1994年 4月25日

【佐橋佳幸の音楽物語】売れっ子ギタリストのキャリアは UGUISS 解散の失意から始まった

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『ギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】清水信之から引き継いだ高校時代の “EPOセッション”』からのつづき

佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.4

UGUISSの解散、渡辺美里のレコーディング参加へ


結成から4年あまり、ようやくデビューしたUGUISS。けっして評判は悪くなかったが、1984年、バンドはセカンドアルバムの発売を前にして解散してしまった。このあたりの経緯については機会をあらためて、本人たちの言葉で詳しい話をお届けする予定だ。

とにかく、ここまでUGUISSのことだけ考えて活動を続けてきた佐橋にとって、それは挫折以外の何ものでもなかった。

「バンドが解散した後、とりあえず弟のアパートに転がりこんで。バイトと言っても、他にできる仕事もないし…。と、途方にくれていたところ、また清水センパイが助けてくれるんです。ある日 “曲も書けるしギターも弾けるんだから、スタジオの仕事もできるだろ?” って。ホントは譜面もほとんど読めなかったし、いきなりスタジオミュージシャンになる自信もなかったんだけど。そこはとりあえず “できます!” って答えて(笑)」

清水と同じ事務所に所属し、佐橋はスタジオミュージシャンとしての本格的な第一歩を踏み出した。仕事もようやく軌道に乗り始めた頃、清水から「今度、オレたちの高校の後輩がデビューすることになった。手伝ってみないか?」と声をかけられる。その “後輩” こそが渡辺美里だった。

「それで美里のレコーディングに参加したり、同じレーベルの先輩として相談に乗っているうちに、2枚目のアルバムごろからライヴも手伝うことになったの」

以降、美里のライヴやレコーディングには欠かせない存在として10年以上にわたるコラボレーションが続いた。1988年には、佐橋が作曲を手がけたシングル「センチメンタル カンガルー」が大ヒット。作曲家として初のトップ10ヒットを経験した。



「考えたら、美里とデビューは2年くらいしか違わないの。でも、この時期の2、3年は本当に濃かったというか。不思議だったね。オレが半ばプーだった頃に彼女がデビューして、1年後には一緒に西武球場のステージに立っていたんだから」

ギタリストとしての抜群の技術とセンス、バイプレーヤーの先駆けとして活躍


ギタリストとしての抜群の技術とセンス、そして生来の人懐っこいキャラを兼ね備えた佐橋はスタジオミュージシャンとしてもぐんぐん売れっ子になってゆく。今では信じられないことだが、佐橋が仕事を始めた頃のセッション・ギタリストの多くはエレキかアコースティックか専門が分かれていた。が、佐橋はどちらも得意とするバイプレイヤーの先がけでもあった。ふたりのギタリストを呼ぶところをひとりで済む。コスパもいいし、おまけに若くて元気もいい。売れっ子にもなったのも不思議ではない。

もとはと言えばバンド解散の失意から始まった、ギタリストとしての新たなキャリア。1年も経たないうちに生活は激変した。

「でも、自分の中では “始まった” 感は全然なかった。いちど完全に終わってたからね。夢はUGUISSでデビューすることだったから、バンドを解散してからは夢がすべて終わってしまったような気持ちが何年もずっと続いていて。僕にとってのスタジオワークというのは、今まで夢をかなえるために積み重ねてきたことを仕事にして使うこと。でも、僕の持っている技術にお金を払おうという人がいるなら、そういう人たちがいる限り何でもやってみようというのが最初の目標だったんですよ」

もちろん生活のためでもあった。が、それ以上に自分が音楽業界の中でどこまで通用するのかを試してみたいという、武者修行にも近い冒険心もあった。結果、彼自身が考えている以上にギタリスト・佐橋は業界に通用する男だったわけだ。立ち止まりたくても立ち止まるヒマのない毎日が続いてゆく。

「ギタリストとしてこんな風になりたい… とか考える前に、どんどん忙しくなっていった感じ。そのうち、なぜか僕の弾いたものが片っ端からヒットするようになっていったの。ミサっちゃんからシブがき隊まで、どんなジャンルでも。いいミュージシャンやスタッフと仕事ができたからでもあるんだろうし、時代の勢いもあったんだろうね」

ギタリスト・佐橋の “名刺” がわりのフレーズ


3年も経たないうちに、すでにスタジオ・セッション界で屈指の売れっ子になっていた。とともに、この時期から佐橋はギタリストとしてだけではなく、編曲家としての仕事も手がけるようになる。もともと生粋の音楽オタク。音楽的アイディアの引き出しは無尽蔵にあった。ほどなく、見よう見まねでストリングスやブラスのアレンジ譜面まで書くようになる。多忙を極める日々。1日に3つも4つもスタジオを渡り歩き、わずかな睡眠を取るためだけに家に帰った。

佐橋が若手ナンバーワンのセッションマン / アレンジャーとして認識されつつあった1990年代前半、日本の音楽界がミリオンセラー続出の黄金期を迎えていたことも追い風になった。1991年2月に発売された小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」は、そんなメガヒット時代の幕開けになった曲とも言われている。その印象的なイントロを弾いているのは言うまでもなく佐橋佳幸。チャック・ベリーの「ジョニー・B. グッド」よろしく、このイントロは今もギタリスト・佐橋の “名刺” がわりのフレーズとして語られている。



「80年代から90年代に入る頃まではとにかく、頼まれた仕事は全部やるという修行の時代。自分がどういうことをやりたいかとか、考えるヒマもなかったんですけど。90年代になると、ちょっとずつ変わってきた。余裕ができたわけじゃないけど、欲は出てきて(笑)。自分がやりたいこと、やりたかった夢って何だろうな… とか考えるようになって」

そうこうするうちに、好景気のJ-POPシーンは “プロデューサー・ブーム” に。もちろん佐橋はその流れにも対応した。1993年に編曲、プロデュースを手がけた藤井フミヤの「TRUE LOVE」は藤井のソロ時代初のナンバーワンヒットとなっただけでなく、プロデューサー・佐橋にとっても出世作となった。



1994年、初のソロアルバム「TRUST ME」をリリース


が、そんな中でも “自分はあくまでギター弾き” という思いは変わらなかった。子供の頃から積み重ねてきた音楽へ、そしてギターへの情熱。1994年、佐橋はそれを再び自らパフォーマーとして表明することになる。初のソロアルバム『TRUST ME』のリリースだ。ソロアルバムを作ってみたい… と相談してきた佐橋の背中を押し、エグゼクティヴ・プロデューサーを引き受けてくれたのは、以降長年にわたり佐橋がバックギタリストを務めることになる山下達郎だった。1991年頃から足かけ3年あまりの長期にわたったソロの制作は、多忙な毎日の中で自分の足元を見つめ直す時間にもなった。

バンド解散後に始めたセッションワークは、好きな音楽をやるために身につけた技術を自分以外の誰かに提供する “仕事” だった。今度はそうした仕事によって積み重ねてきた感覚を改めて自分の好きな音楽へと還元する。それが初ソロアルバム『TRUST ME』だったのだろう。このアルバムの制作を通して、佐橋は自分がどこへ向かうべきか、だんだんとつかめてきた。



時には上と下の世代をつなぎ、時にはメジャーシーンとアンダーグラウンドシーンをつなぐ。ギターの名手ならば他にもいるけれど、そんな “つなぐ役割” を果たしてくれるギターの名手は佐橋しかいない。1990年代半ば、40代を前にした頃からは細野晴臣、鈴木茂、林立夫によるTIN PAN再編レコーディング、そしてツアーを皮切りに、高橋幸宏、小坂忠、はっぴいえんどなど、佐橋にとってルーツ・ミュージックとも言うべき上の世代の音楽を21世紀へとつなぐ重要な役回りを任される機会も増えた。

アーティストとして、プロデューサーとして、アレンジャーとして、ギタリストとして、まさに八面六臂の活躍を続ける佐橋佳幸。そのあまりにも膨大な仕事量ゆえ、彼の歴史の全貌をたどる機会はけっして多くない。みんなが知っているけれど、みんな意外と知らない佐橋佳幸。活動40周年を機に、そんな佐橋の足跡を改めて見つめ直してゆきたい。

UGUISSをはじめ、そのキャリアの中で出会ってきた人々と音楽について。そして1970年代から現在までシーンのど真ん中で見てきた日本の音楽シーンについて。様々なことをじっくりと語ってもらうことにしよう。お楽しみに。


突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ①につづく

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2023.10.07
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