2021年 12月15日

山下達郎「クリスマス・イブ」悲しい失恋ソングがこれほどまでに支持を集めるわけ

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山下達郎のシングル「クリスマス・イブ(2021 Version)」がリリースされた日
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もはや季節の風物詩、山下達郎「クリスマス・イブ」


毎週、日曜14時前になると携帯電話が鳴って、ラジオのスイッチを入れ、チューニングをTOKYO-FMに合わせるようメッセージが表示される。『山下達郎のサンデーソングブック』の放送時間である。もう何年か続く習慣で、自宅にいる時はもちろん、ドライブ中や外出先でもアプリを使えばいつどこでも番組をチェックできる。つくづく便利になったものだと思う。12月に入って最初のOA。その1曲目を飾ったのは、もはや季節の風物詩ともなった「クリスマス・イブ」だった。

例年このプログラムではこの時期「年忘れリクエスト大会」と、奥方の竹内まりやさんをゲストに迎えた「年末夫婦放談」と番組内容も決まっているのだが、マンネリかといえば、さにあらず。毎回リスナーもそれを楽しみにしているはずである。同じことを続けていても、世相も変われば、取り組んでいることも異なるから、我々は都度新たな話題が繰り出されるのを心待ちにしているのである。

そして今年も12月15日には「クリスマス・イブ(2021 Version)」がリリースされる。3週連続で番組の冒頭で曲がかかったのは、リスナーへのお知らせとプローモーションを兼ねてのことだろう。昨年はアナログ盤。今年は巣ごもり需要を意識しての「お家カラオケ」3曲が収録された限定盤である。カバーのグラフィックこそ変わらないが、今年初めて買う人はもちろん、毎年買う人にも楽しみが持てる趣向を凝らしているのだ。

「クリスマス・イブ」のリリースを “マンネリ” だというつもりはない。12月になれば人々が毎年ツリーを飾るように「クリスマス・イブ」も出るのだ。それを買うも買わないもリスナーの自由なのである。

自身が認めるベストソングが、ベストセラーになった幸運


この楽曲が最初にリリースされたのは、1983年6月。アルバム『MELODIES』の収録曲のひとつとして世に出る形となった。当然後にクリスマスソングで一発当ててやろうなどという下心などなかったはずだ。この曲が世に出たのは夏のことである。本人によればクリスマスを楽曲のテーマにしたのは、たまたまバロック音楽の代表曲であるパッヘルベルの「カノン」をモチーフにして曲を作る構想があり、それが讃美歌のような響きを伴ったことから「クリスマス」に思い至ったということらしい。この60年代のフランス映画のBGMのようなスウィングル・シンガーズのダバダバコーラスを彷彿とさせるアレンジは聴く者に荘厳さを感じさせる効果をもたらした。

確かにヒット狙いのあざとさはなかったにせよ、その完成度については自信作であったことは間違いない。同年4月より達郎氏がパーソナリティを担当していたラジオ番組NHK『サウンドストリート』では、当時このアルバムを2週にわたって全曲、自身の解説付きで紹介するという、今では冠番組の “サンソン” ですら実現しえないような特集が組まれたのであるが、アルバムの最後を飾るこの「クリスマス・イブ」は、その中で、なんと2度にわたっていずれの週でも紹介されたのである。

音楽家にとって自身の会心作が、必ずしも世間からの評価と一致するとは限らない。彼自身も自信作と認めるベストソングであるこの楽曲が、ベストセラーでもあることは、この上なく幸運なことであるということを、後に自らインタビューで語っている。

またそれら彼の思い入れの強さにも理由があった。この楽曲が収録されたアルバム『MELODIES』はアルファ・ムーンレコードへの移籍後初の作品であり、稼ぎ頭としてレーベルの命運も担っていた。1982年リリースの前作『FOR YOU』は自身初のチャート1位を獲得するなど大ヒットアルバムとなったが、リゾートミュージックとも言われた明るい作風から「夏だ、海だ、タツローだ」などと評されたものだったが、一方でこの方向性が決して長続きするものでないことは、本人含めて制作陣の一致した考え方であった。もちろん手堅く既定路線でヒットを狙う戦略もあったに違いないが、あえて作風を一新して新機軸を軌道に乗せることが将来に向けて重要であると判断されたのだ。それまで盟友の吉田美奈子に8割方依頼していた作詞も、本作ではほとんどを自ら手掛けるなど、制作面においては、まさに八面六臂の活躍で取り組んだ。「クリスマス・イブ」は図らずも “ポストリゾート路線” を牽引する役割を果たしたのではないだろうか。

共感を呼んだJR東海のキャンペーン


元々、山下達郎というアーティストは、シングルヒットを狙う音楽家ではなく、タイアップなどで露出を確保して、アルバムの呼び水にするセールス方針を長年貫いてきた。歌番組などのテレビ露出を一過性のものと捉え、ご自身も出演を好まないからである。だからご本人自ら楽曲に対する思いを過剰に訴えたり、世間のイメージを修正したりする機会は、ほぼないといっていいだろう。せいぜいマニアックなラジオ番組で自ら語るぐらいである。

そういう意味でもこの楽曲は、先行してリリースされたアルバムから、半年後の12月になってシングルカットされたという、達郎氏の作品としては稀な存在なのだ。そして彼は楽曲というものは自分の手を離れた時から、時代とともにその社会からの受け止められ方も変わっていくと考え、それが社会の中で育ち、やがて定着していくというのが理想だと語っている。ただ自身の嗜好から書かれた悲観的(ペシミスティック)な歌詞を含むこの楽曲がどうして広く支持されているのかは、わからないそうである。

この楽曲のヒットの大きなレバレッジはいうまでもなく、1988年から始まるJR東海のキャンペーン「ホームタウン・エクスプレス」転じて「クリスマス・エクスプレス」となった例のCMタイアップである。

恋人とクリスマスを過ごすために新幹線で帰京する姿をドラマ仕立てで描いた本作は話題となり、昂揚する気持ちを訴求し、季節のイベント感を強く印象付けた。元来、街の賑わいを横目に眺めている悲しみが描かれているのだが、こうなると「♪きっと君は来ない~」の歌詞ももはや反語でしかないだろう。映像に勝る言葉はないからだ。おそらくRe:minder世代諸氏の多くは70年代に幼少期を過ごし「ケーキだ! サンタだ! プレゼントだ!」と、クリスマスが楽しいイベントであるというイメージが刷り込まれているから、特に受容性が高かったと思う。

キャンペーンは共感を呼び、CMだけではないドラマもバラエティもメディア全体がクリスマスを消費行動の一つのピークとして盛り上げようと躍起になっていた時代だった。まさに意味が変容し、楽曲が独り歩きし始めたのである。

この楽曲が別格の存在になったという点では、今年も開催される小田和正のライフワークともいえるプロジェクトである『クリスマスの約束』、2001年に初めて行われたそのライブで披露されたエピソードが思い出される。

この企画は小田が親交の有無を問わず、リスペクトするアーティストに共演を申し入れ、ある楽曲を共に披露するという趣旨で開催されたが、その中にこの「クリスマス・イブ」も含まれていた。結局、達郎氏は出演を断るのであるが、丁寧な直筆の手紙でその理由と、この曲がオフコースのコーラスワークに触発されて創作したものであることを吐露している。

かつてはライバル視された二人であったが、この互いのエールに敬意を表して番組には「きっと君は来ない」とのサブタイトルがつけられた。双方のリスペクトが交錯する中で小田和正のパフォーマンスが披露されると、それをきっかけにその後もまた多くのアーティストがカバーするようになっていった。

昭和、平成、令和でチャートイン、快挙につながった音楽家の信条


こうした経緯を経て「クリスマス・イブ」はまさに季節のスタンダードになり、毎年のように趣向を変え、形を変えてボーナストラックなり、アナログ盤なりがリリースされ続けている。筆者はそれを達郎氏が自分の音楽と世の中のニーズとの距離感を測るいわばセンサーのような役割を託しているのではないかと感じていたのであるが、どうも昨今のインタビューや発言を見ると、それは違っているようである。

「ポピュラーミュージックは、社会に奉仕しなければならない」というのは、度々メディアでも発言している彼の音楽家としての信条である。それはたとえ自分の楽曲であっても、世の中である意味を持ち始めたら、たとえ自分の意図した方向とは異なっていたとしても、その期待には応えなければならないということを意味しているのではないだろうか。だから山下達郎は今年も「クリスマス・イブ」をリリースするし、生で聴きたいと願うファンのためにライブでも演奏を欠かさない。音質の問題、また楽曲をいたずらに浪費するという観点から、彼はサブスクには否定的な立場をとっているが、この楽曲については解禁しているというのもその証だろう。昭和、平成、令和と3ディケイドでのチャートインという快挙はこうして成されたものである。

ところで達郎氏の作品には、古くは「こぬか雨」から「2000トンの雨」「いつか晴れた日に」「高気圧ガール」「ヘロン」と、天気をテーマにしたものが少なくない。この週末は全国的に天候が荒れ模様で、特に北陸を中心に、雨は夜更け過ぎに雪へと変わる天気が広がりそうな気配もあった。歌詞にすればロマンチックかも知れないが、実際そうなると首都圏の朝の通勤ダイヤは大混乱だ。現実にはせめて週末だけのことにしてもらいたいものである。

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2021.12.20
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