9月21日

突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ②

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『突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ①』からのつづき

佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.6(UGUISSメンバー鼎談 ②)

UGUISS始動、しかしレコードデビューまでの道は険しく…


佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳が語り尽くす、40年目の【UGUISS物語】その2。

ついに “UGUISS” という名のもとに本格的に動き始めたバンドに、結成当時から彼らをずっと応援してくれていたキーボード奏者の伊東暁が正式メンバーとして加入。ハモンド奏者でもあった伊東が、ベーシスト不在の変則編成バンドでシンセベースを担うことになる。メンバーも揃った。音楽関係者からも、若き辣腕バンドの評判は悪くなかった。あとはレコードデビューに向けて一直線。とはいえ、道はまだまだ険しく…。

佐橋佳幸(以下、佐橋):あっちゃん(伊東)と最初に知り合ったのは僕。EPOセンパイのデビュー直前のデモテープ録りのセッションでね。UGUISSのことも最初から応援してくれていた。

柴田俊文(以下、柴田):さっき話した卒業コンサートも見に来てくれてたよ。犬を連れて。当時、あっちゃんはすでにプロとして仕事をしていて、税金の還付金で買った犬だから名前は “TAX” なんだって教えてくれたの。それを聞いて、なんかすっごいオトナだなぁーって思ったことをよく覚えてる(笑)。

佐橋:“還付金” とか、高校生は口に出したこともない言葉だったからね。あっちゃんは5歳くらい年上で、僕らが最初に会った頃はデビュー前のTENSAWのメンバーだったんだよ。カルメン・マキさんのバンドにも参加していた。学生時代から年上の人たちと一緒にバリバリ活躍していた人なの。そんなわけで、人脈も活動エリアもめちゃめちゃ幅広かった。あっちゃんに出会ったことで、東京の第二学区内で完結していた我々のテリトリーもぐっと広がってゆくのです。ミュージシャンだけでなく制作関係の人にも知り合いが多かったから、いろんな人を紹介してくれて、ライブにも連れてきてくれた。あっちゃんがいなかったらUGUISSのデビューもなかったよね。



淳はアメリカから帰国したところで18歳。僕と柴ちゃんは高校を卒業して、19歳くらいかな。最初にやったライブは、吉祥寺のシルバー・エレファント。すでに曲も書いていたけど、まだカバー曲も多かった。バート・バカラックの「恋よ、さようなら」を、後期ドゥービー・サウンドにしてみたり。

松本淳(以下、松本):あはは、マイケル・マクドナルド風バカラックね、あれ、けっこういいアレンジだったよね。今、聴いてみたいなぁ。

柴田:ビートルズの「恋のアドバイス」を、リンダ・ロンシュタット風にアレンジして。ようするに、なんでもかんでも全部ウエスト・コースト風にしちゃったんだよな(笑)。

同じようなバンドってひとつもなかった。だから、UGUISSの音楽って説明が難しい


―― ある意味、90年代の渋谷系的な音楽にもつながる発想というか。そういうことをデビュー前すでにやっていたわけですね。オリジナル曲は最初から佐橋さんがメインで書いていたんですか?

柴田:僕らも時々は書きましたけど、基本的には全部佐橋ですね。佐橋の曲、難しかったなー。突然、見たことないコードとか出てきて「ええっ!?」ってなるし(笑)。キメとかも全然フツウじゃなくて、ものすごーく複雑だったりするしね。

松本:うん、ホントに難しかった。

佐橋:そう? まぁ、自分で言うのもなんだけど、あれはUGUISSじゃないとできない曲だったよね。少なくとも当時ああいう曲やってるヤツらはいなかったよね。このことは今でもときどき考えるんだけど、当時、同じようなバンドってひとつもなかったんじゃない?

松本:なかったね。だから、UGUISSの音楽って説明が難しいんですよ。他にないから。こういうミュージシャンみたいだとか、あの頃に流行っていたああいうサウンドの感じだとか…。そういうたとえが全然できないバンドだったんです。これ、本人が隣にいるところでは言いたくないんですけど(笑)。当時、佐橋の曲は本当にすごいと思いました。

佐橋:元をたどれば無意識のうちに何かをマネしていたり、いろいろ混ざっていた曲ではあったんだけどね(笑)。ただ、元ネタに日本の音楽はゼロだったことは間違いない。



松本:僕の周りにはバンドやってる友達がいっぱいいて、曲を書いてるヤツもいっぱいいたけど。佐橋はもう、ダントツにセンスがいいと思った。これは完全に洋楽だなと思ったし。かっこよかったです。

柴田:ただ、やっぱし、歌詞の問題っていうのがずーっとあって。もともと仁恵さんは英語が得意で、英語の歌詞を歌うこと前提で一緒にやり始めたわけだけど、片や、自分たちとしてはどうにかしてデビューしたいというのがあって。で、誰に意見を聞いても聞いても「やっぱ日本語じゃないと難しいよね」ということをずっと言われていたんです。

日本語の歌詞が載ったオリジナル曲を書け書けと言われ続けて。で、どうしようって話になった時に、やっぱり違うボーカリストを探したほうがいいんじゃないかなということになった。仁恵さんは仁恵さんで、やりたい方向もあったしね。

新生UGUISSへの旅が始まる


―― そして、仁恵さんが脱退。ボーカリストを探しながら、新生UGUISSへの旅が始まると。

柴田:バンドはみんなフュージョンに行っちゃったり。シュミじゃなくても、時代の流れに飲み込まれて髪を短く刈り上げたりしてさ。オレたちだけだったよね、相変わらず長髪にTシャツで西海岸ロック聴いてる連中は(笑)。

松本:アメリカの古着が大好きでね。まぁ、それは今でも変わらないけど。

柴田:時代から取り残されてるのかなという自覚はあった。

―― でも、自分たちのやりたい音楽を貫いていた。音楽ジャンルとしては違うけれど、体制に逆らう精神は完璧に “パンク” でしたね。

柴田:たしかに。気持ち的にはそうですよ。だから、初期のポリスとかもすごい好きだった。

佐橋:デビューしたばかりのポリスを教えてくれたのは、ロンドン帰りのあっちゃんだったね。レコード買ってきて「ポリスってバンド、知ってる?」って。みんなであっちゃん家で聴いて「なんだこれは!! ホントに3人で演ってるの!?」ってビックリして。

ポリスの初めてのワールドツアーのドキュメンタリー『アラウンド・ザ・ワールド』(1979年)をみんなで観て、びっくりしたよね。演奏だけじゃなく、何もかも自分たちでやってワールドツアーまでやっているという。衝撃的だったよね。



松本:そう。あのビデオには、すごい影響を受けました。今はそういう時代なんだ、と。だから、自分たちだっていつかこういうふうに、自分たちだけでツアーすることだってできるかもしれないって思った。

柴田、松本はザ・ぼんちのバックバンドに参加


佐橋:そういう最新音楽情報だけは耳年増で詳しかったんだけど、身の回りの流行やムーブメントにはまったく無関心だったなぁ。高校卒業してデビューするまで4年、バイトだけでよく食っていたよね。僕は石川優子さんのバックバンドに参加して… 淳と柴田は何だっけ?

松本:ザ・ぼんち。

佐橋:そうだ! ザ・ぼんち!

松本:「恋のぼんちシート」という曲が大ヒットしている時のバックバンドにふたりで参加して。このバンド、ギターはDER ZIBETのHIKARU君だったり…。もともとは、僕がよくサポートで入っていたバンドの仕事だったの。テレビの歌番組なんかもたくさん出たよね。そういえば武道館も出たよね。デビュー前に武道館でやりました(笑)。

柴田:バックバンドの仕事が来たんだけどキーボードがいないからと淳に誘われて、行ってみたらザ・ぼんちのバンドだったという。僕は、あの時に初めてテレビに出た(笑)。あと、初めて飛行機にも乗った。北海道にも初めて行ったし。沖縄にも行った。なんといっても、あれが初めてお金をいただいたプロの仕事だった。で、そういうことをやりながら、あとの時間は全部UGUISSに注ぎ込んで…。

佐橋:みんなまだ10代とかハタチとか。若かったね。とにかくUGUISSでデビューしたかったからバックバンドやサポートの仕事みたいな、いつでもやめられるバイトみたいな仕事ばかり探していたよね。でも、そのバイトのひとつで、やがてUGUISSのボーカリストになる山根栄子に出会うわけです。

すごい華があるな、というのが第一印象、山根栄子との出会い


―― それがテレビ東京の音楽番組ですね。

佐橋:あっちゃんと僕とで参加した、山根麻衣(現:麻以)ちゃんがジャニス・ジョプリンを歌うという企画の番組でね。ちょうどジャニスをモデルにした映画『ローズ』が公開された頃だったと思う。そこでコーラスをしていたのが、麻衣ちゃんの妹の栄子だったの。

柴田:最初に声を聴いた時からもう、メンバー全員が「決まりだ」って思っていたはず。すごい華があるな、というのが僕の第一印象だったな。あと、栄子は歌詞が書けるのも大きかった。やっぱり、歌詞はボーカリストが自分で書くのがいちばんいいからね。UGUISSに入ったとたん、どんどん書き始めた。

松本:当時、栄子もソロデビューに向けて具体的な話が進んでいたみたいなんだけど。ちょっと迷っていたらしいんです。それは大きなタイアップのついたポップな路線だったらしくて。で、こっちはロックやってるから、音楽的にはこっちのほうが面白いと思ったみたい。それで、まんまと引き込んで…(笑)。



佐橋:出会って、決まるまではわりと早かったよね。そして、栄子が入ってから、いろんなことが動き始めたよね。僕らもさすがに音楽の趣味が多岐に及びすぎて、やりたいことも広がり放題になっていたんだけど(笑)。

柴田:曲を書く佐橋も、栄子が歌いやすい曲を考えるようになったし。栄子を中心にしたバンドの音っていうのが、どんどんできあがっていったんです。

佐橋:みんなでもっとコーラスやったほうがよくね? みたいなことも、この時期に出てきたね。ここに来てどんどんバンドっぽくなってきたというか。ようやく、自分たちが好きなことやってるだけじゃないバンドになってきたというか。UGUISSとしてひとつ前に進んだ感じがあった。それは、全員が実感していたと思う。

従来にない新しいビジネスモデルの先駆けがUGUISS


―― そして、ようやくEPIC・ソニーとの契約が決まります。

佐橋:時は1983年。どうやらEPICで決まりそうだぞっていう雰囲気になってきたある日、当時のEPICのトップ、丸山(茂雄)さんに呼ばれて会いに行ったの。てっきり楽しいデビュー話かと思ったら、「今、君たちをデビューさせて、所属バンドとして契約して、ちゃんと給料も払ってくれるそんな事務所、はっきり言ってありません」って、きっぱり言われてさ。一瞬、やっぱりEPICもダメって話かぁ… と思ったんだけど、そうじゃなかった。マルさんはね、突然、演劇の世界のことを話し始めたの。ね?

松本:そう。覚えてる、覚えてる。

佐橋:演劇の人たちは自分たちが出演して、場合によっては脚本や演出も自分たちでやって、チケットも売って、全部自分たちで運営しているでしょと。だから君たちもそういうやり方で、マネジメントから何から全部やってみたらどうだ? と。それでやるというなら、ウチから出しましょう。と。

―― 丸山氏の考えていた、従来にない新しいビジネスモデルの先駆けがUGUISSだった、と聞いています。

佐橋:そうなの。で、その話を聞いて僕らの頭によぎったのが、さっき柴田の話していたポリスのドキュメンタリー『アラウンド・ザ・ワールド』だった。そうか、ポリスと同じやり方か。そう思ったら、すごく腑に落ちたんだよね。

松本:ポリスが世界ツアーを自分たちだけでやっているのを見て、僕たちもいつかそういうことができるのかもしれないって思っていましたから。まさにそういうチャンスをもらったのかもしれないなと。

柴田:あの時、ポリスのことは丸山さんとも話したよね。

佐橋:さすがマルさん、ポリスのやり方を知ってたよね。バンドはソロアーティストと違ってお金もかかるから難しい、だからこれがいちばんいい方法だというふうに考えてくれたんだよね。それで、僕たちに声をかけてくれたEPICの黒田さんという人に「お前はEPIC辞めて、こいつらと事務所作れ」っていきなり言ったの。いきなりだよ。それはUGUISSと心中しろというのも同然だったけど、黒田さんは会社を辞めて、僕らと “ネスト” という事務所を作るんです。nest=巣。ウグイスだから、鳥の巣ね(笑)。それで、EPICが僕らの事務所にお金を入れて、そこから僕らに給料が支払われるシステムを作った。ただ、ふつうマネージャーがやってくれるようなことは全部自分たちでやった。



松本:仮払いから何から何まで、自分たちでやったよね。会社の登記も自分たちで勉強してやった。いちばん最初にやったのは、印税の仕組みについての勉強会。忘れられないね。マルさんが自ら、ホワイトボードにばーーっとレコード流通の仕組みを書いて授業をしてくれたんです。

佐橋:2,500円のレコードが1枚売れたら、それがどうやって僕らのもとにまで何円入ってくるか… とか。全部、細かく教えてくれた。あれは本当に “授業” だった。要するにレコード会社や、音楽業界の仕組みを全部教えてくれたわけ。で、最後に「さあ、そんな中でも君たち、自分たちでやれますか?」って。やるよね、そりゃ。そこまで考えてもらったら、やるしかないよ。

―― それはもう、ものすごい親心ですね。親心以上かもしれない。

佐橋:たぶん今、そんなことやってくれる人っていないよね。マルさんは本当に、僕らの恩人。黒田さんもね。いきなりレコード会社の社員を辞めて一緒に会社を作ってくれてさ。あの時の経験は何よりも大きい。いまだに覚えてるよ、『会社の作り方』っていう新書版の本。

柴田:あったね。覚えてる。みんなで読んだ。

佐橋:あの本、実はずっと持っててさ。小林武史さんが会社を立ち上げた時に「バンド時代に自分で会社作ったって言ってたよな?」って聞かれたんで、「作りましたよ」って言って。貸してあげましたよ、その本(笑)。


【佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.6(UGUISSメンバー鼎談 ③)】へつづく


写真&資料提供:佐橋佳幸 / 松本淳

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2023.10.21
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