10月19日

山下達郎「蒼氓」普遍へと向かう魂の共鳴

88
0
 
 この日何の日? 
山下達郎のアルバム「僕の中の少年」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1988年のコラム 
今まさに聴かれるべき心の処方箋、トラヴェリング・ウィルベリーズの逸品

グルメブームの火付け役【美味しんぼ】主題歌!中村由真「Dang Dang気になる」

最強のスーパーグループ、トラヴェリング・ウィルベリーズはずっと生き続ける!

独りぼっちの永遠の味方、山下達郎が奏でる「僕の中の少年」

遊佐未森のセカンドアルバム「空耳の丘」プロデューサー外間隆史時代の始まり

遊佐未森ヒストリー:「空耳の丘」レコーディング・エンジニア物語

もっとみる≫



photo:Warner Music Japan  

大人にならないとわからない味わいというものがある。二十歳になる手前でこの曲に出会ったとき、私は完全に素通りをした。

山下達郎「蒼氓」。

発表は、1988年のアルバム『僕の中の少年』。なんと後半のコーラスには、桑田佳祐、原由子夫妻が参加している。

この頃の私は、「夏だ、海だ、タツローだ!」というイメージにまんまと飲み込まれ、達郎のことを洗練されたリゾートソングの作り手くらいにしか受け止めていなかった。もちろん、達郎が作リ出す音楽に、大好きな曲はたくさんあったが、そのサウンドのカッコ良さが際立てば際立つほど、私は音を追うことに翻弄され、達郎の声も楽器のひとつと解釈する中で、そこに言葉の意味を拾い上げるイトマはなかった。

そのイメージを払拭したのは、2012年、映画館で上映された『山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012』。

ライヴの評判はあちこちから聴いてはいたものの、初めて目にしたスクリーンの中の “動く” 達郎は、私の想像を遥かに超えていた。ものすごい熱量で歌声を放ち、ギターを掻き鳴らし続ける。そして、その言葉ひとつひとつの説得力たるや、今まで私は何を “聴いたつもり” になっていたのだろうと、自分を恥じ入るのに十分だった。

達郎の歌が、サウンドとしてではなく “言葉” として深く私の中に入ってきた瞬間、この人の音楽をもう一度きちんと受け止めたいと強く思った。そして、感動の追体験を求め、教典を探すようにライヴ映像を探した。だが、そんな都合の良いものはこの世に存在しない。せめてもの音像を、ライヴ録音の『JOY / TATSURO YAMASHITA LIVE』に頼り、聴き直すことにした。

達郎の発する “言葉” に焦点をあてる。キラキラとした曲たちの中に、時折現れる強いメッセージ。


 本当の事なんて
 何一つ届きはしない
 幸せの振りをして
 むせ返る街のざわめき

 悲しみの声に答える術もなく
 僕はどうすればいい

(「THE WAR SONG」より)


世の中の歪みに対する焦燥や怒り。そこには、今まで見えなかった世界が広がっていた。達郎がこんなにも、もがいていたなんて…。

「音楽は、そして文化は平和でなければ成立しない」と達郎は言う。自分が愛する音楽のため、また自分の音楽を愛してくれる人々のため、平和を脅かすものへの憤りはひとしおなのだろう。

そして静かに訪れる「蒼氓」。

繰り返されるのは、美しくも着地感のないハーモニー。そのループは、どこから来て、どこへ向かうのかわからぬまま続く、人生の歩みを投影しているかのようだ。

この曲は、「無名性、匿名性への熱烈な賛歌」として作られたという。達郎と同じく、もがきながらも生活という営みを引き受け、明日へと進んでいく無数の民へ捧げる歌だ。「世の中にリリースし、自分の手を離れたあと、楽曲は独自に歩き始める」と達郎は語る。88年、この曲が世に出された直後に、「平成」の幕は開いた。

消費税の導入、湾岸戦争、ベルリンの壁とソビエトの崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ、リーマンショック、そして東日本大震災と原発事故。

時の流れとともに我々の目に映る様々な景色の中、この「蒼氓」は、それぞれの意味を持ちながら、ひとりひとりの心にゆっくりと浸透していった、そんな曲なのではないだろうか。


 凍りついた夜には
 ささやかな愛の歌を
 吹きすさんだ風に怯え
 くじけそうな心へと
 泣かないで この道は
 未来へと続いている


この歌詞から思い起こす出来事は人によって違えど、人間生きていれば「ささやかな愛の歌」が必要な場面が必ずある。そして、その歌に救われた分だけ、そのメロディーは自分の中の普遍となっていく――。

私には、この曲の中で、ずっと気になっていた一節があった。


 限りない命のすきまを
 やさしさは流れて行くもの
 生き続ける事の意味
 誰よりも待ち望んでいたい


限りあるはずの命が「限りない命」とされ、「待ち望む」という受け身な姿勢に付け加えられた、「誰よりも」という積極性。これは、一体どういうことなんだろう。

昨年私は、念願だった達郎のコンサートを観る機会に恵まれた。毎年、セットリストに変化はあっても、主な構成の軸は変わらないという。アカペラがあり、あの名曲があり、客席総立ちとなる数曲がありという流れ。

達郎いわく、それは数年ぶり、数十年ぶりに来てくれた方が、違和感、疎外感なくコンサートを楽しめるようにという願いからだそうだ。なんという長期的配慮だろう。まるで、何十年もの間、街角で変わらぬ味を出しつづける洋食屋のようだ。ずっとそこに在り、必要とされるもの。達郎はそこに向かっているのだろうか。

今回、ツアー開始前の6月に亡くなったシュガー・ベイブのベーシスト、寺尾次郎を追悼し「WINDY LADY」「DOWN TOWN」が演奏された。その数曲あとに歌われたのが、ツアーでは初登場となる「REBORN」。


 私たちはみんな
 どこから来たのだろう
 命の船に乗り
 どこへと行くのだろう
 あなたから私へと
 私は誰かへと
 想いを繋ぐために

 (中略)

 たましいは決して
 滅びることはない
 いつかまた きっとまた
 めぐり会う時まで
 少しだけのさよなら
 たくさんのありがとう
 少しだけのさよなら


達郎が2008年にツアーを再開して10年、その間に逝ってしまった、かけがえのない人たち。佐藤博、青山純、大瀧詠一、吉田敬、村田和人、松木恒秀、寺尾次郎…。

MC で達郎は語る。残された人間は亡くなった者の分まで、一所懸命生きていかなければならないと。そして「たましいは決して 滅びることはない」と。

ここで私は気がかりの答えを見つけた。

「蒼氓」での「限りない命」とは、自分だけの命のことではなく、関わった人間すべての命を指し、「生き続ける事の意味 誰よりも待ち望んでいたい」にみえる積極性は、残された人間としての使命であり誠意なのではないだろうかと。

アンコールに差し掛かり、ステージセットには大きな月が現れた。かつて子供の頃には天文学者に憧れ、渋谷のプラネタリウムに足繁く通ったという達郎。何があろうと変わらず空から光を放ち続ける月や星。そこに浮かび上がった達郎の普遍への憧憬は、2000人を照らし、ステージはクライマックスへと向かった。

内外の平和達成という願いのもと名付けられた「平成」が終わり、また新たな時代が始まった。これからも、あなたの「ささやかな愛の歌」があれば、私たちはきっと未来に光を見つけられるだろう。


※2019年2月4日に掲載された記事をアップデート

2019.10.19
88
  YouTube / Warner Music Japan


  Apple Music
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1972年生まれ
せトウチミドリ
コラムリスト≫
13
1
9
8
7
駆け出した竹内まりや、「ハワイアン・ドリーム」で加速した夢の続き
カタリベ / goo_chan
25
2
0
2
1
山下達郎「クリスマス・イブ」悲しい失恋ソングがこれほどまでに支持を集めるわけ
カタリベ / goo_chan
22
1
9
8
0
EPO「DOWN TOWN」から始まってアイズレー・ブラザーズへと続く音楽旅路
カタリベ / 宮井 章裕
42
2
0
2
2
葛谷葉子インタビュー ♪ 復活アルバム「TOKYO TOWER」シティポップブームで大注目!
カタリベ / 長井 英治
23
1
9
8
5
鎌倉ラプソディvol.1 江ノ電 ~ サザンオールスターズの鎌倉物語
カタリベ / 時の旅人
331
1
9
8
8
菊池桃子がロックバンド? ラ・ムーの名盤「Thanks Giving」を聴いて!
カタリベ / 臼井 孝