2022年 4月29日

カメラマン・大川直人に訊く ① EPICソニーから始まる音楽の仕事40年の軌跡

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カメラマン・大川直人の個展「大川直人写真展 GOOD TIME MUSIC 音楽の仕事40年の軌跡』が富士フォトギャラリー銀座で開催された日(初日)
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80年代~90年代当時、レコード(あるいはCD)ジャケットと音楽は二つ揃って初めて作品として形を成すものだった。だからこそ、今でも当時のジャケットを目にすると、そこからは自然と音楽が聞こえてきて、当時の思い出までが溢れ出す。
そしてそんな時代に大江千里、忌野清志郎、桑田佳祐、松任谷由実、渡辺美里、TM NETWORK…と、時代を作ったそうそうたるミュージシャンたちを撮影してきた写真家がいる。大川直人その人だ。80年代からEPICソニー所属アーティストのジャケット写真をはじめ、そのほかにも多数のミュージシャンや著名人をカメラに収めてきた。その数は計り知れない。
そんな大川氏が撮影した写真の中から時代を彩った90人のミュージシャンの写真90点が一堂に並ぶ『大川直人写真展 GOOD TIME MUSIC音楽の仕事40年の軌跡』が現在、都内で開催中だ。個展に並ぶ写真たちは、大川氏の元に眠っていた大量のネガの中からセレクトされたもので、多くが未公開写真。これだけのミュージシャンの写真が一堂に並ぶ写真展は、未だかつて見たことがなく、その光景は圧巻だ。これはただの写真展ではない。これは日本の音楽の歴史であり、カルチャー的な意味でも貴重な文化的遺産といっていいだろう。
今回はそんな大川氏を直撃。個展の話はもちろん、当80年代、90年代のイキイキとした音楽制作の現場の話から、これまで撮影してきたミュージシャンとのエピソードなど詳しく話を聞いた。

【前編】EPICソニーから始まる音楽の仕事40年の軌跡

カメラが好き、音楽が好き、高校で出会った佐藤信彦(銀河鉄道)


― 大川さんが写真家になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

大川直人(以下、大川):中学生の頃からカメラが好きで、撮るよりもカメラ自身が好きでしたね。もともと機械いじりが好きで、一眼レフのカメラを何個か手に入れていました。ちょうどその頃、よくラジオの深夜放送を聴いていて、時代はフォーク全盛期。よくラジオ局が公開コンサートをやっていて、ハガキを送るとチケットが当たるというもので中学生でも行けたんです。当時は古井戸(加奈崎芳太郎と仲井戸麗市によるフォークデュオ)が好きだったんですけど、そこにRCサクセションや泉谷しげるさんとか、いろんな人がラジオ収録用に出てきていました。そして、そのコンサートはカメラを持っていれば一番前に行って写真を撮ることができたんです。

― 1列目からプロではない、いわば素人のカメラを持った人たちが自由に撮影できていたんですか。

大川:そうです。セキュリティも一切なかったです。だから僕もよくカメラで撮影していました。特に覚えているのが、日比谷の野音のコンサートです。僕が一番前で撮っていたときにRCが出てきて、着物にわらじを履いているのを見たときに “この人たちは一体なんなんだろう” と。
あまりのインパクトに衝撃を受けたことと、こうしたラジオの公開コンサートから写真も好きになり、同時に音楽も好きになりました。そのほかにも公開録音ではガロとかいろんな人を撮りました。ただ残念なことにその当時のネガが無いんです。あれがあればとても貴重なものだったので、残念なんですけど。

― そして高校生になり、写真家の夢に突き進むのですか?

大川:そうして高校に入って、たまたま僕の隣の席に髪の毛の長いやつがいたんですね。その頃はフォークの影響もあって僕もギターを弾いていたので、その友人と「一緒にギター弾こうか」とかいって始めたら、その友人がめちゃめちゃうまくて。「実は明日、俺、デビューするんだ」というやつだったんですよ。それが銀河鉄道というグループでデビューした、ギタリストのサトチン(佐藤信彦)だったんです。初めは 「一緒にやろう」 なんて言ってたんですけど、超絶上手くてそれどころじゃなく(笑)。そこで 「写真撮ってやるよ」 という話になって、銀河鉄道の写真を撮ったりしていました。

― 高校生で、なんだかすごい出会いですね。

大川:そのサトチンが高校生ながら、ものすごいたくさんのレコードをコレクションしていて、ジャズ、カントリー、アメリカンロックに至るまで、ギターサウンドの一番いいところを全部教えてくれたんです。それがこの仕事を始めて、一番僕の基本になっているところだと思っているんですね。サトチンが教えてくれたギターサウンドに一番影響されて、そこで音楽の基本的な聴き方を教えてもらって覚えた。そのおかげでカメラマンとして仕事を始めたときにミュージシャンと感覚が近くにいることができたんです。初めて会うミュージシャンと話をしても、話が食い違うということもなかったですし、どんなミュージシャンと一緒になっても音楽の話ができたのは大きかったです。そして “この人はこういう音楽が好きなんだな” ということも分かったし、そういうものが分かれば、その人のノリも分かってきますから。その後、カメラマンとしていろいろな勉強もしましたが、やっぱり一番勉強になったのは高校生の時にサトチンの家に行って、ものすごくたくさんのミュージシャンの一番いい曲を、1曲ずつ夜になるまで聴かせてもらったことなんですよ。

― ということは、もともと大川さんは音楽がとても近いところにあったんですね。

そうですね。

目指して勉強したのは映画カメラマン?


― では高校を卒業して、写真家の道へ進まれることになるんですか?

大川:いや、実は絵も好きでイラストレーターも志望していたんですよ。当時、イラストレーターという存在もかっこよかったんです。矢吹申彦さんや湯村輝彦さんとかいてね。でもとにかく僕の高校はすごくて、サトチンをはじめ、すでにもうジャズの音楽雑誌にイラストを描いているやつもいたりして、高校生なのにすでにプロなんですよ。ほかにも、雑誌のポパイが出る前に『MADE IN USAカタログ』という雑誌があったんですけど、そこに出ていたジーパンやブーツとかはほとんどその人の私物で、その人はスタイリストの一号でした。

― すごい高校ですね! 当時のカルチャーの匂いがしますね!

大川:そこでイラストレーターを目指して美術大学に行くために予備校に行ったりもしたんですけど、周りがそんな風にプロばかりだったし、その中で誰もやってなかったのが写真と映画だったんですね。それもあって、映画のカメラマンになろうと決めて、毎日、高校の帰りに名画座で1日3本映画を観ては映画ノートを作り勉強していました。だから本当は写真のカメラマンよりも映画のカメラマン、ムービーカメラマンになろうと思っていたんです。それで、高校卒業後に映画科のある学校に進んだんですけど、そこではカメラの授業もあって。だけど学校にほぼ行かず(笑)。ATG(日本アート・シアター・ギルド)という新しいアート系映画を作る映画会社のプロデューサーに声をかけてもらったことから、そこで丁稚みたいなことをしてました。

― 初めから写真家ではなく、映画の道へ進もうと…。

大川:そうなんです。ATGで映画のスチールをやりながら映画の勉強をしていたんです。そこでは何本か映画作品のスチールマンとして仕事をしました。ほかにも演劇の舞台写真も撮っていましたね。蜷川幸雄さんの舞台では稽古中も写真を撮るんですけどね… とにかく厳しくて。張り詰めた空気感が「嫌だなぁ」と思いながら撮っていましたけど(笑)。今考えると、若いながらに、とてもいい現場を見させてもらいました。きっと、ずっとそこにいれば映画のカメラマンになっていたと思うんですけど…。

EPICソニーとの縁で始まったカメラマンの道


― それがまたなぜ写真家へ?

大川:先ほどお話しした高校の時のイラストレーターをしていた彼が、EPICソニーに入社したということで、「レコードジャケットをやろうよ」と声かけてくれて…。

― おぉぉ、いよいよ音楽と繋がってきました!

大川:彼とは音楽の趣味も近いものがあったし、それでそれまでの事務所を辞めて、スタジオに勉強に行きました。それまでのレコードジャケットというのは外のロケが多くて、例えば線路の上を歩いていたりとかしていたものが多かったじゃないですか? だけどこれからはスタジオ撮影の時代になるから、スタジオのライティングができないとどうしようもないということで。2年くらいほぼ家に帰れないほど忙しかったですけど、当時、一流のカメラマンのスタジオにはほとんど入りましたから、これはとてもいい勉強になりました。それに演劇の仕事のときに、ある大物女優さんからなぜか「あなたは25歳になったらフリーになりなさい」と言われたこともあって、不思議とその言葉が頭に残っていたので、その言葉通り25歳でフリーになりました。

― そうなんですか! そこからEPICソニーのミュージシャンの撮影がいよいよ始まるわけですね。当時のEPICソニーは、どんなところでしたか?

大川:当時のEPICにはデザイン室というのがあって、そこにはデザイナーやアートディレクターたちがいました。そこで写真家として仕事を請けて、そこから本格的にミュージシャンを撮影する写真家の道が始まりましたね。EPICソニーはものすごい会社で、みんな学歴不問で入ってきてるんです。所属している部署なんて全然関係なくて、みんながものすごく自由で、やる気しかない会社でした。あの当時はスタジオに営業から何から何まで来ちゃって。ポラを見て何だかんだ意見を言うわけですよ。だから一丸となってやっていたというか…。EPICソニーの創始者の丸山茂雄さんを筆頭に、歌謡曲の賞狙いとはかけ離れていて、「そんなの関係ねぇ」という感じで、ロック色の強いすごい会社でしたね。

活気に満ちていたEPICソニーのレコードの作り方


― 以前、松岡英明さんにインタビューさせていただいたときに、EPICソニーのデザイン室の話も出てきて、カメラマンさんやスタイリストさん、デザイナーさんなど、一流のクリエーターの方々が揃っていたと聞きました。

大川:そうなんですよ。そしてレコードの作り方もとても面白かったんです。ミュージシャンがいて、アートディレクターがいて、カメラマン、スタイリストが一堂に集まって、ミーティングをするんです。音もちゃんと聴いて、みんなで練っていくという作り方でした。ものすごい活気に満ちていましたね。僕はEPICが最初だったので、どこのレコード会社もこんな感じだと思って仕事していたんですけど、だんだん仕事が広がっていくと“違うんだな”と思いました(笑)。

― EPICソニーを基準にすると面食らいそうですね(笑)。当時はみんなが一丸となって作り上げていたんですね。

大川:だけど、そういう作り方は2000年くらいには無くなってしまうんです。特に大物ミュージシャンの場合は、デザイナー兼アートディレクターが A案、B案、C 案と作って、ミュージシャンに「カメラマンは誰がいいですか?」と提案するわけです。そこからすべてが決まって僕のところまで下りてくるので、すでにデザインのカンプができていて、「こう撮ってください」と。80年代初頭とは全然違って、いわゆる広告的な作り方に変わりましたね。

― 時代の流れですね。広告的になっていくというのは興味深いです。ちなみに松岡英明さんは、デザイン室のスタイリストさんらと「この衣装は嫌だ」とぶつかったりしたということも話されていました。

大川:その光景は、よく見ました(笑)。

初めて撮影したミュージシャンはUGUISS




― 昨年、私も雑誌でEPICソニー特集号を作ったのですが、アルバイトから社員になった人たちもいたし、自由で若いエネルギーに溢れたレーベルだったという話がたくさん出てきました。

大川:バイトがドリカムを連れてきましたから(笑)。

― それはまた、ものすごい話ですね(笑)。80年代というのは、音楽はもちろんですがファッションなどカルチャーが育った時代だと思うのすが、大川さんから見てどんな時代に映りましたか?

大川:俯瞰で見られるような状態ではなかったです。もうとにかく忙しすぎて。渡辺美里さんとか、レコードを出す人出す人がどんどん売れていく。それにレコードジャケット撮影だけでなく、『PATi・PATi』や『GB』など音楽雑誌も次から次へと出てきましたから。あの頃は情報源が少ない時代だったので、例えば美里ちゃんだったら、ある程度カメラマンも同じ人にして、イメージがブレないようにしていましたから、美里ちゃんや千ちゃん(大江千里)は、雑誌含めて全部やってましたね。だから忙しすぎて世の中がどんな風に動いていたのか、まったく分からなかったです。

― 最前線にいらっしゃったということですよね。初めてお仕事でミュージシャンを撮影したのはどなたですか?

大川:初めては1983年頃のUGUISSでしたね。佐橋佳幸さんがいたバンドで、いいバンドでした。メンバーは今でも活躍していますけれど。

― これまで一番多く撮られているミュージシャンは?

大川:渡辺美里ちゃん、大江千里さん、KAN、槇原敬之くんは、かなり撮っています。

(インタビュー・構成 / 村上あやの)


次回【後編】では、これまれ大川直人さんが撮影したミュージシャンたちとのエピソードをはじめ、現在開催中の個展についても語っていただきます。お楽しみに!


【後編】ミュージシャンのリアリティと音楽が聞こえてくる写真 につづく

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