2月26日

【佐橋佳幸の40曲】TM NETWORK「Self Control」EPICソニーでの “学校” のような日々

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.20
Self Control / TM NETWORK
作詞:小室みつ子
作曲:小室哲哉
編曲:小室哲哉

既存の常識をあらゆる面で打ち破ったTM NETWORK


「UGUISSの解散間際、1984年にTM NETWORKがデビューしたんだよね。EPIC・ソニーに行った時、デビュー前の彼らの白カセ(試聴サンプル用カセット)をもらったの。そしたら、一緒にいたうちのキーボードのあっちゃん(伊東暁)が、 “あれ?この小室(哲哉)くんって、誰かのバックで弾いてるの見たことあるなー。そうだ、たしか白竜さんのバックバンドに参加していたよ” と。あっちゃんは顔が広いからねー、そういうのよく知ってたんだ。たしか哲ちゃん(小室)はTMのデビュー前に安岡力也さんの「ホタテのロックン・ロール」の編曲とかもやってたよね、『オレたちひょうきん族』の。あれもその流れだったのかな。哲ちゃんも若い頃からいろんな人のバックとかやりながら、同時に自分たちの作品でレコード会社にアプローチをしていて…。そのあたりの経緯はUGUISSとちょっと似てるんだよね」

シンセサイザーを主役に据えたデジタルなポップサウンド、“バンド” ではなく3人組の “ユニット” 編成という新しい概念、そしてインターネット時代を先取りしたかのようなグループ名…。デビュー当時はなかなかセールス面での結果が出なかったとはいえ、既存の常識をあらゆる面で打ち破る彼らは、遠からず音楽業界のゲームチェンジャーになるだろうと音楽業界内で注目の的だった。TM NETWORKの登場は時代が大きく変わり始めるサインのようにも見えた。そんなふうに感じていたのは、佐橋も同じだった。

「3人組のユニットだと言われても、最初、誰が何をやってるのかわかんないじゃん。たぶんボーカルとキーボードと、もうひとりはドラムじゃないのかなーとか話してて(笑)。で、そのカセット聴いたら、ピコピコいっててさぁ。なんだこれは!? ロックトリオじゃないのか!と。世の中こっちに向かってんのか⁉︎ って大ショックを受けた。聞いたら、TM NETWORKももともとはSPEEDWAYっていうアメリカンロック系のバンドをやっていた人たちだというじゃない。日本のバンドでもそっちに行く人たちが出てきたんだなー、と実感した瞬間だった。たしかにそういうエレクトロポップみたいな音楽は、すでにイギリス発で大人気になってはいたけどね。世の中、もうロックじゃないのかなぁ… と思った。でも、僕としては音楽性というより、いわゆる従来のバンドの形態ではないグループが出てきたことが何より衝撃でした」

TM NETWORK大ブレイク前夜のアルバムに参加した佐橋佳幸


84年、変わりゆく時代の中で試行錯誤を続けながら活動してきたUGUISSはついに解散を決意。所属していたEPIC・ソニーは、すでに完成していた2作目のアルバムの発売中止を決定する。いっぽうTM NETWORKは同年4月にシングル「金曜日のライオン(Take it to the lucky)」、アルバム『RAINBOW RAINBOW』で同レーベルからデビュー。バンドを解散した佐橋はセッションギタリスト、作曲家としての新たな道を歩み始める。UGUISSと入れ違いにEPIC・ソニーにやってきたTM NETWORKと佐橋のキャリアが交錯することなど、誰も想像していなかったに違いない。

「(渡辺)美里の仕事をするようになったあたりから、他のアーティストのセッションにも呼ばれるようになって。けっこう忙しくなってきた頃ですね。TM NETWORKからギターで呼ばれて、『GORILLA』(1986年)、そして『Self Controll』(1987年)という、いわゆるブレイク前夜のアルバムに参加することになったんです。あ、でも、哲ちゃんと知り合ったのは美里の仕事のほうが先だったかな」



小室も佐橋も渡辺美里プロジェクトに参加


デビュー直後の渡辺美里プロジェクトはEPIC・ソニーに所属するアーティストたちをソングライターとして積極的に起用。そんななか、1986年の「My Revolution」をはじめ数々の名曲を提供していたのが小室だった。ここに接点があった。人生は面白い。

「これは後になってから気づいたことなんだけどさ、清水(信之)センパイがアレンジした美里のデビュー・アルバム『eyes』の中の「きみに会えて」という曲が、僕にとって最初の美里仕事なんです。それが哲ちゃんの曲だったんだよね。だからたぶんその時にも僕は “あ、あのTMの…” って思っていたはずなんだよね。その後の哲ちゃんは「My Revolution」の大ヒットをきっかけに、次の『Lovin' You』以降は美里のメインライターみたいな感じでがっちりプロジェクトに加わっていくことになって。同じ頃に僕がギターを弾いている曲も増えて、曲も書くようになって。そんなんで “みさっちゃんのところで弾いてる、あの佐橋くんがいいな” って形で僕に声がかかったのかなと思う。ディレクターもエンジニアも、美里とTMと両方を手がけてる人たちだったしね」



TM NETWORKのギタリスト起用法とは?


ご存じの通りTMにはメンバーの一員として木根尚登というギタリストが在籍しているのだが、彼はもともとはアコースティック・ギターを得意とするタイプ。そのためレコーディングでもライヴでも外部からギタリストを招くことが常だった。『Self Control』でも佐橋に加えて、今剛、松本孝弘、窪田晴男という錚々たる面々がクレジットされていた。シンセサイザーによるエレクトロポップ・サウンドで名を馳せたTMだが、参加ギタリストという点にフォーカスすれば、まるで当時大ヒットした『ギター・ワークショップ』のような、凄腕ギタリストたちが競演するスーパーセッション・アルバムであるかのよう。YMOがメンバー以外に外部から渡辺香津美や大村憲司らを招いていたように、TMもシンセサイザーにできないことには贅を尽くす… そんなこだわりが見える。

「サウンドはピコピコしていても、ギターパートはすごくロックっぽくしたいっていうのがひとつのテーマとしてあったらしいんだよね。しかも、方向性としてはだんだんファンキーな色も出てきていたから、要するにどっちもできる人じゃないとダメだってことでこういう顔ぶれになったみたい。僕もリズムトラックを作るところで重宝されていた。ダビングで呼ばれて、“ここまでできてるんだけど、最後にちょっと何かリズムないかな?” みたいな。自分たちが作り上げたのはここまでです、ギターに関してはアイディアをもらいたい… と。そういう提示をされることが多かった」

「だから、若手のリズムギターでちゃんとトラックを作ってくれるギタリストとして呼ばれていたんだろうね。ま、もともとスタジオミュージシャンの仕事って、基本それだから。前にオグちゃん(小倉博和)か誰かと “ギタリスト人生の中でいちばんたくさんやってることは何でしょう?” って話をしたことがあって。1位はチューニング。その次はリズムギター。ソロを弾いてる時間なんて、ギタリスト人生の中でほとんどない。ふつう “ソロだけ弾いてください” ってセッションに呼ばれることもないしね」

楽曲それぞれに適したギタリストをその都度招き、各々の個性を思いきり発揮してもらう。それがTM NETWORKのギタリスト起用法だったのだろう。

「だから、たとえば松本孝弘さんは僕とは全然違う。アルバムを聴いていても “あ、これ松本さんだ” ってすぐわかる、すんごいソロ弾いててさ。超・超絶な、ヴァン・ヘイレンも真っ青みたいなやつ(笑)。やっぱり、そういうのが必要な時には松本さんだったり。FENCE OF DEFENCEでデビューする前の北島健二さんだったり。オレ、そういうのやんないしね。実は去年、松本さんと一緒に飲む機会があって、初めてゆっくりいろんな話ができたんだけど。松本さんはずっとTMのライブのサポートもやってたでしょ。それで “オレはTMのツアーの時、佐橋くんの演奏をけっこうまじめにちゃんとコピーしてたんだよ” って言ってた(笑)。“アルバム聴きながら、こう来るかぁーとか思いながら。勉強になったよ” “センパイ、やめてくださいよー” みたいな会話になってさ。もう、ほんと、恐縮です」



ジャンルもスタイルも超えてさまざまな個性が出会うEPIC・ソニー


ことに音楽面から振り返れば、佐橋とTMの組み合わせというのは少々意外だ。が、当時のEPIC・ソニーにはそれを軽々と乗り越える柔軟な空気感があった。所属アーティストどうし、音楽ジャンルはまるで違っても、同じディレクターやエンジニアを介し、スタジオで隣り合ったアーティストどうしが仲良くなったり、互いのセッションに参加し合ったり。

六本木と信濃町のソニースタジオ、芝浦にあったスマイルガレージ、六本木WAVEの上階にあったセディックスタジオ… そういったレコーディングスタジオに行けば渡辺美里や小室や岡村靖幸や大江千里がいて、お互いの曲を聴かせ合い、意見や情報を交換したりしていた。当時のEPIC・ソニーは、ジャンルもスタイルも超えてさまざまな個性が出会う、ある種の “学校” のような場だったのかもしれない。

「当時、東京の有名なスタジオはどこもみんなで奪い合いになるくらい稼動していたから。まぁ、景気もよかったしね。今ならありえないけど、すべてのスタジオでいつも誰かがアルバムだのシングルだのを作っている状況でさ。たしかに、スタジオに行けば学校状態。あるいは、かつてのニューヨークでソングライターたちがしのぎを削っていた “ティン・パン・アレー” というか、モータウンレーベルというか。もともとはプロデューサーの小坂(洋二)さんのアイディアだったけど、当時のEPICは、ソロとして活動をしている人たちが他のアーティストにも曲を書いて… みたいなことを積極的にやっていて。なかでも美里のプロジェクトでは、そういうソングライターたちの横のつながりが生まれることが少なくなかった」

「スタジオに行けば、他の人の曲を聴く機会も多かったしね。“おお、今回の美里の曲、哲ちゃんはそう来たかー” とか “木根ちゃんの曲、美里に合いそうだから採用になるといいなぁ” とか。同世代の人たちの曲を聴くのも面白かったし、自分もがんばらないと… という気持ちにもさせられたしね。ロビーでアレンジの相談をされたり、弾き終わった後もずーっとギター教えることになった時もあったなぁ(笑)」

そんな “学校” のような日々、特に印象的だったもののひとつがTM NETWORKとの仕事だったという。

「基本、アレンジャーがやることはすべて哲ちゃんがやってましたね。彼はたぶん曲を書き終えた段階で作曲家モードからサウンドメイキング・モードに変わるのかな。曲を作る段階から、こういうものにしたいという音のイメージが頭の中にある人だから。スタジオで相談しながら、たとえば “ちょっと1回こういうアプローチで弾いてみるね” って弾いてみると、“あ、サビはそれでいいけどヒラ歌のとこは何か違うのないかな” とか。そんな感じでやりとりしてました。うん。普段のスタジオセッションでアレンジャーさんが指示するみたいに、具体的な “今弾いた、そのミの音はないほうがいいね” みたいな指示ではなくね。いろいろやってみて “あ、そのサウンドいいね!” みたいな」



佐橋の才覚をいち早く見抜き、高く評価していエンジニア、伊東俊郎


エンジニアを務めていた伊東俊郎の存在も大きい。1970年代から山下達郎、吉田美奈子、佐野元春、渡辺美里、米米クラブなど多くのアーティストのレコーディングを手がけてきた名匠。スタジオセッションの仕事を始めた佐橋の才覚をいち早く見抜き、高く評価していたクリエイターのひとりでもある。伊東はTM NETWORKのデビュー当時からタッグを組み、前例なきサウンドを目指すTMと次々と名作を作りあげてきた。“第4のメンバー” とまで呼ばれるほどの存在だ。

「伊東さんとは、仕事をしていくうちにだんだん一緒にいろんなことを試したりするようになって。TMのスタジオでも “この音、ディレイで左右に飛ばしたいんだけど、どうしたらいいかな?” って哲ちゃんが相談すると、伊東さんが僕に “じゃあ、サハシはそのパターンしばらく弾いててくれない?” と言って、その間に何かエフェクトをつけて…。そうやって哲ちゃんのイメージどおりの音になるまでいろいろ実験してみたり。僕も楽しかったですよ」

「でもね、TMの場合、いろいろ試しても、時間はかからなかった記憶がある。いつも早かったよ。曲がわりとシンプルにできているということもあるけど。哲ちゃんのアイディアをこっちも共有できたら、そこからは早い… みたいな。ただ、打ち込みを全部やって、僕らみたいな生のミュージシャンを呼ぶところまではすごく時間かけていたと思う。特に売れるまでの時代は、そんなに予算もないから街の練習スタジオみたいなところでプリプロやってたこともあるという話を聞いた記憶がある。そのあたりも、今では当たり前になった作り方を先取りしていたといえるよね」

「Self Control」に残したサハシらしいプレイ


TM NETWORKのアルバムには曲ごとのクレジットがない。そのため具体的に佐橋がどの曲に参加しているのか、今まであまり語られたことがなかった。が、先日、自分が参加したであろう曲をあらためて確かめる機会があったのだとか。呼ばれたセッション仕事、とりわけジャンル的に自分の守備範囲ではないタイプの音楽だった場合、それが自分のプレイかどうか判断できないことも少なくないそうだ。が、かつてUGUISSとは正反対の音楽だと思えたTM NETWORKに関しては、なぜか自分のプレイはどれもすぐにわかったという。

「そこは哲ちゃんに感謝だよ。呼ばれて弾きに行って、そこで自分なりのアプローチをしても嫌がらないでいてくれたから。それこそ何十年も経った今、久々に聴いても “あ、これはオレのプレイだ” って全部確認できる。そのくらいちゃんとキャラを出せていた、出させてもらってた。哲ちゃんは自分のイメージをきっちり持っていたけれど、1音1音すべて自分が言ったとおりに弾いてくれ… みたいなことは言わなかったから。自由にやらせてもらいました」

そんなエピソードをふまえて、今あらためて「Self Control」を聴き返すと面白い。そこには、特に意識せずにずっと耳にしていたサハシらしいプレイがある…。

「だからさ、僕は幅広く活動しているイメージがあるかもしれないけど。自分としてはもともと、特に幅広く活動したいと思っていたわけじゃないんだよね。いろんなとこからの依頼が来るから、それを引き受けているうちに自然と幅広くなっちゃったってこと。この連載を読んでもらえればそれがよくわかると思うけど」

「TM NETWORKも、もともとはUGUISSとは正反対のバンドだし、最初のうちはなんで僕が呼ばれたんろうって思ったし。でも、TMに限らず、なぜ呼ばれたんだろうとびっくりするような仕事も、僕に声がかかった理由を確認しに行ってみよう… みたいな感じでスタジオに行って。聞いてみると “ああ、そういう理由でしたか” と腑に落ちることも多くてね。だから “あれ、なんか間違ってサハシ呼んじゃったよ” みたいなことはあんまりなかったと思うんですよ… たぶんね(笑)」


【編集部よりお知らせ】


UGUISSが再結成し、東名阪ツアーを5月に開催することが決定しました。3人のオリジナルメンバーに加え、冨田麗香(ヴォーカル)、Dr.kyOn(ベース&キーボード)が参加!

◉ 公演情報
UGUISS「UGUISS(1983-1984)~40th Anniversary Vinyl Edition~」レコ発ツアー
・5月21日(火)愛知 名古屋 TOKUZO
・5月22日(水)大阪 バナナホール
・5月30日(木)東京 渋谷クラブクアトロ

* 3公演共通
・開場18:00 / 開演19:00
・チケット料金 前売 6,000円 / 当日 6,500円(自由席・整理番号順入場)
・チケット発売 4月6日(土)10:00~

* お問合せ
・名古屋 TOKUZO(052-733-3709)
・大阪 バナナホール(06-6809-3016)
・東京 渋谷クラブクアトロ(03-3477-8750)

◉ UGUISS 特設サイト
https://www.110107.com/UGUISS_40th

次回【佐橋佳幸の40曲】につづく(4/6掲載予定)

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2024.03.30
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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