10月21日
あこがれの存在、近寄り難きアーティスト=土屋昌巳に近寄ってみた
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1985年に EPICソニーに入社した私は、“GONTITI” とか “くじら” とか、好きなアーティストを、やりたい放題やらせてもらったのですが、一方会社から担当させられたアーティストもありました。それは時任三郎さんと土屋昌巳さん。

時任さんについては、1985年10月21日にリリースした『MOVE』というアルバムを担当しましたが、どうも相性がよろしくなかったようで、その1枚だけで、降板させてもらいました。

土屋昌巳さんは、山本翔さんのライブで拝見していましたし、“ジャパン(Japan)” の準メンバーになるなど、あこがれの存在でもありましたから、あまりお役に立てないながらも、何作か、ご一緒させていただきました。

私が EPIC に入った頃に、ちょうど『TOKYO BALLET』というアルバムの制作が始まりまして、ともかくもその現場についたのが最初です。82年に『RICE MUSIC』という1st ソロにして名盤をリリースしていましたが、まだ “一風堂” もあったのと、“ジャパン” での活動もあり、85年の『TOKYO BALLET』は、まだソロ第2作でした。

スタジオでお会いした土屋さん、まず印象的だったのが、スタジオでも常に、上等そうなスーツ、ネクタイ、磨き上げられた革靴と、一分の隙もない、そのままステージに登場しても何の問題もないようないでたちでおられること。イメージ通りではあったのですが、こんなにイメージ通りな人も滅多にいません。肉体労働的要素は少ないにせよ、長時間の根を詰めた作業で、冷たいのも含め、汗もかくし、タバコの臭いも染みつくスタジオでは、ジーパン、Tシャツ、ブルゾン、どうでもいい格好しかしたことのない私には、驚きでした。数日目には尋ねてみました。

「毎日そういう格好でいるのって、たいへんじゃないですか?」

「いえいえ、慣れの問題ですし、きちんとした服装でいると、精神的にもシャンとして、とてもいいですよ。福岡さんもやってみたらどうです?」

たしかに、気分はピリッとするかもな、とは思い、多少考えないでもなかったですが、やはり、スーツ1着や2着では間に合わないし、クリーニング代もかかるだろうしと、貧乏性な私では妄想レベルで頓挫でした。

その2年後の1987年、3rd アルバムには、企画段階から関わりました。土屋さんは歌詞はあまり書かない人なので、“くじら” の杉林恭雄くんを推薦したところ、気に入ってくれて、3曲ばかり書いてもらったり。

レコーディングの初日、この日はゲストミュージシャンは誰も呼ばなくていいと言うので、“打込み” データを MTR(Multitrack Recorder)に録音する作業でもするのかなと思っていたら、終日、塗装がかなりハゲハゲなヴィンテージのストラトキャスター(61年製の胴体に64年製のネックを組み合わせたそうです。後に SUGIZO 氏に譲渡)を、入念に調整して、終わりました。だいじなことだろうけど、家でやってほしい、といつもの私ならブーブーいうところでしょうが、どうも土屋さんには言えません…。

と、そんなこともありましたが、基本的には真面目な人なので、レコーディングは着々と進んでいきました。

さて、やはり元 “ジャパン” の土屋昌巳ですから、ロンドンでのコネクションを活かさない手はありません。だいたいの楽器と歌は日本で録音し、いくつかの楽器のオーバーダビングと仕上げのミックスダウンを、ロンドンでおこなう予定になっていました。私にとっては、山下久美子のニューヨーク、“くじら” のパリ&ベルリンに続き、3回目の海外レコーディング、初ロンドンです。

スタジオは「AIR Studios」。ビートルズのプロデューサーとして世界的に有名なジョージ・マーティンが、EMI を辞めた1969年に設立したスタジオで、ロンドンの中心、オックスフォードストリートに面したビルの2階にありました。東京で言えば銀座、三越の中にあるようなものです。今はロンドンのちょっと郊外、ハムステッドというところに移転していますが。

エンジニアはナイジェル・ウォーカー(Nigel Walker)。土屋さんも仕事するのは初めてだったようですが、『RICE MUSIC』をミックスしたスティーヴ・ナイ(Steve Nye)の後輩で、面識はあったのだと思います。性格はちょっと変わってますが、腕はよく、その後、私は彼と、何回か仕事をするようになりますが、それはまた別の折に。

何人かのミュージシャンが演奏しにやってきてくれました。元 “ロキシー・ミュージック” のサックス奏者=アンディ・マッケイ(Andy Mackay)、元 “デュラン・デュラン” および “ザ・パワー・ステーション” のベーシスト=ジョン・テイラー(John Taylor)、そしてもちろん、元 “ジャパン” のヴォーカリスト=デヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)とベーシスト=ミック・カーン(Mick Karn)も。

特に忘れられないのが、ミック・カーンとのセッションでした。

つづく…

2018.10.04
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カタリベ
1954年生まれ
福岡智彦
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