まるで予言…… 様々な事象を歌にしていた松任谷由実
ユーミン―― 松任谷由実は予言者かもしれない。
1976年、彼女はアルバム『14番目の月』の収録曲「中央フリーウェイ」で、後のバブル時代の競馬デートブームを予見し、パリ-ダカール・ラリーが創設される3年前には、「アフリカへ行きたい」を書いた。岡田有希子が自殺する7年前に、それを暗示する「ツバメのように」を歌っている。
1970年代前半、世間がまだフォークソングに夢中だった頃、一足先にユーミンはポップミュージックに移行した。山下達郎のバックコーラスも美しい「12月の雨」のリリースは、かぐや姫の「神田川」のわずか1年後である。
そうそう、スキーブームの到来をいち早く予言したのもユーミンだった。
アルバム『SURF&SNOW』のリリースは1980年12月。まだ関越自動車道は全線開通しておらず、上越新幹線も上野に乗り入れる前である。志賀高原プリンスホテルは影も形もなかった。そんな時代にユーミンは「恋人がサンタクロース」と歌い、「サーフ天国、スキー天国」と、やがて来るリゾートブームを謳歌した。
実際、日本のスキー人口が伸び始めるのは、同アルバム発売の翌年、1981年からである。そこから91年のバブル崩壊までがずっと右肩上がり。世間で言われるように、映画『私をスキーに連れてって』(監督:馬場康夫)がスキーブームをけん引したワケじゃない。同映画は1987年11月21日の公開。当時、既にスキーブームは真っただ中で、むしろブームに便乗した形だった。
少々前置きが長くなったが、今日1月12日は、明治44年の同日、オーストリアの軍人、レルヒ少佐が日本に初めてスキーを伝えたことに由来する「スキーの日」。そこで、映画『私をスキーに連れてって』をベースに、劇伴で使用されたユーミンの楽曲を絡めつつ、コラムを展開したいと思う。
アマチュア映画を作るグループだった “ホイチョイ・プロダクションズ”
同映画はホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫監督のデビュー作。当初、1983年に上梓したホイチョイの単行本デビュー作『見栄講座』(小学館)がベストセラーとなって、その映画化をフジテレビから持ちかけられたところに、逆提案する形でプレゼンしたのが、そもそもの発端だった。
元々、ホイチョイ・プロダクションズは、アマチュア映画を作るグループだった。成蹊小学校からエスカレーター式に同学園に進学した仲間たちで結成され、高校の文化祭では『女王陛下の007』をパロった『天皇陛下の007』なるスキー映画を作って上映した逸話を持つ。それはあの手塚治虫のご子息・眞氏も成蹊高校時代に観たという(彼はホイチョイの2年後輩にあたる)。
そう、馬場監督にとって、スキー映画は高校時代からの夢だった。彼自身、子供のころから憧れていた映画が「007シリーズ」と「若大将シリーズ」で、奇しくもどちらもスキーを題材とした『女王陛下の007』と『アルプスの若大将』なる作品を持つ。だから『私をスキーに連れてって』の元ネタはその2つと言っても過言じゃない。
大学を卒業しても、ホイチョイの仲間たちはアマチュア映画を撮り続けた。それが足掛け5年も費やした(単にみんな社会人で忙しくて撮影がなかなか出来なかっただけだが)16ミリ映画『イパネマの娘』である。ちなみに、後のホイチョイ映画第2弾『彼女が水着にきがえたら』はこの作品がベースになっている。
時代は「楽しくなければテレビじゃない」
昔から、ホイチョイの仲間たちは毎週土曜日に事務所に集まる(驚くべきことに、この習慣は今でも続いている)。そして、皆でオールナイトの映画に繰り出したり、他愛もないボードゲームに夢中になったりするが、『私をスキーに連れてって』が作られる前の2年間は、そのプロット作りに費やされた。
これは、僕もプロット作りに参加した、同じくホイチョイムービーの『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(監督:馬場康夫)もそうだったけど、映画というのはシナリオ作りの期間が一番面白い。皆で夢を語り、時に喧嘩もしながら、物語を練っていく。机上の空論だから何でもできる。それに比べたら、朝がめちゃくちゃ早い撮影(大抵の映画はそう)や、時間に追われる編集作業は地獄でしかない。
映画『私をスキーに連れてって』は、当時まだ20代半ばだったフジテレビの小牧次郎サンと石原隆サンが予算を決済して、東宝の配給と、フジテレビと小学館の製作で全国ロードショー公開される座組が決まった。20代の若者に億単位の決済を任せるなんて今じゃ考えられないけど、当時のフジテレビは ”ジュニア” こと鹿内春雄議長がトップ。「楽しくなければテレビじゃない」の時代である。
同映画の脚本は一色伸幸サン。こちらも、当時まだ20代半ば。ホイチョイのメンバーが練り上げたプロット原案を基に、フジテレビや小学館のプロデューサー陣が揉んで、最終的に一色サンがブラッシュアップして珠玉の脚本に仕上げた。もちろん、一色サンのオリジナルのアイデアも少なくない。大晦日の夜に主役の2人が運命的な再会を果たし、原田知世演ずる優が三上博史演ずる矢野に返す ”珠玉の台詞” もそう(このコラムの最後にネタバレします)。
松任谷由実に、監督・馬場康夫みずからオファー
おっと、肝心の音楽の話を忘れていた。同映画の音楽はユーミンだが、馬場監督は初めからユーミンしかいないと考えていたという。だが、相手は超大物アーティスト。映画のクランクイン直前まで日立製作所のサラリーマンだった男が初監督を務める映画に、果たして協力してもらえるだろうか。
誰がユーミンに依頼したか。フジテレビ? 小学館? 東宝?
―― 馬場監督自身である。もちろん、直近までサラリーマンだった男にコネなどない。雲母社に愚直にアポを取り、お伺いをして映画の趣旨を説明する。恐ろしいほどストレートな正攻法である。
だが、これがよかった。高校時代からスキー映画を撮り続け、ホイチョイの仲間たちで毎シーズン、スキーに出かけてはアマチュア無線(ハム)などを使ってスキー遊びに興じる(あの映画に登場するスキー遊びはほとんどホイチョイ自身がネタ元である)馬場監督の純粋な熱意に、ユーミンが首を縦に振ったのである。
なぜ、馬場監督はそれほどユーミンの音楽にこだわったのか。高校時代、彼は初めて撮ったアマチュア映画のアクションシーンに007の音楽を付けたところ、素人が撮影したフィルムが一瞬でゴージャスに変わった経験から、
「映画の半分は音楽でできている」
―― という信条を持つに至ったという。『私をスキーに連れてって』の音楽にユーミンが決まった時点で、監督が密かに成功を確信したのはそういうことである。
「サーフ天国、スキー天国」「恋人がサンタクロース」「A HAPPY NEW YEAR」
1987年11月21日、映画公開。
冒頭、2分間の印象的なシークエンスがある。主人公の矢野(三上博史)が、自宅ガレージで ”準備” をしている。愛車のタイヤをスタッドレスに履き替え、スキーブーツとストックをラゲッジに積み込み、ルーフキャリアにスキー板をセット。この間、ひと言も発しない。ほぼ1カット長回しの沈黙のシークエンス。そこへタイトル『私をスキーに連れてって』。そしてクルマに乗り込み、エンジンをかけ、カセットテープをデッキに押し込む。その瞬間――
ゲレンデのカフェテラスで
すべるあなたにくぎづけ
派手なターンでころんで
煙が舞い立つ
そう、「サーフ天国、スキー天国」だ。音楽に乗せて、クルマは一路、スキー場へ。途中の関越自動車道で、矢野は優(原田知世)たちが乗る西武のバスと並走するが、並走しているのは彼らだけじゃない。映画を見ている僕ら観客もだ。
そう、映画の半分は音楽でできている。馬場監督の狙い通りである。その後も、映画の随所随所にユーミンの音楽が流れる。
優とスキー場で運命的な出会いを果たした矢野。仲間たちの計らいもあり、一緒にスキーを楽しむことに――。ここで彼らが優の前で数々のアクロバティックなスキーの技を披露する。この時にかかるのがあの曲である。
昔 となりのおしゃれなおねえさんは
クリスマスの日 私に云った
今夜 8時になれば
サンタが家にやって来る
内足ターンを始め、ヘリコプター、クランマーターン、スプレッドイーグル、トレイン、後ろ滑り、コブジャンプ―― 様々な妙技が繰り広げられる。ストックで拍手を送る優。
恋人がサンタクロース
本当はサンタクロース
つむじ風追い越して
恋人がサンタクロース
背の高いサンタクロース
雪の街から来た
そう、名曲「恋人がサンタクロース」だ。この圧倒的な白銀の描写は、同映画最大の見せ場の1つ。やはりスキー映画はゲレンデのシーンに尽きる。2017年6月に亡くなられた名カメラマン、長谷川元吉サンの仕事ぶりが光る。
映画の半分は音楽でできている
映画はその後、矢野に恋人がいると誤解した優が偽の電話番号を教え、一時2人の関係はこじれる。しかし、やがて優の誤解も解け、大晦日を迎える。
その日、矢野は万座、優は志賀の―― それぞれのロッヂにいる。離れ離れだ。矢野は意を決し、万座から5時間かけて吹雪の中をクルマで志賀に向かう。この時にかかる曲が、アレである。
A Happy New Year!
大好きな あなたの部屋まで
凍る街路樹ぬけて急ぎましょう
今年も最初に会う人が
あなたであるように はやく はやく
大晦日の夜、2人は劇的な再会を果たす。電話番号の間違いの真意を優に質す矢野。返事はない。諦めて帰ろうとする矢野に優が声をかける。
「あの――」
その瞬間、新年を知らせる花火が打ち上がる。向かい合う2人の向こうで火花が走る。ここで、例の一色サン発案の珠玉の台詞が入る。
「あけましておめでとうございます。今年も―― よろしくお願いします」
一礼する優。頭を上げると―― 笑顔だ。
そう、映画の半分は音楽でできている。
―― 馬場監督の説は、どうやら正しい。
※2017年11月21日に掲載された記事をアップデート
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2023.01.12