リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ Vol.21
John Lennon, Yoko Ono / Double Fantasyヨーコ・オノはずっと苦手だった
ヨーコ・オノはずっと苦手でした。最初の印象からよくなかった。“最初” とは高校一年の時に観た映画「Let It Be」です。中三で「Let It Be」という曲を大好きになり、やっとビートルズをちゃんと認識した私、そこから遡っていろいろ聴き出した “俄ファン” なので、映画も「A Hard Day's Night」、「Help!」を観てから時を置かずの「Let It Be」でした。そしたら、前二作の爽やかでユーモラスでポップそのものの世界からいきなりの、気だるそうにただジョンのそばにじとーっとくっついている長髪の日本人女性の出現ですから、めんくらいました。
「なんだ、この女は?」
あのビートルズの、きっと世界で何千万人も観るであろう映画に、そんなふてくされたような顔でよく映れるな。ジョンの新しい嫁さんかもしれんが、ずっとくっついてることはなかろう。他の3人だって奥さんいるけど、誰もしゃしゃり出てないぞ。しかも “お淑やか” で知られた日本人じゃないか…。
折しもちょうど解散というタイミングでしたから、後にポールは否定していますが、当時はメンバー不和の一因とも言われていましたし。
素っ裸でレコードジャケットに出た(『Two Virgins』(1968))のには、呆れるというよりむしろ感心しましたが、とりわけイヤだったのが、彼女の唄。そもそもやや音痴な上に、あのヒステリックなスクリーム。もっと静かにウガイしろ!と言いたくなる不可解なビブラートつきの。あれがどうにも、生理的にダメでした。
それをいくら惚れているからと言って、レコードに参加させているジョンもどうかと思い、私の中でのジョン・レノンの価値までだいぶ下がりました。
ジョンの遺作、『Double Fantasy』。彼の死はやはりショックだったし、このアルバムは買うしかなかったのですが、アルバムを通して聴いたことはほとんどありません。サイド1の2曲目「Kiss Kiss Kiss」、これがまともに聴けないのです。まだCDがなかった時代、LPは曲飛ばしが面倒なので、2曲目で早々と挫折してしまうのでした。
もちろんイヤなのはヨーコの生々しい“よがり声”。なんでこんなのレコードにできるんだろう。ヨーコさんはそういう批判に対して「クルマやジェット機の音を快いと思って、女の『抱いて!』というささやきを気持ち悪いと思う人がいるとしたら、その人の感覚こそ汚れている」と語ったそうですが、その論理はおかしい。「人は誰でもうんこをするのだから、食卓にうんこが置いてあってもいい」と言ってるのと同じです。物事にはそれにふさわしい“TPO”というものがあります。
レコーディング作業では曲を何回も何回も聴きます。これをスタジオで何回も聴くなんて私なら耐えられない。のちに、このアルバムでエンジニアと共同プロデュースを務めたジャック・ダグラスとヨーコさんは裁判で争うことになります。金銭問題だったのですが、この曲を何度も聴かされてウンザリしたのが遠因だったんじゃないか?なんて勘ぐってしまいます。
ヨーコ・オノをあらためて見直そうとしたが…
…いやはや、こんな私のヨーコ攻撃ばかり聞かされても困りますよね。すみません。
私がどう思おうと、ヨーコさんはジョンの没後も多くの作品を発表していますし、評価する人もいます。それに人物としては、ジョン・レノンというどうも本能のままに動くことしかできなさそうだった人を、うまくマネージメントしていたようだし、没後もしっかり彼のイメージ戦略を進めてこられたわけで、頭がよくて心が強い、すばらしい女性だということに、まったく異論はありません。
『Double Fantasy』の発売から既に40年以上が過ぎ、私も年をとりましたから、そろそろ、アーティストとしてのヨーコも見直してみようと思い、和久井光司さんの著書「ヨーコ・オノ・レノン全史」を読んでみたのです(実はご本人からいただいたのですが…)。
和久井さんはヨーコさんの音楽を、中一の頃から好きだった、しかもあのスクリーミングも最初から嫌いではなかった、と明言されており、この本においても、敬遠している人が多いことは承知しつつ、だからこそ、彼女の、音楽家、パフォーマー、詩人、ヴィジュアルアーティスト、そしてプロデューサーとしての魅力を、熱く語り尽くしておられます。
本を読むとその気になることが多い私は、改めてヨーコ・オノの音楽をいろいろ聴きかじってみました。
…ダメでした。
いや、聴きやすい曲はたくさんあった。「Sisters, O Sisters」(アルバム『Some Time In New York City』(1972)収録)はなんだか好きだし、『空間の感触(Feeling the Space)』(1973)はアルバムとしてなかなかよいとも思いました。だけど、私の中の先入観を覆してくれるほどではなかった。久々に聴いた「Kiss Kiss Kiss」はやっぱりきつかったし、スクリーミングも相変わらず拒否感しかありません。和久井さん、悪しからず。
「ダブル・ファンタジー」の真の価値
ヨーコさんのことはこれくらいにして、ジョンはどうでしょう。ご存知のように『Double Fantasy』はジョンにとって、約5年の主夫生活明けの久々のアルバム。米英チャートでともに1位を獲得し、81年度のグラミー賞で「Album of the Year」も受賞しているのですが、そんなにいいアルバムなんでしょうか?
「Beautiful Boy」は大好きです。名曲だと思います。「Woman」もいいけど、まあ佳作。「Starting Over」はどこがいいのか分からない。
実は、射殺された12月8日時点では、米チャートで11位、英国では24位までいった後に46位に下がっていました。あのジョン・レノンが5年ぶりに出したわりには反響が低かったんです。だから、米国で8週連続1位、英国で7週2位ののちに2週1位、という大ヒットは、ジョンへの追悼意識のたまものです。ジョン自身はこのヒットを知りません。
2010年になって『Double Fantasy Stripped Down』というアルバムがリリースされました。ラフミックス状態と言うか、演奏から省けるものを省き、極力シンプルなサウンドにして、ボーカルも仮のテイクを使いつつエフェクトもなし、というもの。これも今回初めて聴いたのですが、驚きました。ジョンの生々しい歌がめちゃくちゃいい。
ジョン・レノンの魅力を広げる “料理人” の重要性
そう言えば、エンジニアのジャック・ダグラスは、ジョンのデモテープに感動して共同プロデュースを引き受けたそうです。ジョンが自然に適当に唄う歌はやはりすごい力があるんだなと思います。「I'm Losing You」なんて、こちらのバージョンのほうが全然よいと思いました。逆に「Beautiful Boy」はメロディの完成度が高いので、元のアルバムの整ったボーカルのほうがよかったり。
そう考えると、自然児ジョンは何も考えないでつくって唄うだけでいるのがよくて、あとは周りの人の広げ方次第なのかも。ビートルズ時代と比べると、ソロになってからのジョンは、「Imagine」、「Jealous Guy」、「Beautiful Boy」など突出した名曲はいくつか生み出したものの、たとえば「I Am the Warlous」や「Come Together」のような、ヘンで面白い曲が少ない。ジョンから生まれたヘンな曲を、ポール・マッカートニーらビートルたちとジョージ・マーティンは、面白くしかもポップな曲に “調理する” ことができたけど、ソロになってからはそういう優秀な “料理人” たちが近くにいなかったということでしょうね(フィル・スペクターは多少その役割を果たしていたかもしれませんが)。
『Double Fantasy』の時もそれは変わらなかったけど、その後、プロデュース力を高めたヨーコさんが、ジョンの魅力の広げ方、“料理法” を開拓し、ようやく30年後に『…Stripped Down』でそれを見せてくれた、という感じなのかもしれないなー、などと考えたりしています。
2021.09.03