松任谷由実「恋人がサンタクロース」から始まった80年代のクリスマス
意外にもシングルカットされていない「恋人がサンタクロース」。松任谷由実の10枚目のオリジナルアルバム『SURF&SNOW』に収録されている曲だ。
―― にも拘わらず、山下達郎の「クリスマス・イブ」と並び、日本のクリスマスソングの代表格として今も君臨しているのだから、いかに松任谷由実の影響力が強いかがわかる。
『SURF&SNOW』は1980年12月1日に発売されているので、1980年代のクリスマスは、まさに「恋人がサンタクロース」から始まったと言っていい。
本家本元の欧米では、もともとクリスマスは家族が集まる日で、70年代までの日本だってその伝統に習っていたと思う。クリスマスプレゼントといえば親から子供へ贈るものであって、女性誌だってクリスマスプレゼントの特集を組むこともなく、その手の企画はバレンタインデーのものだったはずだ。それを一変させたのは、やはり「恋人がサンタクロース」だろう。
サンタクロースは、この曲をきっかけにクライアントに恋人を加える必要を迫られ、クリスマスは子供たちのイベントから恋人たちの一大恋愛イベントに様変わりする。この流れは、1983年に発売された山下達郎の「クリスマス・イブ」で加速度を増し、1988年に同曲がJR東海のコマーシャルに使われる頃には決定的なものになっていく。
スキー場に向かう時の定番、アルバム「SURF&SNOW」
僕が松任谷由実を聴き始めたのは、かなり遅く1984年、大学生になってからだ。当時は洋楽中心に聴いていたのだけど、同じクラスになったサーファーの友人から勧められて松任谷由実に出会う。聴かず嫌いだったことに気付いた僕は、それからすぐに過去に遡って松任谷由実を聴きまくることになる。
『SURF&SNOW』は最初に聴いたアルバムだ。ちょうどスキーを始めた頃でもあったので、スキー場に向かうまでの車の中で聴く定番のアルバムになった。よく行くスキー場はやっぱり苗場で、関越トンネルを抜けて雪景色に変わるタイミングに合わせて「サーフ天国、スキー天国」が流れるような演出を、助手席の女の子のためにしたものだ。
1981年から『SURF&SNOW in Naeba』が開催されていたこともあり、苗場はユーミン一色。まさに当時のスキー人気は松任谷由実と共にあったのだ。
映画「私をスキーに連れてって」の挿入歌として頂点へ!
そんなスキー人気に便乗(悪い意味ではなく)して出来たのがホイチョイ・プロダクション制作の『私をスキーに連れてって』。劇場公開されたのは1987年11月21日。映画の大ヒットでスキー人気は絶大なものになった。街を走るどの車の屋根にもスキーキャリアが付き、スキー場の行き帰りの渋滞は当たり前、駐車場にも入れない。挙句の果てにはリフト待ちだって1時間以上。しょうがないので、前日の夜に出発して、スキー場の駐車場でオープンまで寝て待つ―― こんな異常なスキー人気を今の若者は想像できるだろうか。でも、凄く楽しかったんだけどね。
「恋人がサンタクロース」はこの映画の挿入歌として再び脚光を浴びることになる。時代はバブル真っ盛り。ホテルの部屋がすべて埋まり、プレゼントでティファニーが飛び交う異常な時代のクリスマス・イブ。その原点が、この曲であることは間違いない。
クリスマス・イブを恋人と過ごす日、恋人と過ごしたい日、もっと言えば、“恋人と過ごさないと恥ずかしい日” にしてしまったA級戦犯… それが「恋人がサンタクロース」という曲なのだ。
松任谷由実、恐るべし!
※2016年12月4日、2018年12月1日、2020年12月1日に掲載された記事をアップデート
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2022.12.06