今は使われていない港の端に、ポツンと赤煉瓦づくりの倉庫が建っており、その中から球を撞く音が絶え間なく聞こえてくる。数年前からオーナーがこの倉庫をお店に改装してプールバーを営業しているのだ。
港から吹いてくる潮風で彼女の長い髪がなびく。その風が横を歩いている私に、彼女の香りを運んでくる。
倉庫の大きな扉を開けると、緑色のラシャを貼ったテーブルがいくつも並んでいた。天井からつり下げられたダリのスピーカーからは、タコ・オカースの「踊るリッツの夜(Puttin’ On The Ritz)」(82年)が流れている。
「こんばんわ」
真っ白なワイシャツに黒いスエード地のベストを着た店員が話しかけてきた。
「今日はどちらにしますか」
僕らの青春時代である1980年中頃にビリヤードブームは起こった。店員の言っている「どちらにしますか」とは、球をポケットに落として点数を競う9ボールや8ボールという遊びと、赤と白の四つの球を連続で当てて点数を競う四つ玉の事を言っている。
「彼女がはじめてなんで今日は9ボールにするよ」
“わざわざはじめてなんて言わなくてもいいじゃない” といった抗議だろうか、私の腕に絡んでいた彼女の手がキュッとなった。
「それでは3番台を使ってください。お預かりしているキューをすぐに持ってきます」
彼女のGジャンを受け取り壁にあるフックに掛けた。今日の彼女は襟を立てた白いブルックスブラザーズのポロシャツにデニムのホットパンツ、そこからスラリと伸びた足の先には白いKappaのスニーカーを履いている。
「お待たせしました」
店員が私のキューと青色の四角いチョークを乗せたボールを持ってきた。
「お連れ様のキューはこちらをお使い下さい」
そう言って壁に掛けてあるキューを指さす。私はその中から二本選び出し、台の上で転がしてみる。二本とも手入れがいいのだろう真っ直ぐに転がった。先端のティップを確認して一本を壁に戻す。
「この曲、タコ・オカースのだよね? だれのチョイスなの」
店員に聞いてみた。
「ここの選曲は全部オーナーの牧さんですよ」
店員が答えた。
彼女はボールの上に乗っているサイコロのようなチョークを “これ何に使うのかしら?” といった感じで触っている。
懐かしのビリヤードブームの原稿を書いていたら、再び「わたせせいぞう」に取り憑かれてしまった(※
「誰もがわたせせいぞう、ビリー・ジョエルは妄想を駆り立てる男のロマン?」)。
2018.01.14