不良とは、体制に対しての少数派という位置づけが一般的である。
ただし学生の頃いちばんに脚光を浴びるのは、音を立てて規則からはみ出してゆく生きざまであり、実のところ少年の社会においては不良こそ体制だった。すると、その群れに片足でも踏み入れていないと孤独を味わうのでは? と不安になった誰かも、次から次へと学ランのホックを外しはじめるのである。
一方、優等生になる健気さも、不良になるしたたかさもなく、校舎の何処にいても場違いな気分で過ごしている少年。彼ら… というか、ぼくらが本当の少数派であり、捉えようによっては最もめんどくさいアナーキストだった。そして、そんなぼくらと同じ目線で歌を届けてくれる永遠の味方が山下達郎なのだ。
タツローの歌は独りが基本だ。想いを届ける術もなかったり、ふたりでいても心が通わなかったり、「WINDY LADY」「高気圧ガール」のように自然現象の擬人化(あるいは、女性という存在の崇高さを示す比喩)だったりする。シティポップの先駆者である反面、都会の群像を描くにしても “僕” 以外の人物の顔がいつもギリギリ見えない角度を選んできた。見覚えのある街を歩いているのに通行人の気配がしない、夢の中に似た孤独が歌に通底していて、ぼくらにはそれがなんだか心地良いのだ。
アルバム『僕の中の少年』(1988年)は、タイトルの通り、タツローの内省的作風が殊に表出した1枚である。スタジオ機材の変遷(デジタル化)を受けて彼がレコーディング方法にひどく悩んできたことは有名だが、同時代の初作『POCKET MUSIC』(1986年)に比べると、本作はふっきれた印象が強い。おそらく従来のフィジカルなグルーヴを追い求めるのはやめ、デジタル然とした涼やかなグルーヴを新たにモノにしてみせると決意したのだろう。ある意味、彼特有のペシミズム(内側)とサウンド(外側)との温度差がなくなった最初のアルバムといえる。
聴きはじめのうちは、彩度が高く濁りのないアンサンブルに違和感をおぼえた。それが聴くにつれ開放感へと変わっていったのは、“僕の中” が宇宙のように広い場所だと気づかされたからだ。本作のハイライト、稀代の名バラードである「蒼氓」については、ちょっと想い出を綴ってもいいだろうか。まぁ大した話じゃないですよ。
あれは高校の修学旅行。翌朝には東京へ帰るという最終日の夕暮れに、函館の観光名所である展望台へバスで訪れる機会があった。客の見世物になっているのはもちろん、宝石のごとく輝く電灯のかたまり。先述の通り協調性に欠けていたぼくは、他の生徒たちから独り距離をおき、街の反対側で夕陽を隠した山々のほうを眺めに出かけていた。
興味をもたれずにそびえる遠くの山々は、ちょうど夕陽に輪郭を縁取られていて、その上に広がる空はまだ昼間にしぼった青も残したままだった。実に神々しく、浮世離れした景色である。
しばらくは息を飲んで独り占めしたが、しだいに他人と共有したほうがいいようにも思えてきて、宝石に吸い込まれている最中の皆のほうを振り返ってみると、街の上の空はもうとっくに夜という夜。黄昏に馴染んだこの瞳に漆黒の闇が飛び込んできた瞬間ゾクッとした。
それまで、夜が来たから灯りをつけているのだと思っていた。夜のはじまりを決めていたのは街のほうだったのだ。2色の空の下、社会の裏表だとか、欲望の在処だとか、孤独の正体だとか、様々な真理らしきものがうっすら見えた気がしたところで、奇しくもぼくの中(イヤホン)のタツローが歌ってくれたのが「蒼氓」だった。
遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届く様に
アルバムを締めくくるタイトルソングは、主人公が折にふれ対峙する相手だったと思しき “僕の中の少年” =過去の自分自身に潔く別れを告げている歌詞である。政治の季節に幻滅し音楽の道を志したタツローは、大成を遂げた80年代に本作を通じて一つの精神的総括、トラウマからの逸脱といったことを試みていたのかも知れない。現時点で日本語タイトルのアルバムはコレ限りだし、とかく特別な気持ちを有した作品であるのは間違いない。
人知れず想い出の
中に住む少年よ
さようなら もう二度と
振り返ることはない
もっとも、愛聴するぼくにとっては本作が “僕の中の少年” を召喚するスイッチになってしまい、カレに別れを切り出せる見通しはまったくついていない。本稿を綴る間にもカレはふいに現れて「独りぼっちだって3年間皆勤賞だったんだぜ。すげーだろ」とぼくに自慢してきた。
そばにタツローがいたでしょ? と言い返しておいた。
歌詞引用:
蒼氓 / 山下達郎
僕の中の少年 / 山下達郎
2018.09.07
YouTube / guest 05
YouTube / MrKamenraidar
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