今シーズンの『JR SKISKI』キャンペーンでは、JR東日本の発足30周年と映画『私をスキーに連れてって』公開30周年の特別企画が実施され、テレビCMや駅貼りポスターなどに原田知世と三上博史の懐かしいビジュアルが登場している。 馬場康夫監督によるホイチョイ・プロダクションの映画第1弾として大ヒットし、スキーブームに拍車をかけた『私をスキーに連れてって』(87年)には全編にユーミンの曲が散りばめられていた。主題歌となった「サーフ天国、スキー天国」(80年)のほか、「恋人がサンタクロース」(80年)や「BLIZZARD」(84年)が効果的に使われていたのだが、では当時リアルタイムで出されたユーミンのアルバムは何だったのだろう。 それは『ダイアモンドダストが消えぬまに』。松任谷由実19枚目のオリジナルアルバムとして、映画の封切りから2週間後の87年12月5日にリリースされた。 83年の『VOYAGER』以降、ユーミンのアルバムは年1回、11月の終りか12月の初めに発表されるのが通例となっており、だからこそ冬の定番も必然的に多くなってくる。ここでもタイトル曲の「ダイアモンドダストが消えぬまに」が生まれているわけで。 南半球のクリスマスが題材となったこの歌が三菱ミラージュのCMソングに使われたのをはじめ、際立ったタイアップソングがたくさん。ユーミン自身、「初めて作詞のメソッドが完成したアルバム」と語っているという。そのまま清水ミチコが物真似のネタにしそうな、いかにもユーミンらしい表現ではあるまいか。 たしかにユーミンならではの贅沢なデコレーションが施された歌詞スタイルが高みに達したアルバムといえそうだ。なお、今作と翌年の『Delight Slight Light KISS』、さらに翌年の『LOVE WARS』で “純愛三部作” と呼ばれる。 第30回日本レコード大賞では優秀アルバム賞を受賞。セールス的にも、97年の『Cowgirl Dreamin'』にまで連なるオリジナルアルバム10作連続ミリオンセラーの記録は今作から始まっている。さらに年間売上が最も多かったアルバムに贈られる日本ゴールドディスク大賞のグランプリアルバム賞を受賞し、91年の『天国のドア』まで4年連続受賞の快挙となった。バブル景気が沸騰していた経済状況とも絶妙にシンクロして、ラブソングの女王・ユーミンがいよいよ神がかった感のある、実に語るところの多いアルバムなのである。 当時『私をスキーに連れてって』を観て猛烈に気に入ってしまった自分は、サントラ盤が残念ながら出されなかったために、映画で使用されたユーミンの5曲を46分のカセットテープの両面にそれぞれ入れて、エンドレスで聴きまくっていた。なので、毎冬に高まるユーミン熱もその年はさらに倍増しており、『ダイアモンドダストが消えぬまに』はいつも以上に発売日が待ち望まれた。 アナログレコードからCDへの急激な移行が進んだこの年、リアルタイムでは初めてCDで買ったユーミンのアルバムだったと記憶する。まだポータブルCDプレイヤーを持っていなかったからすぐにカセットへダビングして、ウォークマン(正確にはAIWAのカセットボーイ)で繰り返し聴いた。 アルバムは、半蔵門線永田町駅のエスカレーターがイメージされたという「月曜日のロボット」に始まり、すぐに「ダイアモンドダストが消えぬまに」が登場する。三菱ミラージュのCMソングはこの曲のほか、シングル曲の「SWEET DREAMS」、アルバムのラストを飾る「霧雨で見えない」と3曲も。 「SWEET DREAMS」はホイチョイムービー三部作の3作目『波の数だけ抱きしめて』(91年)でも劇中に使用されている。「霧雨で見えない」が渋谷・並木橋の交差点をイメージしているというのは事実だろうか。84年に麗美とハイ・ファイ・セットへ提供された曲のセルフカヴァーだった。 LP盤ではB面の1曲目にあたる「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」は、「土曜日は大キライ」に続く、ユーミン2作目の『オレたちひょうきん族』エンディングテーマ。六本木にあった実際のバーがモデルになったそうだ。ちなみに荻野目洋子の「六本木純情派」はこの前年、ちょうどバブル時代に突入した頃のヒット曲で、六本木こそバブル期を象徴する街だったといえる。WAVEもスクエアビルも森永LOVEも健在だった昭和の終わり頃の懐かしい風景が思いだされて胸熱な気持ちになる。 そんな時には『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(2007年)を見返すのが一番なのだ。
2018.01.08
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YouTube / 松任谷由実
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