ジョージ・ハリソン、ジェフ・リン、ロイ・オービソン、トム・ペティ、ボブ・ディランによるアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』(1988年)。
すでに高名なメンバーが集まった、いわゆるスーパーグループは70年代から色々と散見できるが、彼らが史上最後の成功例という気がする。
元々は、ジョージがリンにサウンドプロデュースを依頼したことに端を発したプロジェクト。彼らの会食に同席していたオービソンも協力するとなった時点で、おそらく英国人の2人には野心が芽生えていたのだろう。ディランのガレージを借りるというのも、預けていたギターをペティから返してもらうというのも、素晴らしい才能を誘い込むきっかけが欲しかったのだと思う。
このアルバムの歴史的意義を理屈っぽく探ると、“ロックルーツにおけるカントリーの復権” という見地が浮かぶ。ロックンロールの黎明期に米国ビルボードチャートは『ポップ』『カントリー』『R&B』という主要部門を揃えたが、ロックンロールとは元来まさしく、この3つをまたがって誕生した音楽。楽曲によって構成率の違いはあれど、1曲の中にいずれの部門にも扱われ得る要素が混在していたのだ。
ところが、60年代半ばから英国人がロックシーンの主導権を握ると、カントリーだけは徐々に米国の内に限った懐古趣味のような音楽と見なされはじめる。カントリー自体、スコッチやアイリッシュの伝承音楽がルーツにあるが、ブリティッシュロックはカントリーにほぼ依存せず発展(かわりに、クラシックや現代音楽、民俗音楽など幅広い要素を取り込んだ)。
そのため現代ではポップもR&Bも、かつてとはだいぶ異なる拡大解釈がされる一方、カントリーは垢抜けないまま。海を越えて日本まで聴こえてくるだけの影響がないのである。大まかにみて、70年代までに名を売ったロックアーティストは、カントリーの色が強かった者ほど80年代と反りが合わず、現役感の保持に苦闘したように思う。
そう、いわば、『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』は、80年代の終わりにオールドウェーヴであることを開き直ったロックンローラーたちが(無意味な偽名を冠して)集まり、ニューウェーヴへの復讐を敢行したような記録。
ただし、まったく殺伐としてはおらず、まるで部室にて再会した軽音楽部 OB が思い出話のかわりに楽器を鳴らしているくらいに、柔和な雰囲気が漂う共演である。一聴してすぐ分かる5人の個性の乱立が、ただただ楽しい。
オービソン、ペティ、ディランそれぞれの流儀を尊重しつつも、カントリー特有の “土埃” がロックリスナーの眼前に立ち過ぎないよう、英国的な様式美(特にコーラスワーク)も絶妙に加味しているジョージとリンの手腕に感心する。そうやって俯瞰できるメンバーがいたからこその大成だったのだろう。
アルバムは、見事ミリオンヒット。グラミー賞も受賞し、後年の再発盤も英国をはじめ欧州複数国のヒットチャートで1位を獲得するほどヒットした。
功労者たちの訃報が相次ぎ「彼・彼女が遺した作品はずっと生き続ける」というのが世間による追悼の決まり文句になってきた今日この頃。ウィルベリーズでいえば、本作発表からほどなくしてオービソンが他界(享年52)、2001年にはジョージが他界(享年58)、さらに2017年にはペティまで他界し(享年66)、残るメンバーは2人だけになってしまった。
しかしいくら聴き返しても、彼らの生涯の悲哀など少しも作品に付け足されずに響くからまた凄い。ほんとにレコードの中に居続けてるんだなと、決まり文句が嘘じゃないことを実感できるカラッとしたアルバムだ。
純然たるロックンロールの生命力たるや改めて恐れ入る。
※2018年3月31日に掲載された記事をアップデート
2019.10.18
YouTube / OfficialWilburyVEVO
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