5年ぶりのアルバム「ダブル・ファンタジー」まさか遺作になるとは…
早いもので、ジョン・レノンが亡くなってから40年が経とうとしている。生きていたら後期高齢者だが、ジョンはあの年、40歳から、歳をとらなくなった。
振り返ると、この年は自分にとってのビートルズ元年だった。興味を抱いた、という点で。もちろん、それ以前にも、親しみやすい彼らのメロディを、テレビや街、学校でも耳に入ってきてはいたが、それをビートルズの楽曲と認識することはなかった。友人から借りた赤盤・青盤を聴いて、あれもこれもビートルズの曲だったのか! と。そんな、目からウロコの年だった。
実際、この年、世間ではビートルズの名が頻繁に語られるようになっていた。1月、ポール・マッカートニーが大麻所持によって成田空港の税関に拘束され、来日公演が中止に。それが大ニュースになったばかりか、ポールが拘束期間中に作った日本への恨み節が、次のアルバムに収録される…… 的なニュースも耳に入ってきた。
気の滅入るニュースではあったが、ジョンが5年ぶりにアルバムをリリースするとい明るいニュースも飛び込んできた。『ダブル・ファンタジー』…… 結果的に遺作になるとは、このとき誰が思っただろう?
大変だった「スターティング・オーバー」のエアチェック
洋楽への興味が増幅しつつあった中2の自分にとって、主要な情報源はラジオ。とくに、気になった曲は、とにかくどれもFMで、きっちりエアチェックする。当然、ジョンの新曲「スターティング・オーバー」も、チェック必須の曲にリストアップされた。
ところが、だ。曲の初めから終わりまで録音するとなると、これが大変だった。曲が終わったと思って録音ボタンを止めると、ドラムのドタドタという音が響いて、曲はさらに続く。エアチェックを何度もしていると、曲の終わりやフェイドアウトのタイミングに敏感になるのだが、このフェイントには数度やられた。「いや、学習しろよ」…… と思われるかもしれないが、これはもうエアチェック小僧の条件反射で、わかっていても、つい止めてしまう。この人差し指が憎い。
そんなある日、学校から帰って、テレビを見ていたら、ジョンの訃報が。ショックといえばショックだが、それよりも、そのニュースの扱いの長さに、ジョンが、ビートルズが、こんなにも世界に愛されていたことに、むしろ驚いた。ビートルズへの興味が、さらに深まった。
その成果か、ジョンが亡くなった直後、ようやくエアチェックに成功する。たかだか2週間程度の格闘だったが、ついにあの曲を録音できたのは素直に嬉しかった。
ジョンとヨーコの出会いの場にあった言葉 = イエス
さて、元年を経て、自分はビートルズ修行に勤しむことになる。年長の従兄が買った『ダブル・ファンタジー』を録音させてもらった。ご存知のとおり、これはジョンとヨーコのそれぞれの曲を、一曲交代で交錯させているのだが、ヨーコの曲が、どうにも気恥ずかしく、まだるっこしく、ジョンの曲だけを抜粋して “シングル・ファンタジー” に編集して録音したりもした。
訃報のニュース時にBGMになっていた「イエスタデイ」がポールの曲であることも、のちに知った。「TV局、だらしねえなあ、ちゃんとジョンの曲をかけてくださいよ」…… と、当時は思ったりしたものだ。
今思えば、このビートルズ修行時代の自分は、まだまだ青かったと思う。今ならば、『ダブル・ファンタジー』をシングル・ファンタジーに編集するなんて、恐れ多いことを…と思ったりする。当時の訃報のニュースのBGMにしても、ビートルズのもっともわかりやすい曲を配置した局側の配慮と受け止められる。
肝心なのはジョンとヨーコの出会いの場にあった言葉= “イエス” と肯定できるか、だ。人間、時として “ノー” ということも必要だが、好きなもの、好きな人、好きな音楽を、どこまで好きでいられるのか? どこまで信じていられるか? …… そんなことを、ジョンの曲を聴きながら考えたりする。
振り返ると、あのビートルズ修行時代の初期は、他のファンのマウントをとって優越感に浸ることに終始していたのかもしれない。私的ビートルズ元年から40年、ジョンの年齢を優に過ぎ、人生を “イエス” と肯定するための修行は、まだまだ続く。
2020.11.17