2015年 11月13日

ギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】清水信之から引き継いだ高校時代の “EPOセッション”

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日本が誇るギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】奇跡の都立松原高校と道玄坂のヤマハ渋谷店

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日本が誇るギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】奇跡の都立松原高校と道玄坂のヤマハ渋谷店からのつづき

佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.3

日本を代表する腕ききサックス奏者、山本拓夫との出会い


佐橋佳幸、高校2年生の時のこと。この年、一足先に卒業していった大先輩、清水信之の命令(?)を受け、3年生の “佐藤センパイ”、つまりEPOのライブやデモテープ作りを佐橋が手伝うようになった。いよいよプロデビューの話が本格的に進み始めたEPOと共に、佐橋は音楽出版社や放送局のスタジオなどで演奏したり、制作関係者たちと出会ったり。将来について考え始めていた彼にとって、業界の空気に触れることもまたかけがえのない経験となった。

高校生活でも、さらなる出会いがあった。今や桑田佳祐や佐野元春などのサポートでもおなじみ、日本を代表する腕ききサックス奏者、山本拓夫。彼と知り合ったのもこの当時のことだ。ブラスバンド部から洋楽曲を演奏する時のギターを弾いて欲しいと頼まれた佐橋が練習場所に出向いたところ、そこには同じように隣の都立千歳高校から駆り出されてきた山本がいた。

が、当時彼は管楽器奏者ではなくベーシスト。高校生とは思えぬ凄腕で、第二学区界隈では “世田谷のジャコ・パストリアス” の異名をとっていた。彼もまた、とてつもない洋楽オタクでもあったため、たちまち佐橋と意気投合。その後、不定期ながらEPO先輩との練習スタジオでのセッションなどに山本も参加していたという。

「拓夫くんとは高校卒業後、しばらく疎遠になっていたんだけど。UGUISSが解散してスタジオミュージシャンの仕事を始めてまもなく、中村あゆみさんのレコーディングで再会。しかも、世田谷のジャコ・パストリアスはいつの間にかサックス奏者に転向していたんです。これにはびっくりしました(笑)」

プロとしての初仕事、“ギターは佐橋くんにしてほしい”


清水先輩から引き継いだ高校時代のEPOセッションには、後に清水のアシスタントを経てシンセサイザー・プログラマーとして大活躍する遠山淳も参加していた。が、いよいよEPOのデビューを本格的に決める最終プレゼンに向けたデモテープ制作の段階で、さすがに高校生バンドでは心もとないという意見がスタッフ側から持ち上がった。

「それまでのデモ録音やライブを一緒にやっていたのは、僕が集めた高校生バンドだったんだけれど。デビューを決める大事なところでは、ほぼメンバー全員がプロに近いバンドを起用することになっちゃったの。でも、その時にEPOさんが “ギターは佐橋くんにしてほしい” と言ってくれて…」

そのレコーディングの際にギャラを貰ったのが佐橋のプロとしての初仕事となった。この最終デモテープが功を奏したのか、EPOは1980年3月にアルバム『DOWN TOWN』で晴れてデビュー。佐橋はそのアルバムの収録曲「語愛(かたらい)」のレコーディングにも呼ばれ、スタジオセッション・ギタリストとしての第一歩を飾った。



同アルバムの表題曲はご存じの通り、あのシュガー・ベイブの代表曲のカバー。アルバムと同時にデビューシングルとしてもリリースされた。佐橋に “プロミュージシャン” という将来をリアルに意識するきっかけを作ってくれたうえ、セッション・ミュージシャンとしての初仕事をももたらしてくれた先輩EPOのデビューが、中学生時代の佐橋にかつて決定的な衝撃を与えたシュガー・ベイブのカバーだったというのもまた不思議な巡り合わせだ。

「里見八犬伝」のようにUGUISSのメンバーになる面々が佐橋と合流


ちなみに、EPOの最終デモを録音したときのバンドには、佐橋の運命を握るもうひとりの重要人物も在籍していた。後にUGUISSに年長メンバーとして参加することになるキーボード奏者で、当時すでにプロとして活動していた伊東暁だ。この時期、他にも人力飛行機のメンバー募集にひとつ年下のドラマー、 松本淳が応募してきたり、その松本を介して同じ第二学区の明正高校に通うキーボード奏者の柴田俊文を紹介されたり…。まるで『里見八犬伝』の物語のようにUGUISSのメンバーになる面々がひとり、ふたりと佐橋に合流していった。

「もともと、毎週全米トップ40の順位をノートに書きこんでいたようなオタク人間だから、もちろんポップスは相変わらず大好きだった。だからEPOさんとの活動もそれはそれで楽しくて充実していたんだけどね。でも、EPOさんが目指すものはポップスでしょ。やっぱり僕はロックバンドをやりたかったんだよね。それでEPOバンドとは別に、ロックをやれるメンバーはいないかなぁ、とずっと探していたんです。そうこうするうちに人力飛行機でドラム叩いてた松本淳が、柴田俊文を連れてきて、初代ボーカリストだった竹内さんとも知り合って…。高校2年になったあたりでUGUISSの原型ができあがるんです」

写真提供:佐橋佳幸


僕がデビューするならUGUISSしかない


佐橋はUGUISSのために曲を書き始めた。ベース奏者がなかなか決まらないなど課題は山積みだったものの、バンドとしての土台は着々と固まっていった。バイトをして、みんなでレコード屋に行ったり、スタジオに集まって練習に明け暮れたり…。若きアマチュアバンドとして当たり前の平穏な日々を過ごしながら、佐橋の胸中で新たな目標が首をもたげ始めた。

「EPOセンパイがデビューして、自分もプロでやりたいという気持ちが一層強くなった。ずっと一緒にやってきたのに、センパイはひとりでプロの世界に旅立ってしまったわけだからね。学生の身分とはいえ、なんとなく自分が取り残されてしまったような気持ちもなくはなかった。でも、僕がデビューするならUGUISSしかない。そう思っていたから、とにかくデビューできるまではバイトしながらでもUGUISSでやっていこうと決意して。そこからは一直線。だけど想像以上に長い道だったなぁ。結局デビューできるまで、高校卒業から4年近くかかったからね」

高校卒業後も、UGUISSの “就活” は続いた。もともとUGUISSの評判は悪くなかった。早い段階から何社ものレコード会社が興味を持ち、自社でデモテープを制作させるところまでは話が進んだ。けれど最終的にはなかなかデビューまで至らず。1980年前後の日本では、ウェストコーストロック色濃いアメリカンサウンドをポップに演奏するというUGUISSのコンセプトは、あまりにも早すぎた。マニアックすぎた。

「レコード会社やラジオ局、音楽好きの業界人は面白がってくれたんだ。“この曲はアサイラム系のアレンジで行ってみよう〜” なんてやってるからさ(笑)。でも、当時はまだJ–POPという言葉すらなくて。ニューミュージックをやるか、そうでなければフュージョン系のバンドか…という時代。僕らはどっちもやりたくなかった。そんな10代。濃かったですね(笑)」

石川優子のバックバンドに参加


バンドとしての “就活” を続けながら、佐橋はシンガーソングライター石川優子のバックバンドに参加。初めて経験する全国ツアーの仕事だった。このツアー中、佐橋はハタチの誕生日を迎えた。

1978年にデビューした石川は、当時「シンデレラ サマー」の大ヒットでブレイク寸前。佐橋がエレキギターだけでなくアコースティックギターも弾けてコーラスもできるということを知っているUGUISSの伊東暁が石川のスタッフに紹介してくれたのだった。

「最近、そのツアーの頃のスケジュール帳が出てきたんです。機材のこととか、ぎっしり書き込みがしてあってね。初めてのツアー仕事だったし、僕も張り切ってたんだなぁ… と(笑)。でね、それを見ていて思い出したんだけど、その時に渡されたライヴ用の譜面には、編曲をした大村雅朗さんの名前があったの。僕はこの時、初めて大村さんの名前を目にしたんです。“このアレンジャー、誰なんだろう。雅朗ってどう読むんだろう” って思ったことを覚えてる。石川さんも大村さんと同じヤマハ出身だったから、その縁だったんだろうね」



「その次に大村さんの名前を見たのは、1980年の佐野元春さんのデビュー曲『アンジェリーナ』のクレジットを見返していた時。あ、この人だ、と思い出した。そして3回目に見たときはもう、ご本人にギターで呼ばれた時だった。美里の『Lovin' You』だったかな」

1997年に若くして世を去った編曲家・大村雅朗は、長年、佐橋をいわゆる “ファーストコール”、つまり最初に指名するギタリストとして信頼してくれていた。まさに駆け出し時代から重用し続けてくれた恩人。そんな仲だったこともあり、昨年、大村の地元・福岡で企画された追悼トリビュートライブでも佐橋は音楽監督を務めた。

プロのソングライターとしてのデビュー作になった国分友里恵のデビューアルバム


UGUISSを率いて自らパフォーマーとしてデビューする前、高校生時代からハタチそこそこの頃の佐橋との出会いをよく覚えている “オトナたち” は多い。UGUISSのデモテープを聴き、「なかなかいい曲を書く子じゃないか」と楽曲提供を依頼してきた者たちもいた。

そのひとつが、近年 “シティポップの名盤” として海外でも人気を集めている国分友里恵のデビューアルバム『Relief 72 hours』収録の「Weekend Love」だ。佐橋にとって、この曲はプロのソングライターとしてのデビュー作になった。国分は後に山下達郎バンドにコーラスメンバーとして参加。オトナになった佐橋と再会を果たすことになる。

同じ頃、女性シンガーのバッキングを務めるというテレビの音楽番組の仕事があった。その女性シンガーとは、当時売り出し中だった山根麻衣。そこで佐橋は、時に姉のバックコーラスも務める栄子という妹に出会う。これが縁で、後日、UGUISSと栄子の初セッションが実現する。栄子の歌声に触れた瞬間、全員が「この声だ」と確信したという。

写真提供:松本淳(撮影:大川直人)


やがて、長らく探し続けた2代目ボーカリストとして山根栄子がUGUISSに加入。それを境に運命が動き出した。停滞していたデビューまでの道が突如ぐんぐんと開けてゆき、1983年9月21日、UGUISSはEPIC・ソニーから念願のデビューを果たす。


【佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.4】は 5/18(土)紹介予定。

現在、佐橋佳幸のnoteにて、UGUISSのメンバーによる、現在、佐橋佳幸のnoteにて、UGUISSのメンバーによる、“What’s UGUISS?(UGUISSって、なんだ?)”が連載中。要チェック!

※2023年9月30日に掲載された記事をアップデート

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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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