鬼才ヤン・シュヴァンクマイエルの傑作映画「アリス」
チェコスロバキアが産んだ鬼才、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の傑作『アリス』がAmazon Primeでいよいよ無料に! …… とわざわざ書くのは、それに合わせるようにしてルイス・キャロル研究で有名な(ぼくの恩師でもある)高山宏先生の新刊『アリスに驚け』(青土社)が出たから。そして、思いっきり宣伝になりますが、その「あとがき」を僕が書いているからです。
というわけで、アリス本刊行記念も兼ねてこの映画について紹介していきましょう。
長編第一作にあたるこの映画を撮る前に、シュヴァンクマイエルは『ジャバウォッキー』(1971年)や『地下室の怪』(1982年)といったアリスに関連した短編を撮っています。このことからも分かるように、キャロル作品は幼いころから彼の錬金術的シュルレアリスムに欠かせない霊感源で、その愛が昂じた結果、シュヴァンクマイエル自身の挿絵入りで『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の2冊を出版しています(ともに国書刊行会で翻訳)。
開けてびっくり玉手箱? 映画全体に漲う “驚異” 感覚
とはいえ、この映画はキャロルの原作にそれほど忠実ではなく、あくまで独自の美学が貫れています。少女アリスの執拗に繰り返される “口” のクロースアップからも分かるように “食” と “グロテスク” がこの人のキーワードで、そのごった煮の世界観を映し出すように作中には奇っ怪な人形、オブジェ、キメラ、珍品ガラクタの類がてんこ盛り。映画版で特筆すべきは何度も出てくる机と引出のイメージで、この引出をアリスが開けるとハサミだのコンパスだのガラクタが詰め込まれていたり、ときには(ドラえもんののび太の机のように?)異次元空間に直結していたりします。
この摩訶不思議な引出を筆頭に、開けてびっくり玉手箱的な “驚異” 感覚がシュヴァンクマイエルの映画全体には漲っています。これは彼の故郷チェコはプラハの皇帝ルドルフ2世が、かつて世界中の珍奇なものを蒐めて陳列した「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」で名を馳せた歴史を思い出させます。実際シュヴァンクマイエルはこのルドルフ2世に捧げた短編映画「自然の歴史(組曲)」(1967年)を撮っているほどで、影響は明らかです。
人工的に “驚異” を作りだす、傾(かぶ)いた人間の精神性
このあたりまで来ると、先ほどの高山先生の本のタイトルが『アリスに驚け』とやたら “驚異” を打ち出していた理由の一斑が分かってきます。この“驚異” が意味するところとは、『不思議の国のアリス』のノンセンスな言語遊戯百態こそが “ことばの驚異の部屋” なのであって、続編『鏡の国のアリス』に出てくる翻訳者泣かせな言語怪獣ジャバウォッキーはその化身なのです。
映画冒頭、アリスが退屈そうにティーカップに石ころを投げ入れて遊んでいると、ふとワンダーランドへの旅が始まりますが、こうした倦怠突破のためヘンテコなものを寄せ集めて人工的に “驚異” を作りだす、傾(かぶ)いた人間の精神性をマニエリスムといい、ルドルフもキャロルもシュヴァンクマイエルもこの異端の系譜に並ぶのだ、というのがうちの高山先生の持論です。
『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)という本を書いた僕が何より “驚き” だったのは、シュヴァンクマイエルは元祖ゴシック小説と目されるホレス・ウォルポール『オトラント城綺譚』やアメリカン・ゴシックの覇者エドガー・アラン・ポーの短編小説など一般に “ホラー” とされる作品群も映画化しているのですが、それらを純粋な “恐怖” というよりむしろチープで愛すべき “驚異” のカテゴリーに位置付けていることです。
ビックリさせるだけじゃない、シュヴァンクマイエル作品はセラピーである
たしかによくよく考えればゴシックホラーによくある中世のお城であるとか、吸血鬼であるとか、呪いの書物であるとか、どれも鬼面人を驚かす人工的な設定で、このチェコのアーティストの目から見ればゴシックもキャロルもルドルフも、驚異美学すなわちマニエリスムの血脈となるわけです。
しかし、シュヴァンクマイエルはビックリさせるだけが能ではなく、こうした驚異の部屋的な映画を通じて「ある種の物に見出される、私自身の散り散りになった感情の痕跡を集めている」とエモいことも言っています。
ルドルフ2世が変なものを掻き集めていた時代のヨーロッパは、まさに宗教戦争によって人間精神が引き裂かれていた時代だったことは偶然ではなく、「蒐集行為としての芸術」(四方田犬彦)は一種自分のこころを繋ぎとめるセラピーだったのです。
と、今回はなにやら澁澤龍彦的なマニアックな世界に入ってしまって恐縮ですが、次回はもっとポップに(… といってアリス絡みですが)シュヴァンクマイエルが唯一監督したあるミュージックビデオを取り上げようと思います。
2020.10.08