1997年 7月21日

【佐橋佳幸の40曲】KinKi Kids「硝子の少年」スタジオで起こったちょっとした事件とは?

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.7
硝子の少年 / ​​KinKi Kids
作詞:松本隆
作曲:山下達郎
編曲:山下達郎



四半世紀を経た今もなお新鮮に響く「硝子の少年」のギターフレーズ


「スタジオミュージシャンとして忙しくなってきた時期、アイドル系のレコーディングでもたくさん弾いていたんです。ただ、アイドルと呼ばれる方々の場合、僕がギターで呼ばれた段階ではまだご本人ではなくて仮歌の人が歌っていたりしたからね。誰が歌うのかもわからず、アルバムの曲なのかシングルなのかもわからず弾くことが多かったの。だから、どの曲で弾いたのかは正確には把握できていないんですよ。弾いているけどボツになった曲もあるだろうし。テレビの歌番組で見て、初めて “あ、これ、俺が弾いた曲だ!“ と気づいたヒット曲もけっこうあったし(笑)。でも、僕が弾いたアイドル系の作品でいちばんヒットしたのは、間違いなくこの曲なんだろうな」

堂本光一と堂本剛からなる二人組、KinKi Kidsのメジャーデビュー曲「硝子の少年」。山下達郎と松本隆という最強ソングライター・コンビが、男性アイドル史上に残る大ヒット、近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」以来、久々にタッグを組んで作り上げた平成アイドル歌謡ポップスの名曲だ。クールな90'sダンスビートと、昭和歌謡の伝統を感じさせる王道哀愁歌謡メロディとの融合。その間奏で、繊細な少年の心をせつなく描いた歌詞の世界を反映するような刹那なギターソロを弾いているのが佐橋佳幸だ。完璧に構築された音像の中で、調和するというよりは “心地よい違和感” を醸し出すギターフレーズ。四半世紀を経た今もなお新鮮に響く。

「たぶん僕のダビングはレコーディングのほぼ最後だったんじゃないかな。スタジオでご本人たちの歌が入ったオケを聴かせてもらって、達郎さんが “この子たち、けっこう歌えるんだよ” と言っていたのを覚えている。だから歌入れも終わってたはず」

ミリオンセラーが大前提… というオファーから始まった作品づくり


作曲、編曲、サウンドプロデュースを手がけた山下達郎は、このプロジェクトのためにかなりの時間を費やして試行錯誤を繰り返していた。ナンバーワンヒット、それもミリオンセラーが大前提… というオファーから始まった作品づくりだった。さすがのベテランも少なからずプレッシャーを感じるプロジェクトだったに違いない。その出口がようやく見えてきた時期におこなわれたギターダビング。山下が全幅の信頼を寄せる若手ギタリスト、佐橋の出番がやってきた。

「事前に曲を聴かせてもらった時、”エレキギターではなくガットギターを弾いてほしい” と達郎さんに言われたの。“えっ、この曲にガットギターっすか!?” と驚いたんだけど、間奏にスパニッシュっぽいオブリを入れて、ちょっとウェットな感じを出してみたいんだ… と。それで、山弦を結成した頃、オグちゃん(小倉博和)に薦められて買った日本製のガットギター1本だけ持ってスタジオに向かったんです」

今をときめくアイドルのヒット曲に百年以上前の激レア古楽器が使われたとしたら…


ところが、ここでちょっとした “事件” が起こる。佐橋がスタジオに到着すると、スタジオブースの中に古めかしい年代物のギターケースがポツンと置かれていたのだ。呼ばれているのは自分だけのはず。他にギタリストがいる気配もない… と訝しがっていると、そこにいた関係者が佐橋に驚愕の事実を告げた。

「そのケースに入っていたのは18世紀か19世紀のギターだったの(笑)。とにかく古い、もう、何千万円… いや、たぶん、値段なんかつけられないほど貴重なギターだっていうんだよ。達郎さんの事務所関係者のご友人だと聞いた記憶があるけど、とにかく、すっごいお金持ちのコレクターの方が所有しているというギターでね。“達郎さんにだったらお貸ししますよ” ってことでお借りしたらしいんだ。でもね、残念ながら弾いてみたら全然よくないの(笑)。さすがに “あのぉ、これ、どうしてもこれで弾かなきゃダメですか?” って聞いてみたんだけどさ。“まぁ、どうしてもってわけじゃぁないけど…” みたいな、なんとなく気まずいムードになっちゃって」

たしかに、わざわざ借りてきた貴重なギターだ。今をときめくアイドルのヒット曲に百年以上前の激レア古楽器が使われたとしたら、それはそれで面白いエピソードでもある。宣伝のネタになる、なんてことを目論んでいたスタッフがいたのかもしれない。が、オトナたちの事情はどうあれ、少なくとも佐橋にとっては弾きづらいギターでしかなかった。とはいえ、関係者がひしめくスタジオの雰囲気からして、自分から「弾きたくありません」とも言い出しづらい…。

「困ったな、どうしようかな… と思いながら、エンジニアの吉田保さんをちらっと見たの。そしたら保さんが僕の心境を察してくれてね。達郎さんに “この音、なんか録りにくいわ” って。そう言って助けてくれたの。僕からは言い出せなかったけど、あのベテラン・エンジニアの保さんがそう言うんだから間違いないだろう、ということになって。それでめでたく、俺の12万円の国産のギターが採用されたというわけ(笑)。弾きづらかったというのは、ようするにそのギター、クラシックの曲を演奏するために作られた楽器でしょ。クラシックにはメジャーセブンスとか、そういう複雑なコードは出てこないじゃん? だから、ポップス的なコードを弾くと音が強すぎちゃうんだよね。たしかに素晴らしい楽器ではあるんだろうけど…」

バイオリンでいえばストラディバリウスの歴史的名器のようなギター。結果的にはそんな楽器を実際に弾いてみるという貴重な体験をした佐橋だが。いかに名器といえども、相棒・小倉博和が選んでくれたガットギターには敵わなかったというわけだ。

「たしか12万円くらいだったと思う。国産の “アール・クルー・モデル” なの。いいギターなんだよ。オグちゃんが一緒に楽器屋までついて来てくれて、何本か試奏までしてくれて “うん、絶対これがいいよ。ちょっと弾いてみて” って薦めてくれたギターだもん」

“山弦” のちょっといい話、番外編だ。

イメージは、ジプシー・キングスのようなスパニッシュギター?





「スタジオに着いたとたん、そのギターをめぐるひと悶着で40分くらいかかったんだけど。レコーディングが始まったら、そこからはめちゃ早かった。録り終わるまで30分もかからなかったんじゃないかな(笑)。達郎さんが最初にイメージしていたのは、たぶんジプシー・キングスみたいな、ああいうスパニッシュギターの感じだったのかな。“おまえ、ああいうの得意だよな” と言われて呼ばれたの。そこからの発想で、フレーズはスタジオで達郎さんと僕で作った。ギターを持った僕の横に達郎さんがぴったり張り付いて、言葉で説明したり歌ったり。

“その2個めの音、ちょっと違うんじゃない?”
“そう、そこ!”
“あ、そっちだ”
“その音はいらない”
“そこ、ナインスの音になるからオシャレかもなー”

とか、もう、ああだこうだ言いながら細かく決めていった。そうやってふたりで作ったフレーズを僕が譜面に書いていったんだと思う。わりと珍しいやり方だと思いますよ。達郎さんも久しぶりだったみたいで、“こうやって譜面にしていく作業、大瀧(詠一)さん以来だなー” とか言ってたな(笑)。そんなふうに少しずつフレーズを作っていって、いっこずつ弾いて録音していったの。録音しながらも達郎さんが “あ、やっぱりそこはいらないわ” と言うところを弾き直したり、僕が “さっき弾いたやつ、2番でも同じことやった方がカッコよくないですか?” みたいなアイディアを出したり。ちょこちょこ直していった。

完成するまでの時間はあっという間だったけど、ものすごく集中力の高い、濃密な作業でした。達郎さんが考えていた “ここでこう弾いて” 的なことと、現場での僕の “こういうのどうですか?” っていう提案がうまく混ざって。ちゃんと相談して作れてよかったな、と思っている仕事です」

まさかの展開、達郎自身が「硝子の少年」をセルフカバー





そして1997年7月、KinKi Kidsはシングル「硝子の少年」とアルバム『A album』でデビュー。「硝子の少年」は見事初登場1位に輝く大ヒット曲となり、ミリオンセールスを記録した。累計売り上げは179.2万枚(オリコン調べ)以上。ちなみに、このレコーディング時から現在に至るまで、結局、佐橋がKinKi Kidsのふたりと顔を合わせる機会はなかったという。ということは、レコーディングの時以外に彼らの「硝子の少年」を演奏する機会もなかったのでは… と思いきや。その後、山下達郎が自身のツアーでこの曲をセルフカバーするというまさかの展開となり、佐橋は山下と共に考えたフレーズをバックバンドのメンバーとして何度も演奏することになったのだった。

「達郎さんが「硝子の少年」を歌うことになった最初のツアーでは、その1曲のためにガットギターを持って行く予定だったの。でも、達郎さんが “いいよ、エレキでもサハシが弾いたら同じ人だってわかるから” って。それで、達郎さんのライブでは、あのソロをエレキで弾いてました。それを聴いた達郎さん、“これ、エレキで弾くとサンタナっぽいんだなー” と妙に感心してましたけどね(笑)」


次回【宮原学「GET READY」アメリカンロックをこよなく愛する奴らとの日々】につづく

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2023.12.16
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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