10月、親しい人に誘われて都内の小さなライブハウスを訪れた。誰のライブかも聞かないまま足を運んだお店の入り口で、出演者の名前を見て、ぼくは驚いて飛び上がりそうになった。その名前、宇佐元恭一。
1982年、音楽雑誌の編集部で働きはじめたぼくは、その年にデビューした何人もの新人アーティストに出会った。宇佐元恭一もそのひとり。日本で設立されたばかりのロンドンレコードから、「人生晴れたり曇ったり」という曲で期待の新人としてデビューしたのが彼だった。
ピアノを弾きながらよく通る実直な歌声でうたっていた。自身の言葉で詞を描き、今から思えばその歌に表現された世界は若く初々しく頼りないけど、同じ年齢だったぼくにはちゃんと届いてきた。まだ「人生」の入り口あたりにいたとしても「晴れたり曇ったり」はあった。
ともだちとのちっちゃな争いでも、振り返ればささやかな失恋でも曇っていたし、勤め先の先輩に仕事ぶりを褒められたり、よく通っていたスナックのチーママが笑ってくれれば晴れていた。小粒だったかもしれないけども、その頃のいっぱいいっぱいの人生に喜びも悲しみも感じながら生きてはいたのだ。「そうそう、人生晴れたり曇ったりなんだ」と、ぼくは彼の歌に頷いてもいた。
デビューしたロンドンレコードは84年にはなくなってしまい、彼はこれといったヒット曲も持たないままレコード会社や所属事務所を幾度となく移籍することになる。だから、80年代の音楽をリアルに感じてきた人でも、宇佐元恭一という名にピンとくる人は少ないかもしれない。ぼくもいつからか、彼がどんな活動をしているのかも耳にしなくなっていたが、冒頭に書いたようないきさつで彼と再会したのだ。
彼の歌が多くの人の耳には届いていないとしても、その知人の人生には深く入り込んでいたようだ。それこそ、今は大粒の人生を語り始めてもおかしくない歳になった人の心の細部に宇佐元恭一の言葉や声やメロディーが入り込み、深く長く温め続けている。だから彼も、長く温かい拍手を受けて今もステージで歌っているんだろう。
ライブで、ピアノの弾き語りでうたう彼の、変わらず実直な歌声を聴いて、嬉しくて泣きそうになった。鍵盤で優しくメロディをつむぎ、宙にある愛しい何かを目で追いかけるように、大事に大事に歌っていた「雨ニモマケズ」。その歌は、なんと宮沢賢治の詩に彼がメロディをつけ、楽曲として作り上げたものだった。2002年に完成し、うたい続け、絶賛され、2006年に全国リリースされるようになった歌なのだとライブのあとで知った。
彼が23歳で作った「人生晴れたり曇ったり」、43歳で偉人の詩を楽曲化した「雨ニモマケズ」。宇佐元恭一の歌声に表れる実直さは、どこか親子のようにも思えるこのふたつの歌を結んで伸びていくベクトルのなかにあって、そこに触れた人の人生をこれからも勇気づけていくのだろう。
2016.11.10
YouTube / tomoyuki sugawara(デビュー曲「人生晴れたり曇ったり」は10:45〜)
YouTube / amenimomakezu2011
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