2015年 11月13日

日本が誇るギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】奇跡の都立松原高校と道玄坂のヤマハ渋谷店

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佐橋佳幸のアルバム「佐橋佳幸の仕事(1983-2015)〜Time Passes On〜」発売日
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 2015年のコラム 
ギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】清水信之から引き継いだ高校時代の “EPOセッション”

そろそろ2周年、僕がリマインダーを始めた理由 ― ちょっと生真面目篇

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『日本が誇るトップギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】サハシなくしてJ-POPは語れない!』からのつづき


佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.2

初めてのエレキギター、音楽のことで頭がいっぱい


1976年、佐橋佳幸は都立松原高校へと進学する。

「先生に “絶対受かるところ、どこですか?” って聞いたら、《25群》だっていうの。 “じゃ、そこでいいです” って。もう、進学に関しては意欲も何もなかった。すでに大学行くつもりもなかったしね。とにかくどこでもいいから高校に入って、そこで軽音楽部に入って、バンド活動に明け暮れるぞ… と。そのことしか考えていなかった。その頃にはもう、初めてのエレキギターも手に入れていたんだ。だから音楽のことで頭がいっぱいで、受験勉強もしなかったしね」

東京の都立高校には、1967年から1982年まで学校群制度というものがあった。住んでいるエリアによって “学区” が決められていて、都立高をめざす受験生は自分の学区にある “学校群” という複数の学校からなるレベル別のグループを受験することになる。合格すれば、本人の意思は関係なく受験した群内の高校のどれかに振り分けられる。

たとえば佐橋の場合は、新宿区・渋谷区・目黒区・世田谷区に居住する中学生が受験する第二学区。頂点には難関戸山高校と青山高校を擁する22群のある学区だが、自分の成績で「絶対に受かるところ」を狙う佐橋は25群を受験する。この学校群制度の問題点は、合格するまで自分の進学する高校がわからないということ。25群には松原高校と千歳高校というふたつの学校があり、佐橋は松原高校への進学が決まる。もともと学校なんてどこでもよかった。音楽さえできればいいと思っていた。ところが入学してみると驚愕の事実が発覚する。

「松原高校には軽音楽部がなかったんだよ(笑)。まさかと思ったよ。だって、当時どこの高校にもひとつやふたつ軽音楽部はあったからね。もし同じ25群でも千歳高校に進学していたら、そこにはもちろん軽音楽部があったの。もう本当にがっかりしちゃってさ」

仕方なく音楽好きの同級生と遊び半分のバンドを作ってみたり、進学で離れ離れになったフォークトリオ “人力飛行機” のメンバーとも時々集まってみたり…。軽音楽部で趣味の合う仲間とバンドを結成して日々切磋琢磨、そんな青春時代を夢見ていた佐橋には想定外の展開。ちょっと拍子抜けのスタートではあった。が、それでも新しい友達もできて、それなりに楽しい高校ライフが始まった。



“清水センパイ” こと清水信之との出会い


そして1年生の秋――。

初めての文化祭。軽音楽部はないけれど、体育館のステージで有志によるコンサートがあるという。佐橋も同級生と組んだバンドで出演することになった。事前に出演者たちのミーティングがあり、佐橋がバンドを代表して出席した。3年生が中心となって舞台の設営や役割分担についてなどの話し合いが行なわれ、やがてPA機材をどうするかという議題になった。高校生の文化祭に安く機材を借し出してくれる業者はいないだろうかと先輩たちが悩んでいるところに、佐橋が「あのぉ…」と手をあげた。

「おまえ、誰だ?」その中のひとり、ひときわ眼光の鋭い3年生が佐橋を見た。高校生というにはあまりにも大人っぽい、ただものではない貫禄を漂わせている。

「1年生の佐橋といいます」

それが佐橋と、その後の佐橋の人生に多大な影響を与える “清水センパイ” こと清水信之との出会いだった。

清水信之は高校生ながら、当時すでにプロのミュージシャンとしてスタジオセッションなどの仕事をしていた。東京のライヴシーン随一の凄腕バンドとして知られた伝説の “紀ノ国屋バンド” に弱冠17歳で参加。大手レコード会社からデビューの話もあるとか、生まれ育った湘南では小学生の頃からハワイアンバンドの手伝いで荒稼ぎしていたらしいとか、数々のウワサだけは佐橋も耳にしていた。キーボードはもちろん、ギター、ベース、ドラムスまであらゆる楽器をこなす、当時としては珍しいマルチプレイヤー。今まで出会った音楽仲間と比べると、ひと回りもふた回りもスケールの違う存在だった。



童顔の新入生をいぶがしげに見つめる大先輩を前に、佐橋はおそるおそる切り出した。

「あの、僕、渋谷のヤマハにちょっとコネがあるんですぅ」

リヤカーを引いて道玄坂を上る若き佐橋佳幸や清水信之の姿


“人力飛行機” でポプコンの地区大会に出場した佐橋は、その後も渋谷道玄坂にあるヤマハ渋谷店に入り浸っていた。みるみるギターが上達し、子供とは思えぬオタク知識を持つ佐橋のことをかわいがってくれるスタッフが何人もいた。さっそく佐橋は機材を融通してもらう約束を取りつけ、清水らとともに学校のリヤカーを引いて渋谷の道玄坂へと向かった。

「当然、まだ車の免許は持ってないからリヤカーでね。渋谷から世田谷の松原まではけっこうな距離ですよ。ほんとに大変だったって清水センパイは今でも言ってます。リヤカーで環七通りを横断するのがすごく怖かったの。それは覚えてる」

やがて1990年代にはポップでおしゃれな音楽の発信地へと変貌する渋谷。だが、その源流をたどってゆけば、そこにはえっちらおっちらとリヤカーを引いて道玄坂を上る若き佐橋佳幸や清水信之の姿がある。渋谷系前夜、あまりにもほほえましすぎるいにしえの渋谷の光景だ。

かくして文化祭のステージも無事大成功。そして、その最終日。清水センパイから佐橋は校舎の裏に呼び出しをくらう。

「お前、ちゃんとギター弾けるんだな。ちょっと顔貸せ」

どうやら文化祭ステージでの演奏を褒めてもらえたようだった。が、ギターがうまいからという理由でカツアゲされるのか? イジメられるのか?
自らが置かれた状況を理解できないまま恐々と先輩のあとをついて行った佐橋。しかし、彼はそこでひとりの女子生徒を紹介されたのだった。

3年生の清水信之、2年生のEPO、1年生の佐橋。東京の片隅の都立高校で起こった奇跡の惑星直列


「こいつ、2年生の佐藤っていうんだよ」

それが後に “EPO” としてデビューすることになる佐藤栄子だった。当時は松原高校の2年生。ラジオ番組『ライオン・フォーク・ビレッジ』主催のコンテストで優勝したバンド “Laugh” のヴォーカルをつとめていた彼女は、「あの女の子すごいね…」と、すでに業界の噂になっていた。ソロとしてのレコードデビューの話もいくつか来ているという。

「清水センパイはそれまでずっとEPOセンパイの音楽活動をバックアップしていたんです。でも、清水センパイは3年生だからもうすぐ卒業する。それで、彼女が卒業するまでの1年ちょっとの間、代わりにEPOの活動を手伝ってくれないかって言われたの。いや、清水センパイに “くれないか?” と言われたら、それは命令ですから(笑)。それで清水センパイは卒業してゆき、僕は2年生になった頃から本格的にEPOこと佐藤センパイのデモテープ作りやライブのお手伝いをすることになったんです」

3年生の清水信之、2年生のEPO、1年生の佐橋。東京の片隅の都立高校で起こった奇跡の惑星直列。これが佐橋の人生をある意味で決定づけ、同時に後の日本の音楽シーンにも大きな影響を与えてゆく。その後EPOは東京女子体育大学に進学し在学中にデビュー。彼女と出会ったことがきっかけとなり、佐橋もプロミュージシャンとしての第一歩を歩み出した。

さらには佐橋が入学した5年後、同じ都立松原高校に渡辺美里が入学してくる。ご存じの通り、彼女も1985年にデビューを果たすことになるのだが、このときもまた佐橋は清水に声をかけられ、彼女のライヴやレコーディングに関わった。以降も清水と佐橋はがっちりタッグを組んで後輩・渡辺美里の活動をサポート。時には世界を飛び回ってプロジェクトに加わっていった。

もともと各界の才能を輩出してきた松原高校だが、美里、EPO、清水、佐橋らを次々輩出した “奇跡の都立高校” として音楽ファンの間でも一気に注目度がアップ。入学当初は軽音楽部のない松原高校に行かされたことで思いきり意気消沈していた佐橋ではあったが、いやいや、人生一歩踏み出した先には何があるかわからない…。

【佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.3】へつづく
次回は、高校生活でのさらなる出会い、UGUISS結成の経緯などをお届けします。

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2023.09.23
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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