日本の歌姫松田聖子、世界的なディーバSEIKOを目指しアメリカへ
1985年といえば日米貿易摩擦などの問題が見え隠れするなど、日本の工業製品が世界のマーケット、とりわけアメリカを席巻していた頃でもありました。音楽に関してはYMO、ラウドネスなど一部のロックミュージシャンが成功を収めるに留まっており、いわゆるポップシーンに打って出て行こうという試みが行われた頃でもございます。
そんな時期に日本が誇る歌姫、松田聖子さんが名を “SEIKO”(時計のSEIKOを意識したという説もあります)と改めたうえで、プロデューサーにビリー・ジョエルを手がけた事で著名なフィル・ラモーンを、ソングライターに「リライト・マイ・ファイア」で知られるダン・ハートマンやマイケル・センベロを起用して作られたアルバムがこの「SOUND OF MY HEART」でございます。
このように豪華な体制によって作られたこのアルバム、日本人シンガーSEIKOを世界的なディーバに変貌させるべくソニーグループの総力を結集して制作されたことがわかります。
軽快なポップサウンド「DANCING SHOES」で始まるA面
さて、その内容なのですが、12インチシングルとして先行発売された「ダンシング・シューズ」から始まります。ちょっと奥手な女の子がちょっと頑張ってしまう内容の歌詞が軽快なポップサウンドに乗って歌われます。当時のディスコシーンを意識したであろうビートに聖子さん独特のキュートなボーカルが当時のアメリカンポップには無かったであろう魅力を湛えた名曲ではないかと思います。
続く2曲目は「リライト・マイ・ファイア」というディスコスーパーヒットチューンで著名であるダン・ハートマンが手がけた「ラブ・イズ・ネバー・オーバー」なのでありますが、そのような経緯を踏まえてバリバリにフロア映えするダンスチューンを期待した青年がここに1人いたと思ってください(以下、個人の感想です)。
期待しながら聴き始めた時に流れて来たのは、しっとりとしたラブバラードであります。そこで私はついつい思ってしまったのですよ。「ヘイ!フィル!どうしてダンにこんな曲をオーダーしたんだい? SEIKOの魅力を引き出す方法は他にもあるはずだろう!?」と。
とは言いつつも、この曲自体は、しっとりと歌い上げるSEIKOの魅力を引き出すことには成功しており、1曲のバラードとしての完成度はもちろんバッチリなのでありますが… ありますが… やはりダンにはバリバリのダンスビートを提供してほしかったという極めてワガママな片思いがあるのです。わかってくださいフィル・ラモーン。
と、いうこともございまして、3曲目は映画『フラッシュダンス』のサウンドトラックでローラ・ブラニガンが歌っておりますマイケル・センベロが手がけた名曲「イマジネーション」のカバーバージョンでありますが、アレンジとしては原曲に比較的忠実であります。それ故に原曲のローラ・ブラニガンに比較したSEIKOのコケティッシュな魅力が引き立つ1曲となっていると思います。
続く4曲目、5曲目の「ア・フレンド・ライク・ユー」「タッチ・ミー」と正統派アメリカンポップス調の2曲でA面は幕を閉じるのであります。
アップテンポなポップチューン「スーパー・ナチュラル」から始まるB面
続くB面1曲目、「スーパー・ナチュラル」はアップテンポなポップチューンなのですが、作曲にBOB CALDWELL… とありまして、これ、調べてみるとやはりボビー・コールドウェルでございました。当時はレコードセールスが伸び悩んだことによってソングライターとして腕を振るっていた頃だったとのこと。なるほど。人に歴史ありです。
2曲目「クレイジー・ミー・クレイジー・フォー・ユー」は、こちらもしっとりと歌い上げるミディアムテンポのラブバラードでございまして、この辺からなんとなく作り手の思惑みたいなものが見え隠れしてまいりましたが、そこについては後述させていただきます。
3曲目はアルバムタイトル曲「サウンド・オブ・マイ・ハート」でありますが。若干モータウン的なテイストも感じさせる軽快なサウンドをたたえております。当時のシングルA面的なムードはA-1の「ダンシング・シューズ」に通じるものがあるように思います。
4曲目「ミラクルズ・テイク・ア・リトル・ロンガー」は当時の典型的なポップサウンドにより構築されたドラマチックなチューンであります。
5曲目「トライ・ゲッティン・オーバー・ユー」はマイケル・ボルトンの手になるスローバラードですが、ここでは華麗に歌い上げるSEIKOのボーカルが堪能できます。
アメリカ音楽シーンに名刺代わりのショウケース「SOUND OF MY HEART」
さてここで、先程申し上げた “作り手の思惑” とはどういうことなのか… というところのお話ですが、SEIKOを世界的シンガーに押し上げる前振りとして、ポップシンガーであるというキャラクターを軸に据え、様々なソングライターにポップスという振り幅の中で命題を与え、そして “名刺代わりのショウケース” として構築したのがこのアルバムなのではないかと思うのであります。
残念ながらこの挑戦は、セールスが今ひとつ立ち行かなかったところに松田聖子さんの結婚による活動休止という事情も相まって引き続き行われることはなかったのですが、もし事情が違っていたら第2弾、第3弾のアプローチがあったようにも思えるのです。
様々な形で80年代の洋楽を意識して作られたシティポップが海外で再発見されている中で、当時、アメリカの音楽シーンに対して中央突破を試みたこのような作品は彼らの目にはどのように映るのでしょうか。
2021.01.18