原宿。80年代の終わり。 日曜日に開放された代々木公園脇の歩行者天国。それまで隆盛を極めていたローラーや竹の子族に変わり、主役に躍り出たのは、シンプルなロックンロールを主体に多様性を極めたバンドたちだった。 THE FUSE、AURA、BAKU、remote… キャッチーなバンド名と音だけにとらわれない鮮やかなステージパフォーマンスで、青空の下、女のコを中心としたティーンエイジャーを熱狂の渦に巻き込んでいった。 また、渋いところだと90年代に渋谷の西武A館とB館には挟まれた路地でゲリラライブを繰り広げ「渋谷のカラス」という異名を持った JACK KNIFE の前身、和気孝典&ギャングランズもこのホコ天で硬派なバンドパフォーマンスを繰り広げていた。ちなみに彼らは手売りで渋谷公会堂のチケットを完売、メジャーデビューに至っている。 まさにゴールドラッシュであったホコ天出身のバンドの中で、頭一つ抜けた存在だったのが、昨年(2018年)デビュー30周年を迎えたJUN SKY WALKER(S)<以下ジュンスカ>だ。彼らがインディーズバンドとして脚光を浴び、トイズファクトリーよりアルバム『全部このままで』でメジャーデビューを果たしたのは1988年5月21日。ブルーハーツがメジャーデビューし、全国を席捲したそのすぐ後の出来事である。 ―― この二つのバンドについて当時を振り返ってみると、「ビートパンク」であったり「優しさロック」であったりと、なんとも曖昧な形容で語られることが多かった。 飾らないマキシマムなロックンロールを身上としたブルーハーツ。東京モッズシーンで頭角を現したザ・コーツ出身の甲本ヒロト、リーゼントでマージ―ビートをプレイしたザ・ブレイカーズの真島昌利がタッグを組み、二人はパンクロックという方法論でアンダーグラウンドな東京ハードコアシーンで共存した。 これに対して、同じ学校の同級生で結成されたジュンスカ。彼らは地元でコンスタントにライブ活動を続けながらもサクセスの階段を駆け上るために、より大きなパイを求めホコ天を新天地とした。どちらも70年代のパンクロックを経由したロックンロールバンドであるにも関わらず、打ち出しているベクトルは全く違う。 地下から這い上がり、突き詰めれば突き詰めるほど自身を深く省みて、「劣等生で十分だ」と嘯くブルーハーツが負け犬の美学だとしたら、ジュンスカは不器用なくらいの純粋さと向き合った真っ直ぐなロックバンドだったと言えるだろう。彼らはその純粋さからお金では買えない宝物を見出し、ファンと想いを分かち合い絆を育んでいった。それはそのまま “DREAM COMES TRUE” へと帰結していく。 二人でゆっくり過ごしたいけれど 君にも 僕にもやる事がある 相性はあってないけど そんなには知らないけれど 心がはずむ 初めて出会った所は 君が僕を知ったのは 夢の中から 今、丁度二人は違う場所にいる だけどこの景色が僕をいやして こんな綺麗な夜空に 巡り会えたのは また深く、君の事好きになったから 彼らの代表曲「すてきな夜空」からも分かる通り、ジュンスカのロックンロールは、それまで社会の不満、自己の否定から始まることが常であったパンクロックの常識を覆した。いわゆるリア充の日常を切り取りながら、そこに潜むイノセントな心情をクローズアップして、多くの共感を生んでいったのである。 これは日本におけるパンクロックの大きな革命であり、彼らが築いた新たな価値観は90年代に入り、アメリカ西海岸から発信されたメロコアブームとリンクし、大きなムーブメントとなっていく。つまり、90年代のメロコアは、鬱屈とした現状からの打破ではなく、自己を肯定し輝かせるためのパンクロックへと変容していったのだ。 一瞬の輝きを逃さず、自分たちで築き上げた「とっておきの場所」を共有し、連帯していく。 そんなポジティブな思考が90年代に音楽を楽しむ人たちの常識となっていったのは、ジュンスカの大きな功績だ。 2018年に結成30周年を迎えたジュンスカは、あの頃と何ら変わらず、「汚れなき想いと譲れない誇り」を心の奥底に潜ませたグリーン・マインドのままでツアーを続行中だ。2019年5月25日にはツアーファイナルの日比谷野外音楽堂での公演を控えている――。 80年代の終わり、ホコ天で熱狂した少女たちの夢物語は今も続いているのだ。
2019.02.16
VIDEO
YouTube / junskywalkers jsw
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