“もし僕が君のことをよく知っていると言ったら、君は多分笑って、僕らは別世界の人間だから(そんなわけないさ)って言うだろう。もし君が今日ここにいたなら”
今から35年前の1982年春、ポール・マッカートニーはジョン・レノン逝去後(更にウイングス解散後)初にして傑作であるアルバム『タッグ・オブ・ウォー』を世に出した。そのA面最後、5曲めがジョンへの追悼曲「ヒア・トゥデイ」である。
冒頭に歌詞の一部を挙げたが、これは正にポールからジョンへの “私(わたくし)” 的な呼びかけである。
若くして亡くなった母メアリーへの想いを込めた「イエスタデイ」、両親の離婚に傷付いていた、ジョンの息子ジュリアンを励ました「ヘイ・ジュード」、やはり母メアリーの言葉を生かした「レット・イット・ビー」と、私的な事柄を “公(おおやけ)” に昇華させた歌詞で世界を席巻してきたポールには極めて珍しい “私” 的そのものの歌詞であった。
突然の逝去によってついにジョンに話せなかったことがこの歌詞を形作った。これはポールからジョンへの、“想像の上での一方通行の対話” (ポール談)なのだ。
“僕は、昔どうだったかよく覚えているさ。もう涙は我慢しない。君を愛している”
“一緒に泣いた夜を憶えているかい。言葉は交わさなかったけれど、君は笑顔でずっとそこにいたね”
(イギリス)北部の男にとって、“愛している” という言葉はなかなか口に出来るものではない、と後にポールは語っている。しかしこの “I love you” こそが我々がようやく共感出来る唯一と言っていい歌詞かもしれない。実際、コンサートでもこの部分だけ、曲の途中ながら歓声が上がるのだ。
“君のことを本当に愛していた、会えて良かったって僕が口にすれば、君は今日ここに現れるのかもしれない。だって君は僕の歌の中にいたんだから”
率直に言って特にこの最後の部分は訳すのも難しいし、意味も入ってこない。正にマン・ツー・マンの世界の中、静かに曲は終わる。
それでも当時高2の僕はぼろぼろと泣いた。
ジョン逝去後1年半を経ての本格的な涙。それは偏にポールの心情が直に、痛い程に伝わったからに他ならない。エルトン・ジョンの “公” 的な歌詞のジョン追悼曲「エンプティ・ガーデン」とこの曲が相次いで世に出たのは、良く出来た偶然と言う他無いだろう。
同じく日(デイ)の名の付いた「イエスタデイ」に倣い、アコースティックギターに弦楽カルテットというアレンジを施す粋な洒落っ気も見せた「ヒア・トゥデイ」は、話題を呼びながらもシングルカットされることも無く、ライヴでも歌われなかった。この点は「エンプティ・ガーデン」と対照的。“私” 的な曲なのだから当然だったかもしれない。
しかし20年後の2002年、サー・ポールは遂に「ヒア・トゥデイ」をコンサートで歌った。この時から15年、ポールは欠かさずこの曲を歌い続けている。
ジョージ・ハリスン追悼で彼の「サムシング」を歌う時にはジョージと自らの写真をステージ後方に大きく映し出すのだが、「ヒア・トゥデイ」では滝の落ちる動画が流れるだけで、ジョンは現れない。やはりジョンとポールの関係は、よりパーソナルだということなのだろう。
そしてポールは、年を重ねたせいか近年、この曲で時に感情を露わにする様になった。2009年、ニューヨークの球場シティ・フィールドのこけら落としのコンサートでこの曲の後半、感情が高ぶったのか上手く歌えなくなっている。
ジョンゆかりの地ニューヨークだったこともあろう。この模様はライヴ盤『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ』のDVDで観ることが出来る(CDはきちんと歌えている別日のもの。DVDの一部は下記公式動画参照)。
そして今年4月、ポールは日本武道館で初めてこの曲を歌ったのだが、やはり声が震えている様に僕には感じられた。ジョンと共にステージに立った武道館だったからというのは考え過ぎだろうか。
相手が生きている内に伝えるべきことは言葉にして伝えておいた方がいい。ポールはこの曲にそんな “公” な意味も持たせている。
そんなポールが、前述の動画の様にふと見せる “私” の部分に、僕らは思わず心動かされてしまうのかもしれない。
(ポール75回めの誕生日に記す)
2017.06.18
YouTube / PAUL McCARTNEY
YouTube / PAUL McCARTNEY
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