8月14日

羽田へ舞い降りた松田聖子「ザ・ベストテン」初登場!それはニュースだった!

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松田聖子が「青い珊瑚礁」でザ・ベストテンに初ランクインした日
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時代と並走するドキュメンタリーだった「ザ・ベストテン」


以前、何かの番組で久米宏サンがこんな趣旨の発言をされていた。

「『ニュースステーション』はニュース番組の形を借りたバラエティで、『ザ・ベストテン』はバラエティの形を借りたニュース番組でした」

言い得て妙である。

生放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)は、単なるバラエティに止まらず、時代の “今” を切り取り、包み隠さずリアルタイムでお茶の間に伝える番組だった。

ハプニングも含めて、それはニュースにあふれていた。

例えば、「テレビには出ない」と公言していた松山千春サンが、ファンのリクエストで1位になったのを機にコンサート会場から中継出演して8分間もの独白をしたり、「勝手にシンドバッド」で初登場のサザンオールスターズの桑田サンが、新宿ロフトからの中継で上半身裸になって「目立ちたがりの芸人で~す!」と叫んだり、シャネルズ(当時)が「ランナウェイ」でランクインした際、一人の青年が発した「黒人のくせに……」の発言に黒柳サンが涙で抗議したり―― と、常に時代と並走するドキュメンタリーの趣きがあった。

木曜夜9時、10代の少年少女の必須科目


当時、『ベストテン』を見ないと、翌日の学校で会話の輪に入れなかった。10代の少年少女にとって、木曜夜9時は『ベストテン』を見るのが鉄則だった。

西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が最高得点9999点を出した時、翌日のクラスはその話題で持ちきりだった。また、同曲の連続1位記録が9週で途切れて2位に後退した時も、翌日のクラスはその話題で持ちきりだった。

番組がスタートしたのは1978年1月19日である。リクエストのハガキ・レコード売上げ・ラジオのランキング・有線の4つの総合順位で出場歌手が決まるフォーマットは、日本の音楽番組史上初めてだった。

当時の音楽番組は、プロデューサーが出場歌手をキャスティングするもの。そこには大きな利権が生まれ、番組を担当すれば家が一軒建つとまで言われた。

そんな作り手の “うま味” をベストテンは手放したのだ。代わって、出場歌手のキャスティングをマーケットに委ねた。今で言う、ファン投票で選抜メンバーを決めるAKB48の選抜総選挙の元祖とも言える。その結果、記念すべき第1回は、大スター山口百恵が圏外の11位で出場を逃し、4位にランクインした中島みゆきサンはレコーディングを理由に出場を辞退した。久米サンと黒柳サンは頭を下げた。こんな音楽番組は前代未聞だった。

だが、時代はリアリティを求めた。ランキングに嘘をつかない同番組の姿勢は、次第にお茶の間の共感を得て、視聴率は開始2年目で30%を超えた。

ちょうど音楽界が過渡期で、様々なジャンルの音楽が共存したことも、番組を盛り上げる要因となった。10代のアイドルに加えて、ロックバンド、シティポップのシンガー、和服の演歌歌手が同じソファーに並ぶ姿は同番組ならではの光景だった。

ベストテンの醍醐味と言えば、何より“中継” だった。

毎週木曜夜9時の生放送オンエア中、出場歌手たちがどこで何をしていようとも、TBSが系列のネット局を総動員して、中継してくれた。コンサートやレコーディングの合間に歌ってもらうことは日常茶飯事。時には「カリフォルニア・コネクション」の水谷豊サンのように、他局のドラマ『熱中時代・刑事編』(日本テレビ系)の収録スタジオにTBSのアナウンサー “追っかけマン” がお邪魔することもあった。局の垣根を越えた中継は前代未聞だった。

なかでも、最もエキサイティングだったのは、移動中の中継である。新幹線の停車中に駅のホームで歌ってもらい、発車寸前で飛び乗ってもらったり、高速道路を移動中のクルマに乗っている出場歌手をビルの屋上から望遠カメラで捉えたり――。あの日もそうだった。



そう、忘れもしない1980年8月14日。あの日―― 8位にランクインしたのは、ベストテン初登場(スポットライトを除く)となる、デビュー1年目の松田聖子サンだった。曲はセカンドシングルの「青い珊瑚礁」である。

稀代の新人歌手の登場に相応しい演出とは?


その日、札幌で仕事を終えた聖子サンは、飛行機で東京へ戻るスケジュールだった。番組プロデューサーの山田修爾サンは、この稀代の新人歌手に相応しい、最高のベストテン初登場の演出プランを考えた。

それは、ランキング発表直後、カメラが羽田空港に切り替わると、到着したばかりの全日空機の扉が開いて、聖子さんがタラップを降りて、その場で歌うというもの。元より、『ザ・ベストテン』のランキングボードは羽田空港のフライトボードをイメージして作られており、順位の発表後にカメラが空港に切り替わる演出はシャレも効いている。

空港の保安体制が強化された今では、考えられない演出である。だが、当時も大変だった。山田プロデューサーは全日空の広報を始め、運輸省(当時)や羽田空港の関係各所に日参し、頭を下げまくった。そして、なんとか認可を取りつけ、オンエア当日を迎えた。一方、聖子サンを乗せ、予定の時刻通りに千歳空港を飛び立った全日空機は、一路、羽田へ向かった。

だが―― ここで予定が狂う。風の影響で、羽田空港の到着が5分ほど早まるという。山田Pは頭を抱えた。それでは狙った絵が撮れない。飛行機の到着は、ランキングの発表直後じゃないと意味がないのだ。全日空の広報から連絡を受けた彼は、思わずこう返したという。「その飛行機、スピードを落としてもらえませんか!」。

一介のテレビのプロデューサーが民間旅客機の飛行速度に注文を付ける。ジョークのような話だが、本人は真剣だった。その願いが通じたのか、広報から連絡を受けた全日空機の機長は、気をきかせてエアブレーキをかけずに滑走路を端まで使い切り、誘導路をゆっくりと戻って、スポット(駐機場)へと向かった。定刻通りだった。

羽田空港で歌う初登場の聖子、それはニュースだった




そのころ、TBSのGスタジオでは、久米宏サンがランキングを読み上げていた。

「8位、「青い珊瑚礁」、松田聖子……」

カメラが羽田空港に切り替わる。スポットには “追っかけマン” の松宮一彦アナウンサーの姿。「松田聖子さんは札幌でのキャンペーンを終え、全日空の70便で先ほど羽田空港に着いたところです」。

とはいえ、まだ飛行機の姿は見えない。そこから5、6分、松宮アナはひたすら羽田空港に関する豆知識などで真を持たせつつ、件の全日空機が誘導路から顔を見せるのをまった。

その時がきた。

「今ちょうど飛行機が着きました、ドアが開きました」

最初に聖子サンが顔を出す。タラップを降りる彼女。降り切ったところで、松宮アナからマイクとヘッドホンを受け取る。間髪入れずにスタジオから黒柳サンが話しかける。

「初登場のご感想を」
「とっても嬉しいです」

そして曲紹介の後、前奏が流れる。

 あゝ私の恋は 南の
 風に乗って走るわ
 あゝ青い風 切って走れ
 あの島へ

僕は今でも、この時の光景をよく覚えている。

その18歳の新人歌手は驚くほど華奢で、ステージ衣装ではなく淡い水色のワンピースで、髪は風でやや乱れていた。パッと見、どこにでもいる少女だった。

だが、飛行機をバックに歌うその姿は、実に堂々としていた。目には見えないが、背後にオーラが感じられた。何より歌声がよかった。ややアルトがかった透き通る声、サビの伸びやかさ、語尾のしゃくり、ブレスの余韻――

一聴して僕はとりこになった。曲も素晴らしかった。1番を歌い終えた時点で、既に僕は既にメロディーを覚えていた。こんな経験は後にも先にも、あの時だけだった。

それから5週間後、聖子サンは同曲で自身初の『ザ・ベストテン』の1位になった。あの日、羽田空港で歌った少女は、一気にスターダムへと駆け上がった。

間違いなく、あの8月14日の中継は、ただの音楽番組の1シーンではなく、時代の変化を告げるニュースだった。


※2017年8月14日、2018年8月14日に掲載された記事をアップデート

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2022.08.14
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1961年生まれ
かっちゃん
オンタイムで観ていた記憶が鮮明にあります。ハートを撃ち抜かれました。
因みにリンクの動画が消えているので、貼っておきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32709345
2018/07/09 11:34
0
返信
1963年生まれ
ワタナベース
感動のエピソードですね。指南役さんの語り口がスピード感満載で、youtubeまでたどり着くとそのまま昇天しそうになりました・ω・スバラシイ!
2017/08/14 19:13
1
返信
1970年生まれ
ジャン・タリメー
ザ・ベストテンの位置づけが明快で,松田聖子の演出がその流れに根ざしていることが絶妙に伝わってきてとても勉強になりました.
2017/08/14 10:08
1
返信
カタリベ
1967年生まれ
指南役
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