デンゼル・ワシントンの映画と大滝詠一の不思議なリンク
随分前にデンゼル・ワシントン主演の『悪魔を憐れむ歌(韓国ではダーク・エンジェルというタイトルで上映された)』という映画を楽しく観たことを覚えている。今ではありふれた設定だけど、この当時は簡単にタッチするだけで悪霊が人間の体に宿って転々と住処を変えるという設定が当時はとっても斬新だった。
そんな高校生の時に観た映画の場面を、大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』を聴きながら思い出した… というと全然意味が分からないかもしれないが、一応、私の話を聞いて欲しい。ただの妄想かもしれない。いや、ひょっとしたら真実かもしれない--
大滝詠一の凄さは、ひょっとしたら悪魔の仕業?
1925年に『グレート・ギャツビー』を出版したF・スコット・フィッツジェラルドの体には長い間潜んでいた悪魔がいた。この悪魔は人の体に寄生する代わりに芸術的な才能を与え、様々な人の体を転々としながら自分の存在を天使達から隠していた。
悪魔は、自分が正しい選択と信じたフィッツジェラルドが、その与えた才能をちゃんと使わず言い訳ばかりの姿にがっかりし、その後に住める人間の体を探していた。
そして、テキサス出身のロイ・ケルトン・オービソンという少年の体が最適だと思った悪魔はフィッツジェラルドをテキサス旅行に誘い込んだ。晴れた日曜日の朝、静かな高速道路の横のサービスエリアで、家族とサンデーアイスクリームを食べているロイの体に近づいた悪魔は60年代の末までロイ・オービソンの体に居住していた。
悪魔がロイの体を立ち去ったきっかけはワールドツアーの最中に訪れた東京新宿ゴールデン街の小さな居酒屋で偶然飲んだ純米大吟醸だった。初めて飲んでみた日本酒の絶妙な味に惚れた悪魔は日本にしばらく留まることを決めた。
しばらくして、偶然横で飲んでいた素晴らしい音楽の才能を持っていた青年、大滝詠一の体を新しい居場所に決め、彼の肩にやんわりと手をかけた。悪魔はその後、豊かな和の酒と料理を楽しみながら幸せな生活を送ったという話だ。その後、悪魔が大滝詠一の体から出て他の誰に移ったのか…。
--私の妄想はここまでだ。
人間の才能だけで作られなかったメロディ「A LONG VACATION」
日本の人たちは果たして1981年に発売された時からこの『A LONG VACATION』をどうやって楽しんでいたのだろうか。韓国人の私にとって、このレコードはトロピカルな日本風の音楽から外れた独特な作品だと思う。
強烈なオープニングから始まる「君は天然色」を初めて聞いた時は30秒があっという間で短く感じた。イントロの10秒内に “この曲は歴史上の名曲の類だ!” と思ったことは事実である。
全ての曲が自分だけの色を出しているが特に「カナリア諸島にて」を聞いた瞬間、青い空の穏やかな海と空の間を颯爽と飛んでいくレモン色の飛行物体が私の視界に入るのを感じた。これは、松本隆の書いた日本語の歌詞が、当時全く分からなかった私の感想だが、大滝詠一はメロディだけで一回も行ったことないカナリアの諸島に私を瞬間移動させたのだ。
人間の才能だけで作られなかったメロディに乗せた大滝詠一の声は人の心を溶かし、1920年代のアメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドの楽天主義が染垣間見えるような気もする。
大滝詠一はその雰囲気に、本人だけの色を加えた曲をアルバムにして多くの人達に示している。控えめに言ったとしても『死ぬ前に聴くべき1001枚のアルバム』の一席を堂々と占めると思う。もっと言えば、100年後に開けるタイムカプセルに入れてももったいなくない。それほど自惚れてもいいアルバムだと私は思う。
「A LONG VACATION」は日本の夏限定ではない
私が今この文を書いてる時点は40歳の誕生日の直前。そう、まだ39歳だ。19歳の完成していない人生の地図、29歳には極めて現実的な理由で離した彼女の手。そして今までの人生を嬉しく受け入れる39歳の秋も、もう少ししか残ってない。
昔から聴いていたアルバム『A LONG VACATION』に心を奪われて楽しんだ現実を受け入れることこそが、若さと交換に手にした安定感ではないかと思う。それくらい聴いているだけで安心できる作品なのだ。
この夏の匂いがいっぱい入ったアルバムを今知らせる理由は、ただ “日本の夏限定”で聴くのは本当に残念な気持ちに思うからだ。涼しい風が窓を叩く韓国の秋にも、凍てつくような冬にだってこの名アルバムが似合うことは間違いないだろう。
2019.12.04