9月21日

突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ①

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突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ②

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『【佐橋佳幸の音楽物語】売れっ子ギタリストのキャリアは UGUISS 解散の失意から始まった』からのつづき

佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.5(UGUISSメンバー鼎談 ①)

飛行機雲のようにずっと音楽シーンの空に尾を引いているUGUISSの軌跡


佐橋佳幸の40周年は、UGUISSの40周年でもある。

1983年9月21日にシングル「Sweet Revenge」とアルバム『UGUISS』でEPIC・ソニーからデビューした伝説の5人組、UGUISS。このバンドでの活動こそが佐橋佳幸のはじめの一歩だった。メンバーは佐橋(ギター)の他、柴田俊文(キーボード)、松本淳(ドラム)、伊東暁(キーボード、シンセベース)、そして山根栄子(ボーカル)。

米西海岸ロックの影響を色濃くたたえた完成度の高いバンドサウンドと、山根栄子のスイートでパワフルな歌声で同世代のミュージシャンや業界関係者、洋楽マニアたちを大いにうならせた。山根が綴る歌詞の、まっすぐ心に飛び込んでくる等身大のコトバも魅力的だった。



が、1984年暮れ、彼らはセカンドアルバム『Presentation』を完成させながら、それを発表することなく突如解散してしまった。以降、伊東は実業界へと転身。山根はソロとして、セッションシンガーとしてマルチに活躍。残る3人、佐橋、柴田、松本もセッションミュージシャンとしての活動期へと突入した。

佐橋の多彩な活躍ぶりについては本連載【佐橋物語】でこれからも事細かに追いかけてゆく予定。柴田俊文も解散後ほどなくKenji Jammerこと鈴木賢司のバンドに参加したり、1990年に宮原学らとBaby’s Breathを結成したり、2008年からは山下達郎バンドに抜擢されたり、シーンになくてはならない存在に。松本はTULIP(チューリップ)の3代目ドラマーの座についたほか、藤井フミヤやDo As Infinityのサポートとしても活躍。最近はライブハウスからミュージカルの舞台まで、ほぼ毎日どこかでセッションしている多忙ぶりだ。



2012年に山根栄子が若くして世を去るという悲しい別れもあったけれど、それを乗り越えながら折々にメンバーたちは合流。デビュー30周年にあたる2013年には渡辺美里をボーカルに迎え再結成も実現した。様々な事情から解散してしまったものの、メンバーそれぞれが現在に至るまで各々の “場” で放っているのは、全員が忘れず抱き続ける不変のバンドスピリットだ。UGUISSの軌跡は飛行機雲のようにずっと音楽シーンの空に尾を引いている。

UGUISSのオリジナルメンバー3人の激レア鼎談


高校に入った佐橋が次々と出会った仲間たちとやがてUGUISSを結成する… という物語はすでに本【佐橋物語】でも少し紹介したけれど。出会いから解散までの物語を、今回から3回にわたり佐橋、柴田、松本の3人に改めて語ってもらおう。UGUISSのオリジナルメンバー3人の語らい。激レアです。お楽しみください。

佐橋佳幸(以下、佐橋):どこから話せばいいのかな。まず、淳が “人力飛行機” に入るところから?

松本淳(以下、松本):そこから掘るの?(笑)。77年かな。



佐橋:僕が高1の時。エレキギターを手に入れたばかりだったんだよね。で、もともとフォークトリオだった “人力飛行機” でもバンドっぽいことをやりたくなって。渋谷ヤマハ店の掲示板にドラマー募集の張り紙をしたの。それを見て電話をしてきたのが当時中3だった淳。

松本:そうやって知り合ったけれど、でも僕は17歳になる前に高校をやめて、1年くらいアメリカに行っちゃうんですよ。

佐橋:それとは別に僕と柴田も出会ってて。出会わせてくれたのは僕の高校の同級生。彼は柴田の中学時代の同級生だったの。

柴田俊文(以下、柴田):僕は松原高校と同じ学区の都立明正高校に通っていたんですけど。中学時代の友達が松原に行って、そこで佐橋と同級生になるんです。



佐橋:ある日、彼が「今日、下高井戸の雀荘で中学の時の友達と麻雀やるんだけど、柴田っていうキーボードのヤツも来るから紹介しようか」って。話によると「オールマン・ブラザーズ・バンドのアルバム『アット・フィルモア・イースト』の完コピしてるヤツだ」と。そんな高校生、会ってみたいじゃない? それで、麻雀なんかできないのに付いていってみた。そしたらそこに無精ヒゲ生やしたオッサンみたいな人がいて…。

―― 雀荘に無精ヒゲ…。こ、高校生ですよね?

佐橋:僕も、こいつ絶対に高校生じゃないだろと思いました(笑)。でも正真正銘、同い年。その時もいっぱいレコード抱えててさ。ジャズだの何だの、それまで僕が聴いたことのないレコードばかり。初対面のインパクトがすごかったな。で、淳と柴ちゃんが初めて会ったのは?

松本:確か渋谷に柴ちゃんの友達と一緒にライブを観に行った時。このバンド、ボーカルとキーボードがすごい! って驚いて、すぐ楽屋に話しに行った。それが柴ちゃんと、UGUISSの初代ボーカリストになる(竹内)仁恵さん。

柴田:それで僕と淳と仁恵さんとで何かやろうよという話にはなったんだけど、なかなかカタチにならず。そうこうするうちに淳はアメリカに行っちゃって。

佐橋:当時ベーシストだった千歳高校の山本拓夫くんと僕が知り合って、一緒にEPO先輩のバンドで演奏したりしていた頃だよね。

“卒業コンサート” に集まった顔ぶれがUGUISSの母体に


―― だんだんひとつの場所へ吸い寄せられるようにみんなが集まってきたわけですね。

柴田:で、僕らが3年生の時、確か松原高校が主催でいろんなバンドが集まる “卒業コンサート” をやったんだけど。その時に帰国した淳が、僕との共通の友達でもある佐橋を呼んできたんだよ。その時に集まった顔ぶれがUGUISSの母体になったんじゃないかな。

佐橋:だね。それが正解だ。この時はまだ全曲洋楽のカバーだったけど。

柴田:仁恵さんが歌いたかったのはパティ・オースティン、メリサ・マンチェスター、ディー・ディー・ブリッジウォーター、シーウィンド…。

佐橋:あと、ニコレット・ラーソンも。何でも演ってたね。ジャクソンズの「ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー」とかも。あの曲さ、何年か前に和田唱くんと一緒に演ったの。そしたら「佐橋さん、この曲よく知ってますね!」って。「高校の時やってたからさ」って言ったら、唱くんにめちゃ驚かれた(笑)。

―― 全員まだ10代ですよね。演奏力ひとつとっても、超高校級だったはず。

柴田:と同時に、全員とんでもないレコードおたく。演奏がうまい人は他にもいっぱいいたけど。ここまでいろんなレコード漁って、掘ってる人たちはいなかったと思うんですよ。しかも、好きなものはちょっとずつ重なってはいるけど、みんな専門分野が違う。だから会えばずーっと「これ知ってる? これ聴いた?」って情報交換していたね。

佐橋:それまであまり聴いたことのなかったジャズのアルバムを柴ちゃんに教わったり。あとプログレ。柴ちゃん家に行くたび「何これ? 何これ?」って。でも僕が本当にレコードにのめりこむようになったのは、たぶん淳の影響だな。

松本:ふたりでよく渋谷で遊んでて。シスコ、ディスクユニオン、ディスクロードには必ず寄ってたね。まだ渋谷にタワーレコードができる前の時代。



佐橋:あと、淳は自由が丘の「チャーリーブラウン」ってお店でバイトしていたの。あれもデカかったな。

―― 伝説の老舗ロックカフェですよね。

佐橋:マーチンさん(鈴木雅之)もわざわざ蒲田から通っていたらしいです。「あそこでUGUISSのメンバーがバイトしてたんですよ」って話したら、めちゃ驚かれた。淳は3年くらい働いてたよね。

松本:新譜のレコードをお店がたくさん買うわけですよ。それでみんなに「新しいの入ったよ」って連絡すると…。

佐橋:飛んで行ってさ(笑)。コーヒー一杯でずっと粘ってた。

―― 演奏力だけでなく、音楽リスナーとしての情熱がUGUISSの土台になっている?

柴田:何でもすべて “聴く” センスでやってた感じですね。“こういうふうに弾きたい” とか “こういうふうに速く弾きたい” ではなく、“こういうふうに聴こえたい、その方がかっこよくね?” みたいな感覚。それをみんな共通で持っていたよね。もちろんそのために練習ばっかりしたし。とにかくレコードをいっぱい聴いた。

佐橋:バンドをやっているんだけど、音楽聴いたり、音楽のことを話してる時間のほうが断然長かったね。で、この卒業コンサートの後、最初のデモテープを録ったんだっけ?

松本:いや、その前にコンテストに出たよ。

柴田:『MAZDA COLLEGE SOUND FESTIVAL』の第1回目。カセットテープを送ったらあれよあれよという間に日本青年館の決勝大会まで行っちゃった。

佐橋:わ、全然覚えてないや。その時のバンド名は?

柴田:すでにUGUISS。メンバーは仁恵さん、淳、佐橋、僕、そしてもうひとりのキーボード。その時、佐橋はもうひとつの “ヘビーメタル・スターワゴン” ってバンドでも応募していた。そっちのバンドにあっちゃん(伊東暁)がいたんだよね。

佐橋:思い出した! その時見に来ていた某レコード会社の人がUGUISSをすごく気に入ってくれて。ただ、洋楽部の人だったので別の部署の人を紹介してくれて。広尾にあるスタジオでデモテープを録音したの。そこで「Love Can Be With You」を録った。

柴田:僕はあれが初めての本格的なレコーディング体験。プロが使うようなスタジオで、マイクもセットしてさ…。正式なベーシストがまだ決まっていなくて、僕がシンセでベースを弾いたんです。時代的にジノ・ヴァネリとかね、シンセベースがめちゃめちゃ流行ってたし。

松本:そしたら、その音がけっこうカッコよかったんだよね。

佐橋:それで、ちょっと変則的な編成だけどこれでやっていこうって。バンドを組んで最初に「よし、これでやっていくぞ」と決めたのはこの “ラブキャン” のデモを録音した時じゃないかな。テープを聴きながら、「オレたち、これをやっていくべきだな」と確信したっけ。あの瞬間のことはすごくよく覚えている。まだデビューの目処も全然立っていないし、UGUISSと名乗るようになってすぐの頃だったけど…。



【佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.6(UGUISSメンバー鼎談 ②)】へつづく

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2023.10.14
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1964年生まれ
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