白い貝のブローチ」(1981年)から数えてちょうど70作目にあたる。筆者は「秘密の花園」(1983年)に関するコラム
『新記録を樹立した松田聖子「秘密の花園」に隠された松本隆のムーンライトマジック』で「歌い手の年齢に応じて、歌の主人公を少しずつ成長させていく」松本マジックについて述べたが、この時の彼女は恋愛についてはほぼ学習済みであった(もちろん、歌の中での話である)。
今一度、振り返っておくと―― 「赤いスイートピー」(1982年)に代表される、プラトニックな関係を様々な情景で歌ってきた少女は「秘密の花園」で初体験を済ませ、徐々に自立した大人の女性へと変化する。
1983年の作品では「Bye-bye Playboy」で浮気性の男に三下り半を突き付ける一方、「メディテーション」では母性愛を歌唱、「SWEET MEMORIES」で過去の恋を回想し、「瞳はダイアモンド」ではふられても気丈なヒロインを演じた。
年末のアルバム『Canary』の収録曲では、お目当ての彼を誘惑する「BITTER SWEET LOLLIPOPS」「LET'S BOYHUNT」、自分から別れを告げて飛び立とうとする「Canary」、プロポーズを断って友達のままでいましょうと歌う「Silvery Moonlight」など、なんでもござれの成長ぶりだ。
かつて山上路夫は、自身がメイン作詞家を務めた天地真理の作品について「男の影はチラチラさせる。でも現実に生身の男が傍らにいてはいけない」とプロデューサーに言われて難儀したと明かしている。それから約10年。時代は変わり、松田聖子はアイドルの不文律とされた“清純縛り”を松本マジックによって軽々と乗り越えた。だが、さしもの松本隆も、ここまでくると次の一手が打ちづらかったのではないか。実際、本人はユーミンとの対談(『風街茶房』2003年)で、前作「Rock'n Rouge」(1984年)で “第1次やる気なくなる期” が訪れたと語っている。
松本がやはり多くの作品を手がけた太田裕美もデビュー曲「雨だれ」(1974年)から約4年、89曲でプロジェクトから離れている。聖子に関しても、そろそろ引き時かもしれない―― そんな思いもあっただろう。とはいえ、前述の対談でユーミンから
「松本さんは情が深いのか、女々しいのか(笑)、ぶつぶつ文句を言いながら続けていた」
… と評された松本は、1984年の年末までメイン作詞家を続けることになる(そこまでの提供作品数は91曲。太田裕美とほぼ同数であった)。
SF・ファンタジー… 大人の恋を経験させた松田聖子が歌う次なる世界
ひと通り、大人の恋を経験させた松田聖子に何を歌わせるか――。そこで松本が見つけた鉱脈は、当時、彼が傾倒していたSFやファンタジーであった。同時期にリリースされた南佳孝のアルバム『冒険王』(1984年6月)で、松本は南との共同プロデュースで全作詞を手がけているが、同作のコンセプトはSF映画や冒険小説を彷彿とさせる近未来的ファンタジー。その3ヶ月前に発売された大滝詠一のアルバム『EACH TIME』(1984年3月)でも「ほうきに乗った可愛い魔女」や「飛べなくなったピーターパン」が登場する「魔法の瞳」がオープニングを飾っている。
『Tinker Bell』はそれらの姉妹編とも言えるが、一見、現実離れしているように思えるシチュエーションでも、色気や毒をスパイスとして効かせるのが松本流。「時間の国のアリス」では「童話の世界じゃKissする時はおでこにするの?」と綴り、ヒロインがすでにそれ以上の経験をしているところをそれとなく描いている。
発売前年の1983年には、東京ディズニーランドが開業。その一方で、米国の心理学者ダン・カイリーが提唱した “ピーターパン症候群”(成長することを拒む男性のこと)が流行語となっていた。松本がそれを意識したかどうかは定かではないが、自分の経験や想い、伝えたいことを歌い手に投影・仮託して表現するのが作詞家・松本隆の特徴的手法。その松本は『ミュージック・マガジン』2021年8月号の最新インタビューでこう答えている。
「今は昔みたいに『ここまでが少年、ここまでが大人』みたいな区切りがなくて・それがいいのか悪いのかよく分からないんだけど、僕の場合はその境界線がない。『はたして自分は大人になれてるか?』みたいなことを思うし、二十歳の時、はっぴいえんどをやっていた時と比べても、仕事も考え方も何にも変わってないんだ」
この発言を知ったうえで「時間の国のアリス」の詞を読むと
誰だって大人にはなりたくないよ
永遠の少年のあなたが言うの
…の「あなた」は松本自身を投影したキャラクターのように思えてくる。そしてその永遠の少年(=ピーターパン)を追いかけたヒロインは、最初こそ上手く空を飛べなかったものの、これまでの歌と同様、おそらくすぐに学習して、自身も永遠の少女となったのだ。
還暦を来年に控えた今もなおアイドルを体現し続け、しかも違和感なく受け入れられる――。松田聖子がワン・アンド・オンリーの “永遠のアイドル” となる未来を、37年前に松本隆は独自の感性で予見していた… と言ったら、松本先生はどうおっしゃるだろう。
特集 松本隆 × 松田聖子
2021.08.03