さて、1978年4月に渡辺プロダクションに入社した私ですが、禅寺での研修合宿を終えた新入社員は次に、すべての部署を2週間ずつ、実際の現場につきながら、経験していきます。その後、正式に配属部署が決まるのです。
もとより芸能界が好きで受けたわけではない私、タレントのマネージャーなど全くやりたくありませんでした。現場を見ていいなと思ったのは、レコーディングスタジオに出入りする渡辺音楽出版の制作部だけです。会社のほうもコイツはここにしか使えないなと思ったのでしょうか、私は無事に渡辺音楽出版所属となりました。ただし、制作をやる前にプロモーションを勉強しなさいと、販売促進部に入れられました。
渡辺音楽出版の販売促進部は、伝統的にラジオへのプロモーション業務を担っていました。テレビはマネージャーがいる渡辺プロの制作部が、新聞・雑誌は渡辺プロの宣伝部がやる、というふうに役割分担がありました。だけど、そのうち制作へという前提だったからか、メインのラジオ担当ではなく、有線放送をやるように言われました。夜な夜な、何枚もシングル盤を持って銀座や浅草の有線放送局を回り、その場でかけてもらうのです。
ところで、1978年と言えば、ディスコブームです。でも私たちがプロモーションするのは渡辺音楽出版が著作権を持つ楽曲なのでほとんどは邦楽。洋楽メインのディスコものは少なかったのと、あったとしてもレコード会社の宣伝部が動くので、あまりこちらの出る幕はなかったのですが、そのうち、加山雄三やキャンディーズの曲をディスコに焼き直したような便乗商品も作られ、「これはウチがディスコでプロモーションするしかないでしょ」「誰がやるの?」「手が空いてる福岡が」ということで、有線ついでにディスコにも行くことになりました。
もっぱら新宿歌舞伎町です。六本木はちょっと大人向けで、邦楽のディスコ風なんて相手にしてくれませんでしたから。で、これもDJの人にお願いしてその場でかけてもらうのですが、苦労したのが入店時。当然黒服の人にチェックされるので、「レコードのプロモーションです」と頭下げて入れてもらうのですが、レコード会社の場合は、ソニーとかビクターとかワーナーとか、黒服の兄ちゃんでも知ってますよね。なのですぐ「どうぞ」となりますが、「渡辺音楽出版です」って言っても誰も知りません。だから行く度に胡散臭そうな顔をされて。
さて、当時のディスコの勢いはほんとにすごく、ストーンズやキッスやロッド・スチュアートのようなビッグアーティストもディスコ調にしないと売れないという状況でしたが、逆に無名のアーティストであっても、ディスコで受ける音であれば売れました。必然的に一発屋も多かったです。アース・ウィンド&ファイアーやシックはその後も活躍しますが、レイフ・ギャレット、アラベスク、ボニーM、グロリア・ゲイナーなどなど、ディスコブームとともにシャボン玉のように膨らんでは消えたアーティストたちがたくさんいました。
中でも強烈だったのが、テイスト・オブ・ハニー(A Taste Of Honey)ではないでしょうか? 代表曲「今夜はブギ・ウギ・ウギ(Boogie Oogie Oogie)」は全米1位の大ヒットとなり、歌舞伎町のディスコでももちろん聴かない日はありませんでした。キャッチーなベースライン、それに絡む「チャカチャン」というフレーズが印象的なギターカッティング。まさに、「ザ・ディスコサウンド」でした。
その後1981年に「上を向いて歩こう(Sukiyaki)」のカヴァーヒットを出したものの、ブームの終焉とともにあっという間に忘れ去られていきましたが、今も、この曲を聴くと、あの頃の歌舞伎町の、雑駁ながらもエネルギッシュだった光景が蘇ってきます。
2016.12.29
YouTube / SC Entertainment