僕にとってヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのレコードは、まさしく『ベイエリアの風』だった。アメリカ西海岸の街から発信される骨太のロックンロールは明るく、爽やかなコーラスには青い空がよく似合っていた。音楽にそうした地域性を感じたのは、彼らが最初だったかもしれない。
「アイ・ウォント・ア・ニュー・ドラッグ」、「ハート・オブ・ロックンロール」、「イフ・ディス・イズ・イット」、「スタック・ウィズ・ユー」、「ジェイコブズ・ラダー」。他にもたくさん。
彼らのヒット曲は、僕が思い浮かべる日常のどの場面にも当てはまる気がした。男仲間とつるんでいる時も、好きな女の子のことを考えている時も、なにか面白いことが起きないかと期待している時も、いつだって僕を10代特有の甘酸っぱい気持ちにさせてくれたように思う。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは、生粋のバーバンドだ。元々ヒューイ・ルイスはクローバーというカントリーロックバンドのメンバーで、イギリスのパブロックシーンで人気を集めていた。このバンドがエルヴィス・コステロのファーストアルバムでバックを務めたのは有名な話だろう。
クローバー解散後、ヒューイ・ルイスは地元サンフランシスコに戻り、ザ・ニュースの前身となるアメリカン・エキスプレスを結成。西海岸のバーで毎夜ライヴをするようになる。つまり、ヒューイ・ルイスの音楽キャリアは酒場での叩き上げなのだ。
酒場のライヴでなにより重要なのは、客を楽しませることだ。その点、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの音楽はとにかく明るかった。難しいことを考えずに、ただ楽しむことができた。それは1日の憂さを晴らすのにぴったりの音楽だった。
こうした下積みがヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを全米を代表するライブアクトへと成長させることになる。最初のトップ10ヒットとなった「ドゥ・ユー・ビリーヴ・イン・ラブ」をリリースした時、ヒューイ・ルイスは既に30才を過ぎていた。機は熟しすぎるほど熟していたのだ。
とりわけ僕の心をがっちり掴んだのは、彼らのアカペラコーラスだった。毎週楽しみに観ていた音楽番組『ベストヒットUSA』で、彼らがザ・タイムズの「ソー・マッチ・イン・ラブ」を楽しそうに歌うのを観て、すっかりやられてしまったのだ。
1985年12月の日本武道館、僕は「ソー・マッチ・イン・ラブ」を期待していたが、残念ながら歌ってはくれなかった。その代わりザ・インプレッションズの「イッツ・オール・ライト」がアカペラで披露された。ハンドクラッピングをしながら歌うヒューイ・ルイスと、指を鳴らしながらコーラスをつけるメンバーは本当にかっこよかった。
そして、このときの来日公演は同郷の偉大なファンクバンド=タワー・オブ・パワーのホーンセクション5人を伴ったものだった。そう、あの夜、僕は彼らの名曲「ユーアー・スティル・ア・ヤングマン」を聴いているのだ。
ザ・タイムズもザ・インプレッションズもタワー・オブ・パワーも、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに教えてもらった。
また、彼らのレコードには古いカヴァーソングが収録されていて、そうした曲にも興味を惹かれた。「バズ・バズ・バズ」はハリウッド・フレイムス、「ホンキー・トンク・ブルース」はハンク・ウィリアムズの曲だった。そんなことを、僕は何年も後になって気づくことになる。
1980年代も後半になると、彼らの人気は次第に低迷していった。でも、ヒューイ・ルイスにしてみれば、そんなのはどうってことなかったのかもしれない。
だって、彼らは生粋のバーバンドなのだから。また馴染みのバーへ戻ればいいだけのこと。それが「帰る場所」をもっているバンドの強みだ。
今でも彼らはライヴ活動をつづけている。
明るくて楽しくて、1日の憂さを晴らすのにぴったりなロックンロールを、きっと演奏しているに違いない。
2017.06.16
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