11月21日

40周年!薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」デビューシングルは主演映画の主題歌

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1981年晩秋、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」で歌手デビュー


中学2年の時、クラスメートにMクンという男子がいた。

あだ名は「おやじ」。どこの学校でも、学年に1人くらい「おやじ」と呼ばれるヤツがいる。Mクンもその一人で、風貌は漫画『おじゃまんが山田くん』に出てくるキャラクターみたいだった。気のいいヤツで、無難を絵に描いたような男だった。風邪で休んでも、2時間目まで誰にも気づかれないほどだった。

そんなMクンが、一躍脚光を浴びる事件が起きた。ある日、流行りものに敏感なSクンが、どこから仕入れてきたのか、公開前の映画『セーラー服と機関銃』のポスターを教室に持ってきた。セーラー服姿の薬師丸ひろ子が機関銃を振り上げ、おへそがチラリと見えるやつだ。中坊にはそれで十分刺激的だった。クラスの男子がSクンを取り囲む。その時だった。Mクンがポツリとつぶやいたのだ。

「彼女、親戚なんだよね」

一瞬、何のことか分からなかった。Sクンが問い直す。「今、なんつった?」

「ひろ子ちゃん、親戚なんよ」

皆、耳を疑った。聞けば、Mクンの実家は佐賀県の××市にあり、以前、おばあちゃんが亡くなった時に、お葬式に薬師丸ひろ子が来た―― そんな話だった。「ウソだろ?」と疑うSクンに「ホントだって」とMクン。元来、その手のジョークは言わない男だった。皆、矢継ぎ早にMクンに質問を発した。

「可愛かった?」
「うん、まあ」
「なんか話した?」
「そりゃ親戚だから……」
「触った?」
「痴漢かよ! まぁ、何かの拍子に手くらいは触れたかも……」

それから、Mクンの握手会が始まった。あの薬師丸ひろ子と親戚で、手を振れたかもしれないMクンと握手すれば、間接キッスならぬ、間接握手が味わえるかも…… そんな中坊らしい妄想だった。Sクンに至ってはMクンに抱きついていた。意味が分からない。

―― 時に、1981年晩秋。12月19日の主演映画の公開を控え、薬師丸ひろ子サンが同名映画の主題歌を『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)や『ザ・ベストテン』(TBS系)で初々しく披露していた頃の話である。そう、今日11月21日は、今から40年前に、薬師丸ひろ子サンの歌手デビューとなる「セーラー服と機関銃」がリリースされた日にあたる。

1978年、角川映画「野性の証明」でスクリーンデビュー


思えば、当時、薬師丸ひろ子サンの立ち位置は、同じ時期にアイドルとして活躍していた松田聖子サンや河合奈保子サンらと少々違った。まだ、男子中学生が女性アイドルを応援するのに若干照れのあった時代、薬師丸サンには堂々とファンを名乗れた気がする。それは、彼女が女優だったからである。「薬師丸のファン」と言うと、少し知的に聞こえたのも事実だ。

デビューは銀幕だった。時に1978年―― 映画『野性の証明』のヒロイン役のオーディションに、ある人が偶然撮った薬師丸サンの写真が本人に内緒で応募され(どうして、世のアイドルたちの履歴書は本人以外の人物が勝手に応募するのだろう)、それを一目見た角川春樹サンがいたく気に入り、最終選考へ。だが、原作の設定年齢8歳に対し、彼女は既に中学1年の13歳。佐藤純彌監督は起用に反対するも、角川春樹サンが強引に押し切る形で優勝する。そして、晴れて角川春樹事務所の専属女優に――。

『野性の証明』は、『犬神家の一族』(1976年)、『人間の証明』(1977年)に続く、角川映画第3弾だった。主演は高倉健。薬師丸サンは、健さん演じる元自衛隊の特殊工作隊員を実の父のように慕う記憶喪失の少女の役。「お父さん、怖いよ…… 何か来るよ…… 大勢でお父さんを殺しに来るよ」という印象的な台詞を覚えている人も多いだろう。大量のテレビCMを投下する角川商法のおかげで、薬師丸サンの芝居とビジュアルはお茶の間に深く浸透。同映画は角川映画初の年間興行収入ランキングで邦画1位に輝いた。

転機となった初主演映画「翔んだカップル」


だが―― この時、薬師丸サンは中学2年。翌年に高校受験を控え、この一作で引退も考えたという。そこで金の卵を逃したくない角川春樹サンは、彼女の時間をなるべく拘束しない仕事を入れる。1979年には、正月1月4日に一回だけ流れた、実相寺昭雄監督による資生堂の超ロングCM「色」に出演。多感な少女を好演し、カンヌ国際広告祭で金賞を受賞する。同年暮れには、映画『戦国自衛隊』の1シーンに若武者の役でカメオ出演。竜雷太サン演じる自衛官に「まだ…… 子供じゃないか」と言われ、銃で撃たれて絶命するが、劇場にはこの1シーン見たさに中高生のファンが殺到したという。

そして、高校に進学した1980年、薬師丸サンの転機となる仕事がやってくる。相米慎二監督の監督デビュー作、映画『翔んだカップル』である。

映画『翔んだカップル』は、山葉圭役の薬師丸ひろ子サンの初主演映画でもある。意外なことに、角川映画ではなく、小椋佳や井上陽水を育てた音楽ディレクター多賀英典サンが設立した映像制作会社キティ・フィルムと、東宝の製作。監督は当時、助監督だった相米慎二サンが指名され、薬師丸サンの起用は、相米監督のアイデアだったという。とはいえ、当初、彼女は出演を固辞し続けた。最終的に、出演を承諾した背景に、高倉健サンの助言があったそう。

一方、角川の側は、当時、薬師丸サンの売り方に迷っていた時期でもあり、比較的軽い気持ちで、薬師丸サンを貸し出した。だが、この作品が後の彼女の女優人生に大きく影響を及ぼすから、世の中わからない。

青春ムービーとしてスマッシュヒット


相米監督は、ひたすら役者に任せるタイプの人だったという。納得いく芝居ができるまで、時間をかけて何度もリテイクを重ねるのが相米流。それは厳しい現場だったが、おかげで、役者は自分で考える癖がついたそう。一度、相米監督と仕事をした役者たちは、こぞって再び監督と仕事をしたいと思うのがその証左。それは、薬師丸サンも例外ではなかった。

実際、撮影中、彼女は、共演の鶴見慎吾サン(田代勇介役)や石原真理子サン(杉村秋美役。彼女はこの映画のためにスカウトされた)らと共に、相米監督から「ゴミ」「ガキ」などと毎日怒鳴られっぱなしだったという。だが、次第に自分の演技を掴めるようになり、やがて演じる楽しさに目覚めたのである。

映画『翔んだカップル』は、興行収入が大きくハネることはなかった。だが、アイドル映画とは違う、異色の青春ムービーとしてスマッシュヒット。役者の瑞々しい演技や長回しの演出も評価され、その年のキネマ旬報ベストテンでは日本映画の第11位と健闘した。

個人的には、ここから翌1981年にかけての薬師丸サンが最高に可愛いと思う。丁度、高校1年から2年にかけて。あのヘッドホンをして、左目から涙が一筋流れ落ちるテクニクスのCMもこの時期だ。

1981年の夏には、ようやく角川自身による薬師丸ひろ子主演映画が公開される。眉村卓原作の『ねらわれた学園』である。監督は、大林宣彦。角川春樹サンは大林監督に「アイドル映画」を発注し、監督は忠実にそのオーダーに応えたという。曰く、生涯唯一のアイドル映画と。

実際、完成した映画は、ストーリー的には凡庸と言えなくもないが、映像は、後の大林マジックの片鱗が見えるし、主題歌もユーミンの「守ってあげたい」で名曲中の名曲だ。何より、主演の薬師丸ひろ子サンが最高に可愛い。髪形もナチュラルだ。間違いなく、この時期に彼女はファンを増やしている。

いよいよ、ブレイクの下地が整った。あの作品の出番である。

薬師丸ひろ子が歌う主題歌「セーラー服と機関銃」


 さよならは別れの 言葉じゃなくて
 再び逢うまでの 遠い約束
 夢のいた場所に 未練残しても
 心寒いだけさ

映画『セーラー服と機関銃』は、『翔んだカップル』同様、キティ・フィルムと相米慎二監督の発案だった。となると、主演は薬師丸ひろ子しかいない。そこで、再度、角川春樹事務所に出演を交渉するが、今度は他社の映画には貸さないと断られる。そこで相米監督はウルトラCとして、薬師丸ひろ子本人に脚本を渡したところ、一読した彼女は作品を気に入り、自ら角川春樹サンを口説くという。

そして、事態は好転。映画の製作に角川も加わり、更に赤川次郎の原作本(主婦と生活社)の文庫本を角川書店から出すという条件で、薬師丸サンの映画出演が決まった。

撮影は快調に進んだ。というのも、角川春樹サンが相米監督の演出に全幅の信頼を寄せ、一切口出しをしなかったからである。有名な話だが、例のクライマックスの機関銃の乱射シーンで、誤ってガラス瓶の破片が薬師丸サンの頬に当たり、小さな傷が出来た時、キティ側のプロデューサーが顔面蒼白で角川春樹サンに謝罪に伺うと―― 「傷のある顔をアップに宣伝に使う」と逆に提案されたという。

全ては順調に進んだ。だが、1つだけ角川春樹サンが強烈にNGを出したことがあった。主題歌である。当初、同映画の主題歌は、キティ・レコードに所属する作曲者の来生たかおサンが歌う「夢の途中」のはずだった。まだ、彼がヒットメーカーになる前である。これに角川春樹サンが反発する。

「ひろ子に歌わせるのはどうか?」

そこで、相米監督が薬師丸ひろ子サンの説得に当たった。粘り強く交渉し、試しに吹き込んだところ、抜群の歌唱力。予想以上の出来栄えに、今度は監督自身が驚いた。早速これを角川春樹サンに聴かせたところ、一転、承諾。

「いいね。ただ1つだけ―― タイトルを変えられないか」
「例えば?」
「セーラー服と機関銃」

名曲が誕生した瞬間だった。

薬師丸ひろ子 歌手活動40周年記念

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2021.11.21
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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