先日ママ友たちの飲み会であるママが、「うちの旦那、油断すると股間をいじっている」と文句を言っていた。それを聞いた他のママが、あれは男の人、落ち着くらしいよ、と言っていた。体の一部をさするという行為は、落ち着かせてくれるホルモン、「オキシトシン」の分泌を促すそうで、緊張をほぐし、不安を和らがせることができるというのだ。逆に女性が股間をいじって「落ち着く」かと言えば、落ち着かないよね、と笑いながら、私は往年の「ポコチンロック」のことを思い出した。
「ポコチンロック」、それは1988年4月、ロックバンド・アンジーのボーカル水戸華之介が青森の弘前市民会館のステージ上のMCで「神の啓示」を受けて突然創設したロックジャンル。ひと言で何だか言えない、その「目に見えないけれど真実」みたいなロックムーブメントの意義に共鳴した筋肉少女帯、LÄ-PPISCHら、またバンドだけでなく個人の賛同者も得た。「外国支部」にはボン・ジョヴィや水沢アキの外国人の旦那さんもいた(勝手に入れられている)。
水戸華之介は後に、「ポコチンロックとは、『ポコチン』をいじってしまったときの虚しさ・寂寥感である」と語っている。いじると「落ち着く」男性が多いと聞く中、「虚しさ・寂寥感」を感じる彼は、文学的だ。
アンジーの曲は勢いのあるロックに文学的な歌詞を乗せ、他の人と少し違う視点で、感情のすき間やズレから見える光景を丁寧に観察し、「わびさび」を感じさせる。思わず勢いで、または何の気なしに、そんな人生における衝動に潜む「虚しさ・寂寥感」を描くのは、音楽であり文学であると思う。
彼らのメジャーデビューシングルであり、代表作とも言える「天井裏から愛を込めて」は、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を彷彿とさせる。暇を持て余した、犯罪の真似事好きの主人公が新しい下宿屋に引っ越す。彼は偶然に、押し入れの天井板が外れ、屋根裏に通じていることに気付き、屋根裏を散歩する。
当時の屋根裏は各部屋の仕切りがなく、節穴から下宿人たちの私生活が丸見えだった。主人公は他人の秘密の盗み見にすっかり夢中になり、とうとう犯罪を思いつく。この話を、10歳の頃塾で国語の先生が朗読して以来、家の天井が「ミシッ」と軋むたび、誰かが散歩しているのではないかと怯えたものだ。
アンジーの「天井裏から愛を込めて」では、男が女性を天井裏から窃視している。ほこりで汚れながら、蜘蛛の巣だらけになりながら、恋する長い髪の少女がピアノを弾くのを、ドレスを着替えるのを、じっと見ている。
「ここでだったら素直なあなた」が良く見えるとほくそ笑み、「傷つけあったりしたのがうそみたいだ」と満足気だ。何もしないで見ているだけなのは、ある意味、乱歩の小説の主人公より怖い。そして以下の歌詞が、最高に気持ち悪い。
深夜0時の秘かな愉しみ僕がいる
青春みたいにせつなくなってもいいよね
とても大好き 大好き 大好き 大好きさ
ロマンチックもまんざら悪くもないかも
「青春みたいにせつなく」なったり、「ロマンチック」になったりという、少し恥ずかしいことも、天井裏ならできると大喜び。尋常ではない「大好き」の連呼。最後の「天井裏から愛を込めて」という明るいコーラスの後の執拗な「大好き」のリフレインは、明るいだけに、より狂気を感じる。
私は、この歌の主人公は、実際には天井裏にはいないと思う。「天井裏」とは、恋するあの子を「のぞきしているつもり」の悦びに恍惚となっている、彼の「脳内」を指すのではないか。現実のあの子は素直じゃないし、傷つけてくるし、青春みたいに素敵でロマンチックな関係になれない、もはや憎しみさえ感じる存在。でも脳内でなら、ドレスを脱いで、長い髪の下の、綺麗なうなじまで見せてくれる。そりゃこっちの方がいいだろう。彼は「大好き」を言い続けながら無間地獄に落ちていく。
この歌の中で主人公は「天井裏」で、股間をいじりまくっているに違いない。オキシトンだくだく、とてつもなく落ち着く気持ちで。そしてその彼の姿をまたその上の「天井裏」から覗く水戸華之介がいる。「ポコチンロックとは、『ポコチン』をいじってしまったときの虚しさ・寂寥感である」とつぶやいて、あのパンダみたいなメイクの目を悲しげに伏せそうだ。
他の人が追求しないところをえぐる鋭さ、それこそがロックではないか。アンジーの解散後、なかなか話題にもされないが、水戸華之介が作った独自の「ロック」。ポコチンロックよ、永遠に。
歌詞引用:
天井裏から愛を込めて / アンジー
2017.11.06
YouTube / bikimama
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