嬉しい初アナログ化、高野寛の大ヒットアルバム「CUE」
高野寛の大ヒットアルバム『CUE』がめでたく2021年2月17日に初アナログ化された。1990年3月にリリースされたアルバムを当時はCDで聴いており、今、アラフィフになってレコードで聴くという不思議な体験にドはまり中の今日この頃なのだ。
本作『CUE』のアナログリイシューの背景には何があるのだろう? リリース30周年をアニバーサリーするのであれば、1年遅いし、レコードストア・デイとも絡んでいない。もしやシティポップ的再評価が高野寛にまで広がってきているのだろうか?
リリースのタイミングや意図はよく分からないのだが、何はともあれ大好きな作品がアナログレコードで手に取ることができ、針を落として温もりある音で楽しめることは音楽ファンにとって至福の体験なのだ。
シティ・ポップの名曲ベスト100に選ばれた高野寛のデビューアルバム
1988年にリリースされた高野のデビューアルバム『hullo hulloa』は、“シティ・ポップの名曲ベスト100” に選ばれている。
シティポップとは、海外のAORやアメリカンロックの愛好家、ヴァイナル・ディガーがアメリカやイギリスの音源を掘りつくしてしまい、他に聴くものはないものかとネット経由で色々な音楽を探しまくり、70年代以降の洋楽の影響下にある日本のポップミュージックに辿り着く。そうしたレコードを買い漁ることから起きたムーブメントというのが一般的なようだ。海外の愛好家たちからすると、極東のシティポップは辺境AOR、辺境ポップ… ということなのかもしれない。
こうしたシティポップ事情から考えると、トッド・ラングレンがプロデュースし、ウッドストックで録音されている本作は、海外の愛好家にとっては、とても興味深い作品と言えるだろう。
そして、そんな期待に充分応える傑作アルバムが本作『CUE』なのだ!
アルバムごとに反映される洋楽の影響
高野寛はデビュー後、アルバムの発表を重ねるごとに洋楽からの影響を色濃く表現に反映させてきたアーティストだ。
デビューアルバム『hullo hulloa』は高橋幸宏のプロデュースの元、ストレートに日本語でポップソングを歌っている。後のJ-POPの雛形と言えるような楽曲やアレンジが目立つアルバムだ。本作収録曲の「世界は悲しすぎる」は本人曰く “独り言以上、メッセージソング未満” という彼の世界観を垣間見れる名曲だ。しかし、アルバム全体を通した印象は以降のポップマエストロぶりには一歩及ばず… という印象の作品と言わざるを得ない。
続くセカンドアルバム『RING』はセルフプロデュースで1989年にリリースされる。私が高野寛の音楽に初めて触れたのは本作からで、前作に見られたオーバープロデュース気味の作風とは対照的にシンプルなアレンジが施された作品になっている。あからさまなシングルヒット狙いのJ-POP的な楽曲はなくなり、アルバムとしての統一感はグッと増している。
この作品を聴いた時、私はXTCの『スカイラーキング』(プロデュースはトッド・ラングレン)との類似性をとても多く感じた。どちらも密室的なのに牧歌的なポップセンスの心地良さを持っており、高野のトッド・ラングレン好きも納得できる作品となっている。
プロデューサーはトッド・ラングレン、サードアルバム「CUE」
続くサードアルバムとして、リリースされたのが本稿の主題である『CUE』だ。前述のとおりトッド・ラングレンをプロデューサーに迎え、憧れの御大との共同作業ということで高野とトッドのポップマエストロとしての本領が見事に発揮されている。
アルバムのオープニングナンバーの「I・O・N(in Japanglish)」では初期XTCのような弾けるひねくれポップを感じるし、特にギターソロではエイドリアン・ブリュー顔負けのアヴァンギャルドなカッコ良さで、ギタリストとして、その後の大活躍を予感させるような弾きっぷりは痛快だ。
また、アルバムには比較的落ち着いたトーンのシンガーソングライター的な楽曲も多く含まれ、アルバム全体のバランスも申し分なく、サードアルバムにして大傑作をものにしたと言える。先行シングルの「虹の都へ」のヒットがあったとはいえ、こうした決して軽くて聴きやすいわけではない洋楽的なポップミュージックが大ヒットしたことは日本のポップミュージックシーンが成熟してきたことの証しと言えるだろう。
洋楽テイストに大きな自信、ゲストミュージシャンも積極起用
『CUE』の大成功を受け、続く4枚目のアルバム『AWAKENING』もトッドをプロデューサーに起用している。洋楽テイストを強めた『CUE』がヒットしたことは大きな自信となったようで、本作ではさらに洋楽的アプローチを強めている。
収録曲14曲中、5曲がインスト曲でギタリストとしての実力をそれまでの作品にも増して味わうことができるし、インスト曲をインタールードとして配置した曲順の作風は、よりアルバム志向を強めた作りになっている。
音作りも密室的な手工業的なものではなく、ゲストミュージシャンを積極的に起用し、より躍動感を増した立体的な音像を鳴らしている。高野のボーカルも力強さを増し、アーティストとしての絶好調ぶりを感じさせる作品となった。
音楽としての強度を高めるために導入した洋楽テイスト
高野寛は一昨年、デビュー30周年記念アルバム『City Folklore』をリリースしている。リリース時のインタビューで現在のシティポップブームについて、自分が子供のころに無意識に聴いていたニューミュージックが世界的に評価されていることは嬉しいとし、当時のシーンを支えていた元はっぴいえんど~ティン・パン・アレー周辺のミュージシャンから受けた大きな影響が自分の音楽観の土台を形成しているのかもしれないとも語っている。
また、アルバムタイトルの『City Folklore』というのもシティポップをどこか意識してのタイトルなのだろう。
70~80年代に作られたシティポップはそれまでの歌謡曲やニューミュージックをよりオシャレにするために洋楽的な手法を取り入れて作られたもので、究極的には当時の若者がデートのドライブでカーステレオから流れてきて、いい感じになる心地良さを追及したもののように感じる。
しかし、高野寛の洋楽的要素の導入は、デビュー当時はある意味、封印され、押さえつけられていた要素で、それをアルバムを重ねるごとに少しずつ増やしていったもののように思えるのだ。また、デートでいい雰囲気になることを目的としたわけでは当然なく、明らかに音楽としての強度を高めるための導入であり、同時に高野のアーティストエゴを満たすための導入でもあったと感じるのだ。
アーティスト・高野寛の魅力とは?
昨今のシティポップ・ブームについて、私には90年代に流行したフリーソウル・ムーブメントとの類似性を強く感じているのだが、皆さんはどう思われるだろうか?
どちらのムーブメントも日本では、DJが隠れた名盤を発掘→クラブで受ける→中古レコードが価格高騰するというメカニズムで流行に火が付き、これに目を付けたレコード業界がクラブヒットをコンピレーションしたり、アナログリイシューしてリリースするという流れだ。
しかし、高野寛のアーティストとしての魅力は、マニアックな音楽愛好家の「オレは知ってるぜ」的なニッチな趣味性を満たすというよりは、アルバム1枚通して聴くことでその魅力を感じられるものであり、ポップな音づくりとは裏腹に、アーティストとしてのあり様はロックそのものだと感じるのだ!
高野寛の『CUE』がアナログ化されるというニュースを聞いた時、私は真っ先にシティ・ポップ的な再評価を狙ってのアナログリイシューなのかなと勘ぐってしまった。しかし、今のところ、本作のリイシューに関するそうした動きはないようだ。
今回のアナログリイシューがシティポップ的な文脈で語られる前にRe:minderでアーティスト=高野寛の魅力を自分なりに発信できたことはとても嬉しく思うと同時に、希代のポップマエストロのロック魂あふれる90年代初頭の作品を振り返り、シティポップとは別次元での音楽そのものの魅力について再評価されることを期待したい。
追記
私、岡田浩史は、クラブイベント「fun friday!!」(吉祥寺 伊千兵衛ダイニング)でDJとしても活動しています。インフォメーションは私のプロフィールページで紹介しますので、併せてご覧いただき、ぜひご参加ください。
2021.03.07