11月1日

偉才の作曲家・萩原哲晶が晩年に挑んだ「イエロー・サブマリン音頭」

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1984年が明けて間もない1月13日、ひとりの偉大な作曲家がこの世を去った。

萩原哲晶、享年58。早すぎる死だった。

誰でも知っているとは言い難いが、歌謡曲、特にハナ肇とクレイジーキャッツなどのコミックソング系が好きな向きにはお馴染みの名前である。代表作はなんといっても植木等の「スーダラ節」だろう。アニメ『エイトマン』の主題歌などテレビや映画の音楽も数多く、主に60~70年代に目覚ましい活躍をみせた。

2019年を迎え、ここでは35年目の供養の一助のつもりで、晩年の80年代ワークスを辿っておきたい。

1945年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)を卒業後、南里文雄とホット・ペッパーズに参加してクラリネットを担当。1949年には自らのバンド、萩原哲晶とデューク・オクテットを結成した。

1952年からの萩原哲晶とデューク・セプテット時代での活動を経て、1955年にはクレイジーキャッツの前身、ハナ肇とキューバン・キャッツの結成に参加する。仇名の “デクさん” は、巨根の持ち主であったことに由来するらしい。生涯7回結婚したというエピソードと簡単に結び付けてはいけないのかもしれないが、決して無関係ではあるまい。

作曲仕事に専念するためグループからは脱退するも、「スーダラ節」に始まる一連のクレイジー・サウンドのヒットは、ほとんどが萩原の作曲、青島幸男の作詞によるものであった。ザ・ピーナッツ、園まり、梓みちよといった渡辺プロダクションの歌手を中心に、正統派の歌謡ポップス作品も少なくない。ちなみにクレイジーキャッツ直系の後輩、ザ・ドリフターズも、デビュー盤の「ズッコケちゃん」と「いい湯だな(ビバノン・ロック)」のみ、編曲を萩原が手がけた。

1971年の「この際カアちゃんと別れよう」を最後にしばらく遠ざかっていたクレイジーキャッツとの久々の仕事となったのが、彼らの結成25周年記念盤として8年ぶりにリリースされた1979年のシングル「これで日本も安心だ!」だった。作詞・青島幸男、編曲・宮川 泰というこの上ない布陣で全盛期と比しても遜色ない出来映えにファンは歓喜した。そしてこの作品が、最後にもう一花咲かせることになる来るべき80年代への助走となったのだ。

1981年、萩原は渡辺プロでクレイジーの遺伝子を受け継いでいたコミックバンド、ビジー・フォーの「たいへん! バイキン音頭」の作曲に取り組む。作詞は細野晴臣らとも交友があり、チェッカーズのデビューに際してビジュアルプロデュースを仕掛けた秋山道男。矢野 誠のアレンジも快調で、ビジー・フォーの音楽性の高さと相俟って評価が高い。そして翌82年には極めて重要な人物との出逢いがあった。かの大瀧詠一である。

まずは5月に大瀧スタンダードの「アンアン小唄」のカヴァー曲、塚たんくろう「アンアン TEACHER」の編曲を担当。マーチ風に仕上げられ、隠れ名カヴァーとなった。人気番組のパーソナリティーを務めていたニッポン放送の塚越孝アナウンサーのレコードだけに、ジャケットのイラストも所ジョージと豪華。しかしこれを当時リアルタイムで買った自分はよほどの変わり者でラジオ好きだと思う(関係ないけど、はた金次郎こと波多江孝文の「SEASON」も名曲)。

そして大瀧がプロデュースし、萩原がアレンジを手がけた金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」は1982年11月にリリースされて大いに話題となった。企画の成り立ちなどの詳細は大瀧自身が記した文献にあたっていただくとして、洋楽に明るくない自分は、本家よりも先にこのカヴァーを聴いて体に刷り込まれてしまったため、その後ビートルズの「イエロー・サブマリン」をどんなに聴いても音頭としか聴こえない困った現象に捉われていたことを告白しておく。

最後のレコードとなったのは1983年、山田邦子「ひょうきん絵書き歌」のアレンジであるが、ほかにも1982年10月から日本テレビ系で放送された水谷豊主演のドラマ『あんちゃん』の挿入歌「うさぎ温泉音頭」(歌・角川博、作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一、編曲・萩原哲晶)が、萩原が亡くなった後に『NIAGARA BLACK BOOK』(1987年)に初収録され、現在は『EIICHI OHTAKI Song Book Ⅱ』で聴くことができる。

また、1986年に大瀧が手がけたクレイジーキャッツの新曲「実年行進曲 / 新五万節」で “原編曲” としてクレジットされたことは、“ナイアガラー=大瀧マニア” の間ではよく知られている話だ。

早くから萩原の仕事を評価し、「スーダラ節」の青島幸男×萩原哲晶×植木等のトライアングルは、「上を向いて歩こう」の永六輔×中村八大×坂本九に匹敵するジャパニーズポップスの嚆矢だと常々提唱していた大瀧詠一…。萩原が亡くなるラスト数年でコラボ出来たことは実に幸せな邂逅であった。

1984年7月に発売されたムック本『シンプジャーナル別冊 大滝詠一のゴー! ゴー! ナイアガラ 日本ポップス史』(自由国民社)には、82年に萩原が大瀧のラジオ番組『スピーチ・バルーン』にゲスト出演した際の対談が採録され、結びには大瀧の追悼文がある。ここにその一部を書き止めておく――。

「(前略)氏がクレイジー・サウンドの実は核であったことを、僕はこの目でしっかりと見届けました。氏とのコンビで、これからもたくさん作品を作っていこうと考えていた矢先での急逝でした。日本のポップスをクレイジー抜きには語れない、いやこれこそ世界に誇る日本のポップスだったことを忘れずに、僕はこれからの音楽活動を続けていきたいと思います。<グレート・ティーチャー萩原>御冥福をお祈りします。非力ですが、あとはお任せください。大滝」

2019.01.14
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