前回は、ドラムの神保彰をメンバーに加えた『THUNDER LIVE』リリースによって、カシオペアが日本のジャズフュージョン界で不動の地位を築いた… というところまでを紹介したけれど、後編の今回は、アルバム『MINT JAMS』に焦点を絞り、カシオペアがここまで辿った軌跡と、初めて体験したカシオペアライブの記憶を呼び起こしたいと思う。 さて、前回取りあげた『THUNDER LIVE』から、カシオペアは精力的な活動により、半年に1枚のペースで『MAKE UP CITY』(1980 / 11 / 21)『EYES OF THE MIND』(1981 / 4 / 21)『CROSS POINT』(1981 / 10 / 21)と、アイドル歌手並みに次々とアルバムを発表してゆく。 注目すべきは、ハーヴィー・メイソンプロデュースによる『EYES OF THE MIND』だろう。ブラックコンテンポラリーの影響もあり、スティーヴ・ガッドのような流動的できめ細かいリズム主体のアレンジから、一拍三拍をバスドラムとスネアでビシッと決めるタイトで大きなリズムアレンジへと移行していた。 また、この頃はシンセサイザーやキーボードの黎明期であり、アルバムを追うごとに向谷実から繰り出される音が変化していった。特に、『CROSS POINT』から導入された YAMAHA の最高傑作 GS1 の影響が計り知れない。 GS1 は、当時最先端技術であった FM 音源を柱に、打鍵系の音が美しく、その外観も木目調のグランドピアノを思わせる豪華なものであった(ライブで向谷はこの GS1のことを「家具」と呼んでいた)。また、後に発売される FM シンセの大ヒット商品 DX7 のプリセット音は、向谷本人が浜松の YAMAHA に半年くらい詰めて開発に関わったという。 話を戻そう… 『MAKE UP CITY』『EYES OF THE MIND』『CROSS POINT』の3作はどれもスタジオ録音で、十分にリハーサルを行い作り込まれたアルバムだ。どのアルバムも日本、及び海外でも評価が高く、素晴らしい出来栄えであることに間違いはない。 けれども、僕の心の中では『THUNDER LIVE』を聴いたときの “躍動感” だったり “疾走感” のようなものが感じられず、どこか “お上品” なアルバムの位置付けであった… 今聴いても、カシオペアの良さがなんだか少しだけ封印されているのでは? と、感じてしまう。 ―― そこに来て『MINT JAMS』(1982 / 5 / 21)である。カシオペア通算7枚目のアルバム… それはまるでスタジオ録音のように聴こえるけれど、演奏のドライブ感が前出3作とは明らかに違うのである。現代の言葉に置き換えればそれはもう “半端ない” のだ。 それもそのはず、このアルバムは2日間に及ぶ単独ライブ音源を使用して、入念なリミックス作業を経て(観客の声援、ノイズなども「Domino Line」 「Swear」 の一部を除きカットされている)完成度をひと際高く仕上げたカシオペア2枚目のライブアルバムだったからなのだ。 アルバムタイトル『MINT JAMS』とは、メンバー全員のイニシャル(野呂一生・櫻井哲夫・向谷実・神保彰→ I.N T.S M.M J.A)の、アナグラムで構成された実にお洒落なネーミングで、ミントコンディション(極上な状態)の「ミント」と、ジャムセッション(即興演奏)の「ジャム」を合わせた造語というのも、ライブアルバムとして実に相応しい… このタイトルを考えた方の天才ぶりは尋常じゃない! と、心の底から思っている。 アルバムの演奏曲はどれもメンバー全員により群を抜いたアレンジが施され、特に「Domino Line」における櫻井哲夫のベースソロ、神保彰のドラムソロは、ミュージシャンの誰もが一度はコピーを試みて挫折した(笑)名演奏に間違いないはずだ。キーボードソロなら「Take Me」がイチオシである。 先に紹介した GS1 から繰り出される向谷実のエレクトリックピアノの音は繊細で美しく、ラストを飾る「Swear」で使用されたマリンバ風木簡の音も実に風情がある。このアナログ感あふれる音色が僕は最高に好きなのだ。そして、この「Swear」における野呂一生のギターソロが最高に美しいのだ。 Swear とは、日本語訳すると「誓う、宣誓する」という意味で、「固い約束をする」という意味もあったりする。カシオペアがファンである僕らに誓ってくれる… それは固い約束であると考えれば、この楽曲を聴いて何故か勇気が湧いてきたり、温かい気持ちになったりすることも肯ける。 『MINT JAMS』はライブアルバムということで、オーバーダビング(あとから音を重ねる作業)を施していない。4人の手足だけで繰り出された音で作られている。きっと、めくるめく一瞬の化学反応が独特の緊張感を生みだし、聴く人にスタジオ録音では得られない高揚感を感じさせてくれることだろう。カシオペアとは、まさしく “ライブバンド” だったのだ。 当時、腕の立つ学生やアマチュアプレイヤーたちは、ラジカセでテープが伸びるまで何度も再生を繰り返し聴き込んで「あ~でもない、こ~でもない」とテクニック談議に花を咲かせていた。まさに僕がそうであった。 ところが、「Asayake」のヒットあたりから徐々に女性ファンが増え始めたのだ。これは、リマインダーコラムで有名な「指南役さん」の言葉を借りれば「インストで小洒落た音楽を聴いている女性が好きな女性」という構図であり「ちょっとイケてる私を演出したい」というあらたな客層を掴んだのだと僕は思っている。 このお洒落感を起点として芋づる式に増えた女性客は、だいたいベースの櫻井哲夫のファンで、いよいよもって僕が観に行ったライブ会場では黄色い歓声があがっていたのだ(彼はモデルとして単独で CM に出演するほどの色男)。 ―― 僕が観たカシオペアは鮮烈だった。そこは駅ナカ商業施設のラウンジでオープンスペースだったため、なんと公開リハーサルという特別サービスがあった。このときは『4×4 FOUR BY FOUR』を録り終え、次のアルバム『PHOTOGRAPHS』に取り掛かっている最中で、ベースとドラムのソロが入る曲も「Domino Line」から「Misty Lady」に切り替わっていた。 ドラム界の大御所、村上 “ポンタ” 秀一から「あいつのドラムは軽いからなぁ」などと “愛あるムチ” で揶揄されていた神保彰だったけれど、目の前で観た彼は実にパワフルで、スティックはリムショット(スネアのリムと皮面を同時に叩いて抜けた音を出す)により常に “ささくれ” ていた。 「Black Joke」イントロのスピーディーな6連符では身体ごと叩き切るアクションで、これが結構な力技であることをわからせてくれたし、6インチのスプラッシュという特注シンバルを確認したのもこのライブだった。 ギターの野呂一生は「オレンジスクイーザー」という特殊なエフェクターをソロのとき使っていて、「こんなの使っていたんだ!」と、メモしてみたり、ベースの櫻井哲夫が、とあるフレーズを弾くポジションが「ハイフレットの方で弾いていたんだ!」という発見や、向谷実が弾くキーボードのメロディが「あれ、左手で弾いていたんだ!」という気づきもあった。 ―― 当時は YouTube なんて便利なものがなかった時代で、ライブに行って初めて “この目で見ないとわからないこと” が、山ほどあることに、僕らは気づかされたのだ。 さて、この後80年代後半から90年にかけてカシオペアは世界進出を果たし成功を収めるのだけれど、メンバーの脱退などもあり2006年に休止を発表。そして2012年よりカシオペア3rdとして活動を再開した。 サポートメンバーとして神保彰は在籍しているもののオリジナルメンバーは野呂一生のみで、もちろん今の体制は何も悪くなく、素晴らしい楽曲も披露してくれているのだけれど、往年のファンとしては、ぜひ昔の4人で過去の名曲を演奏して欲しいなあと無理を承知で願っている。 そしてこれは、かつてカシオペアをコピーしていたアマチュアプレイヤーたちや、80年代フュージョンファン全員の総意であるということを付け足しておきたい。
2018.07.04
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