国鉄が抱える “負” のイメージを払拭した松任谷由実
1970年代初め、遵法闘争による鉄道ダイヤの乱れに対し、その不満は鉄道利用客全体に蔓延していた。その積み重なった鬱憤が乗客と職員の小競り合いを引き起こし、周囲を巻き込み、そして大きな暴動へと発展する――
これが1973年3月に起きた「上尾事件」と、その約一か月後に起こる「首都圏国電暴動」である。それはまさに集団真理の怖さを物語る事件であった。
暴動は程なくして収束。けれども、その後の国鉄は変わらず政治介入や累積赤字による債務など、数多の問題を抱えたままであった。それは80年代へ突入した後も、改善の兆しすらない状態。そうした状況を打破するにあたり、中曽根内閣は行政改革の一環として国鉄分割民営化を推進してゆく。
すると1985年11月29日、政府が推し進める分割民営化に反発した中核派による「国電同時多発ゲリラ事件」が勃発。首都圏と大阪府の計8都府県にある国鉄、計22線区の通信・信号ケーブルが次々と切断され運航不能になったのだ(西武鉄道の一部区間も運行不能)。
その日、早朝からあらゆる線路が壊滅状態に陥った。当然TVはこの騒ぎでお祭り状態である。その動乱に巻き込まれた僕は興奮し、何故かワクワクした。なにせ首都圏の路線のほとんどが動かないのだ。それも大阪まで同時に。
当時、僕の通う学校は代々木にあったけれど、もちろん学校は休みである。いま思えば、どこの会社もこの事件により “てんてこ舞い” だったはずだ。国鉄の印象、イメージが地の底まで落ちてしまったのは言うまでもない。
この事件の翌日、11月30日「シンデレラ・エクスプレス」が収録された松任谷由実17枚目のアルバム『DA・DI・DA』がリリースされる。この「シンデレラ・エクスプレス」がJR東海の CM で全国に流されることにより、国鉄が抱えていた負のイメージが払拭されるとは、このとき誰が想像できたであろう――。
今回はこの「シンデレラ・エクスプレス」と、その楽曲を使用した JR東海の CM について語ってみたい。
JR初の企業広告 “シンデレラ・エクスプレス”
件の事件からおよそ一年半が経過――
1987年4月1日、国鉄は分割民営化され「JR」となっていた。そんな中でJR東海は、最初の企業広告として電通が提案した『シンデレラ・エクスプレス』を採用した。新しい門出である。
このCMは、1985年、TBS 系『日立テレビシティ』というドキュメンタリー番組で放送された『シンデレラ・エクスプレス~48時間の恋人たち』が土台になっている。
新幹線の最終列車を舞台に遠距離恋愛のカップルが週末を東京で過ごすというドキュメンタリーを制作するにあたって、スタッフがオリジナル楽曲の制作を松任谷由実へ依頼、「シンデレラ・エクスプレス」という切ない歌が誕生した。JR東海の CM にイメージソングとして使われるのは、もはや必然であった。
飛びぬけてファンタジックに描いた乙女心
さてここからは、歌詞を追ってみよう――
ガラスに 浮かんだ街の灯に
溶けてついてゆきたい
彼が乗る新幹線に一緒に乗ってしまいたい。彼といつまでも一緒にいたい… という切ない気持ちを、新幹線の窓ガラスに映り込む街の景色で表現した歌詞。こんなに狂おしく愛おしい気持ちを、たった二行に凝縮している。これはそうそうお目にかかれない美しさだ。
ため息 ついてドアが閉まる
何も云わなくていい
力を下さい 距離に 負けぬよう
携帯電話がまだ普及していなくて、声はおろか文字さえも簡単には紡ぐことができない時代。恋人たちの遠距離恋愛は困難を極めただろうし、僕自身もこの意思疎通がかなわない距離に負けて、彼女と別れてしまったことがある。
シンデレラ 今 魔法が
消えるように 列車出てくけど
ガラスの靴 片方
彼が 持っているの
魔法は、時計の針が12時になると解けてしまう… それを去ってゆく列車になぞらえ、ガラスの靴を片方ずつ持つ二人という “繋がり” を象徴する換喩。それはもう飛びぬけてファンタジックであり、週末を待ち続ける乙女を見事に描き切っている。ガラスの靴とは、お互いが心に秘めた大切な契りなのだ。
ユーミンが描く“遠距離恋愛”は、こうだ!
ここまでの歌詞を辿ると、この女性は遠距離恋愛で常に不安な、寂しくて、寂しくて仕方がない “か弱い乙女” そのものである。
ただ、僕が知っているユーミンはこんな女性ではない。もっと女性が持つ情念やドロドロしたものを歌詞に乗せてくる詩人。例えば「あの日にかえりたい」のように “少しだけ にじんだアドレス 扉に挿んで 帰るわ” といったそんな一筋縄ではいかない女性を描くはず… と思っていたら、最後に綴られた歌詞で合点がいった。さすがユーミン! 本領発揮だった。
意地悪なこのテストを 私
きっと パスして見せる
同じ時間 生きるの
どんな遠く なっても
遠距離恋愛を “意地悪なテスト” と表現するユーミンは天才である。どんなに遠く離れていても、それはひとつの同じ時間という強い意思表示―― ユーミンの描く女性は、その誰もが芯の強い部分を秘めているんだよなぁ。
この楽曲を使った JR東海のCM『シンデレラ・エクスプレス』は、1987年の河合美佐バージョンと、1992年の横山めぐみバージョンがある。河合美佐バージョンは、スモークが焚かれた幻想的なホームから新幹線が発車すると魔法が解けて(スモークが消え)現実に引き戻されるという演出。
一方、横山めぐみバージョンは、駅のホームで彼女が最後の言葉を発しようとした瞬間、列車のドアが閉まるという少しばかり意地の悪い演出が素晴らしく、グッとくる(ここ泣きそう…)。
そして、CMに流れるモノローグも印象的――
本当は、
距離に負けそうな自分が怖いのです。
それがわかっているから、
今日、確かにあなたと会ったことを、
心と体のどこかに
焼き付けておきたいのです。
あなたの頬に
触れていたいのです。
あなたの唇に
触れていたいのです。
昭和、平成、令和も変わらない“恋人たちの試練”
いまならば日々LINEで繋がっていられるし、お互いの行動は手に取るようにわかるはずで、この当時ほどの切なさが今の遠距離恋愛にあるかというと、そこまでではないかな? と思ってしまう。それでも現実に遠距離恋愛というのはまだまだ存在していて、“意地悪なテスト” は今日もどこかで続いているのだと思う。恋人たちへの試練はいつの時代も変わりないのだ。
この『シンデレラ・エクスプレス』の発展型が、その後シリーズ化される『クリスマス・エクスプレス』のCMである。山下達郎の「クリスマス・イブ」を使い、同じ遠距離恋愛をモチーフとしてクリスマスを演出、今も語り継がれている。
最後に、僕もいくつかコピーに関する賞を頂いているので、この「遠距離恋愛」について書いてみようと思う。電通に対抗したコピーを書くという暴挙? で、今回のコラムの〆とさせていただきたい(笑)。
同じ空のした 同じ時間がながれ。
それでも「あいたい」を、
こころに秘めて苦しくなる。
離れるほど、強くなる想い。
ぬくもりが消えるまえにきっと。
ふたりなら、できる。
遠く別つふたりは、
今宵も同じ月を見上げているのだから。
2018年11月30日に掲載された記事をアップデート
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2022.11.30