大人にならないとわからない味わいというものがある。二十歳になる手前でこの曲に出会ったとき、私は完全に素通りをした。
山下達郎「蒼氓」。
発表は、1988年のアルバム『僕の中の少年』。なんと後半のコーラスには、桑田佳祐、原由子夫妻が参加している。
この頃の私は、「夏だ、海だ、タツローだ!」というイメージにまんまと飲み込まれ、達郎のことを洗練されたリゾートソングの作り手くらいにしか受け止めていなかった。もちろん、達郎が作リ出す音楽に、大好きな曲はたくさんあったが、そのサウンドのカッコ良さが際立てば際立つほど、私は音を追うことに翻弄され、達郎の声も楽器のひとつと解釈する中で、そこに言葉の意味を拾い上げるイトマはなかった。
そのイメージを払拭したのは、2012年、映画館で上映された『山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012』。
ライヴの評判はあちこちから聴いてはいたものの、初めて目にしたスクリーンの中の “動く” 達郎は、私の想像を遥かに超えていた。ものすごい熱量で歌声を放ち、ギターを掻き鳴らし続ける。そして、その言葉ひとつひとつの説得力たるや、今まで私は何を “聴いたつもり” になっていたのだろうと、自分を恥じ入るのに十分だった。
達郎の歌が、サウンドとしてではなく “言葉” として深く私の中に入ってきた瞬間、この人の音楽をもう一度きちんと受け止めたいと強く思った。そして、感動の追体験を求め、教典を探すようにライヴ映像を探した。だが、そんな都合の良いものはこの世に存在しない。せめてもの音像を、ライヴ録音の『JOY / TATSURO YAMASHITA LIVE』に頼り、聴き直すことにした。
達郎の発する “言葉” に焦点をあてる。キラキラとした曲たちの中に、時折現れる強いメッセージ。
本当の事なんて
何一つ届きはしない
幸せの振りをして
むせ返る街のざわめき
悲しみの声に答える術もなく
僕はどうすればいい
(「THE WAR SONG」より)
世の中の歪みに対する焦燥や怒り。そこには、今まで見えなかった世界が広がっていた。達郎がこんなにも、もがいていたなんて…。
「音楽は、そして文化は平和でなければ成立しない」と達郎は言う。自分が愛する音楽のため、また自分の音楽を愛してくれる人々のため、平和を脅かすものへの憤りはひとしおなのだろう。
そして静かに訪れる「蒼氓」。
繰り返されるのは、美しくも着地感のないハーモニー。そのループは、どこから来て、どこへ向かうのかわからぬまま続く、人生の歩みを投影しているかのようだ。
この曲は、「無名性、匿名性への熱烈な賛歌」として作られたという。達郎と同じく、もがきながらも生活という営みを引き受け、明日へと進んでいく無数の民へ捧げる歌だ。「世の中にリリースし、自分の手を離れたあと、楽曲は独自に歩き始める」と達郎は語る。88年、この曲が世に出された直後に、「平成」の幕は開いた。
消費税の導入、湾岸戦争、ベルリンの壁とソビエトの崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ、リーマンショック、そして東日本大震災と原発事故。
時の流れとともに我々の目に映る様々な景色の中、この「蒼氓」は、それぞれの意味を持ちながら、ひとりひとりの心にゆっくりと浸透していった、そんな曲なのではないだろうか。
凍りついた夜には
ささやかな愛の歌を
吹きすさんだ風に怯え
くじけそうな心へと
泣かないで この道は
未来へと続いている
この歌詞から思い起こす出来事は人によって違えど、人間生きていれば「ささやかな愛の歌」が必要な場面が必ずある。そして、その歌に救われた分だけ、そのメロディーは自分の中の普遍となっていく――。
私には、この曲の中で、ずっと気になっていた一節があった。
限りない命のすきまを
やさしさは流れて行くもの
生き続ける事の意味
誰よりも待ち望んでいたい
限りあるはずの命が「限りない命」とされ、「待ち望む」という受け身な姿勢に付け加えられた、「誰よりも」という積極性。これは、一体どういうことなんだろう。
昨年私は、念願だった達郎のコンサートを観る機会に恵まれた。毎年、セットリストに変化はあっても、主な構成の軸は変わらないという。アカペラがあり、あの名曲があり、客席総立ちとなる数曲がありという流れ。
達郎いわく、それは数年ぶり、数十年ぶりに来てくれた方が、違和感、疎外感なくコンサートを楽しめるようにという願いからだそうだ。なんという長期的配慮だろう。まるで、何十年もの間、街角で変わらぬ味を出しつづける洋食屋のようだ。ずっとそこに在り、必要とされるもの。達郎はそこに向かっているのだろうか。
今回、ツアー開始前の6月に亡くなったシュガー・ベイブのベーシスト、寺尾次郎を追悼し「WINDY LADY」「DOWN TOWN」が演奏された。その数曲あとに歌われたのが、ツアーでは初登場となる「REBORN」。
私たちはみんな
どこから来たのだろう
命の船に乗り
どこへと行くのだろう
あなたから私へと
私は誰かへと
想いを繋ぐために
(中略)
たましいは決して
滅びることはない
いつかまた きっとまた
めぐり会う時まで
少しだけのさよなら
たくさんのありがとう
少しだけのさよなら
達郎が2008年にツアーを再開して10年、その間に逝ってしまった、かけがえのない人たち。佐藤博、青山純、大瀧詠一、吉田敬、村田和人、松木恒秀、寺尾次郎…。
MC で達郎は語る。残された人間は亡くなった者の分まで、一所懸命生きていかなければならないと。そして「たましいは決して 滅びることはない」と。
ここで私は気がかりの答えを見つけた。
「蒼氓」での「限りない命」とは、自分だけの命のことではなく、関わった人間すべての命を指し、「生き続ける事の意味 誰よりも待ち望んでいたい」にみえる積極性は、残された人間としての使命であり誠意なのではないだろうかと。
アンコールに差し掛かり、ステージセットには大きな月が現れた。かつて子供の頃には天文学者に憧れ、渋谷のプラネタリウムに足繁く通ったという達郎。何があろうと変わらず空から光を放ち続ける月や星。そこに浮かび上がった達郎の普遍への憧憬は、2000人を照らし、ステージはクライマックスへと向かった。
内外の平和達成という願いのもと名付けられた「平成」が終わり、また新たな時代が始まった。これからも、あなたの「ささやかな愛の歌」があれば、私たちはきっと未来に光を見つけられるだろう。
※2019年2月4日に掲載された記事をアップデート
2019.10.19