5月21日

マイケル富岡のタレント人生を変えてしまった野沢直子のプロデュース力

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普段は米国で暮らしている野沢直子が帰国して、あちこちのテレビ番組に出演することが夏の風物詩となって久しい。彼女も50代となり、娘さんも成長して格闘家デビューするなど、時は確実に流れているのだなと感じる。

ただ、絶頂期に突然渡米してしまったことはよく知られていても、彼女がある男の人生を変えたということを覚えている人はあまりいないのではなかろうか。

野沢直子は1983年にデビューし、「破天荒」、「素っ頓狂」、「奇抜」というようなキーワードで語られる、一世を風靡したお笑いタレントである(故野沢那智さんは彼女の叔父)。

最初は「うるさい女だなあ」と思っていたのだが(ゴメンなさい!)、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコとともに伝説のバラエティ番組『夢で逢えたら』に出演するようになり、適材適所で本領を発揮する姿を見て、彼女への認識を変えた。

その後1991年に突然単身渡米し、現地で結婚、出産を経て、現在も活動を続けている。

その『夢で逢えたら』が始まる5ヵ月ほど前の1988年5月に、彼女はアルバムをリリースし、話題となった。タイトルは『はなぢ』。ジャケ写は鼻血を垂らした野沢直子である。

「ばくばくばくばくおーわだばく」などと大物俳優たちの名前を絶叫するものや、『アルプスの少女ハイジ』をモチーフにしたきわどい替え歌などが収録されている。中でも私のツボにハマったのは「マイケル富岡の夜は更けて」という曲だった。

マイケル富岡はその当時 MTV などに出演しており、超イケメンの日米ハーフバイリンガルVJとして知られていた。何を隠そう、私が彼を初めて見たとき、あまりのかっこよさに冗談抜きで息が止まったほどだった。

さて、野沢直子はそんな彼をどのように「料理」したのかというと…?

ボサノバ調の音楽に乗せて、夜中にテレビをつけたらマイケル富岡が出てきた。くどくて整いすぎた顔がイヤミ。さわやかさも疲れると罵倒し… でも刺激的、病みつきになってついつい見てしまうと今度は持ち上げ、最後に「ねえ マイケル あごがわれてる」とトドメを刺す作りになっている。

当然ながら、ご本人がこれを聴いておもしろいと思うはずがない。その頃彼をバラエティ番組で偶然見かけたが、それに関して「失礼ですよね!」と笑いながら怒っていた。

そして、「“マイケル 憧れてる” だと思っていたら “あごが われてる” だったんですよ!(笑)」とまくし立てていた。私は「怒るのもごもっとも」と頷きつつも、自分に「憧れてる」と聞こえちゃうところがすごいよなあとも思った。

実は、この曲ができた背景にみうらじゅんがいた。彼の著書『みうらじゅんのフェロモンレコード』に書かれていたが、「(いい味出してる人として)マイケル富岡をどうにかしないか? と野沢直子に持ちかけて、自分はマンガ、彼女は歌で取り上げた」ということらしい。みうらじゅんが描いたカエルのキャラクターを今でもグッズなどでよく目にするが、あれの名前は「ホワッツマイケル富岡」である。

実際の仕掛け人はみうらじゅんだったとはいえ、マイケル富岡という人をルックスやイメージ面からダイレクトに表現したのは野沢直子の曲の方であった。彼女が持つ怖いもの知らずの破壊力が大きく作用してこの楽曲が生まれ、マイケル富岡本人に届き、彼自身が知らなかった自分の姿に気づかされたのだと思う。

その後、マイケル富岡は正しい判断をした。気づいたら彼は「UFO仮面ヤキソバン」としてヒーロー風の衣装に身を包み、カップ焼きそばのCMに出るようになっていた。「ただの二枚目」から「三枚目もできる二枚目」という新たな活路を見いだしたのだ。その後の活躍はご存じの通り。

これは私の推測だが、それまでの彼は自身を「隙のない完璧なグッドルッキングガイ」だと思っていただろうし、そう見せてきたつもりだったと思う。だが実際はそうではなくて、隠しきれないバタ臭さがどことなく笑いを誘う存在であった。彼が「マイケル富岡の夜は更けて」によって「ただの二枚目ではない」という自身のポテンシャルに気づいたとき、「これってオイシイじゃん!」とビジネスチャンスを見いだしたに違いない。恐るべし、マイコー。

これもまた個人的な推測に過ぎないのだが、野沢直子が28歳で渡米した理由は、「環境を変えて、自分を変えたい」と思ったからではないだろうか。実は私も30歳手前で同じようなことをしでかしたのだが、現地で知り合いになった日本人はほとんどが同じ年頃の女性であった。私も彼女らもみんなそういう動機だったので、多分そうだろうと勝手に決めることにする。

今の彼女を見ても特に昔と変わったところは見当たらないし、多分「自分はそのままでいいんだ」という結論に達したのではないかと思うのだが、彼女はマイケル富岡という男性の人生を図らずも変えてしまったという実績を持つ、素晴らしいプロデューサーなのだ。

それに、これは最近知ったのだが、クイズ番組で共演した故・逸見政孝さんを振り回しておもしろいキャラクターに育てたのも彼女の功績らしい。恐らく彼女にその自覚はない。

こんな才能が日本から離れてしまったことを、我々日本国民は心から後悔するべきだと思う。

2018.03.29
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  YouTube / Damaha69
 

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1968年生まれ
モコーツカ
補足です。わりと最近「しくじり先生」に彼女が出演していたことを知り、YouTubeで内容を拝見しました。渡米した理由が「『夢で逢えたら』の他の出演者たちとの実力の差を思い知らされ、挫折感を味わい、勉強するため」ということだったんですが、私は信じません(笑 他に理由が?←邪推)。他の皆さんはキャラを作り込むタイプでしたが、野沢直子さんは彼女であることが何よりの「芸」だったと思います。アメリカでも他の国でも彼らみたいな芸人になれるような勉強ができるとは思わない。だけど、今でも彼女は彼女のままでいてくれている。それでいいと思ってくれたのなら、アメリカもそんなに悪い国じゃないのかな、と(笑)。
2018/04/05 10:32
3
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カタリベ
1968年生まれ
モコーツカ
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