1月25日

【追悼:笠浩二】生前の本人が語った C-C-B「Romanticが止まらない」誕生秘話

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笠浩二の訃報、あまりにも早い旅立ち


「え、ウソでしょ?」。ショックを受けて、そう呟いた。昨年(2022年)12月18日、C-C-Bのメンバー・笠浩二の訃報に接したときのことだ。脳梗塞のため、同月14日に亡くなったという。享年60。あまりにも早い旅立ちではないか。

筆者は生前の笠に2回、取材をする機会に恵まれた。1度目は渡辺英樹、関口誠人と3人でアルバムを制作し、東阪名のツアーを開催した2008年の4月。そのときは3人揃ってのインタビューだった。2度目は2021年7月。ある雑誌の企画で、恩師・筒美京平に関する話を聞いた。当初、取材時間は50分という前提であったが、筒美への想いが溢れたのだろう。90分近くにわたり様々なエピソードを語ってくれた。

誠実な人柄と音楽への愛に感銘を受けた筆者は自分が担当しているラジオ番組へのゲスト出演を依頼。嬉しいことに「ぜひ」との快諾を得た。とはいえ、笠は熊本在住。日程を合わせるのはイベントやライブなどで上京するときに限られる。「いつか折を見て」、「C-C-Bが40周年を迎える2023年のタイミングがいいかもしれない」――。そう思っていた矢先の訃報だっただけに、なおさら悔やまれたのである。

2015年に55歳の若さで他界したリーダーの渡辺に続く2人目の訃報。リアルタイムでC-C-Bの音楽に接してきた世代としては寂しい限りだが、本稿では2回のインタビューで得られたエピソードも交えつつ、彼らが出世作「Romanticが止まらない」に出合うまでの軌跡を振り返りたい。

和製ビーチ・ボーイズ、ココナッツ・ボーイズの誕生


1982年8月、東京・青山に米国のDJスタイルを売りとするミニFM局「KIDS RADIO STATION」が誕生する。主宰は音楽プロデューサーの上野義美。ロックバンドのBOWWOWや、陣内孝則率いるザ・ロッカーズなどを手がけた人物である。オールディーズのカバーバンドを作って、局の目玉にしようと構想した上野はメンバーを募集。そのプロジェクトで結成された “和製ビーチ・ボーイズ” が、渡辺(ベース)、関口(ギター)、笠(ドラムス)を含めた6人の若者たちであった。

上野は高音の笠、低音の関口、その中間の渡辺の声を生かせば、ビーチ・ボーイズのようなコーラスバンドに育てられると考えたようで、彼らを “ココナッツ・ボーイズ” と命名。ほかにも “和製ベンチャーズ” をコンセプトにしたパイナップル・ボーイズや、DJ2人を中心にしたオレンジ・シスターズを送り出す。

筆者が1度目の取材で聞いた話によると、渡辺はギタリストの西山毅にも参加を呼びかけたとのこと。だが「髪を短くする」という条件を拒否した西山は1984年にHOUND DOGに加入する。「歴史にIFはない」と言うが、もし西山がココナッツ・ボーイズに入っていたら、日本の音楽シーンは違った展開になっていたかもしれない。

1度目の取材の話を続けよう。当初、ココナッツ・ボーイズはパイナップル・ボーイズと同様、アルファ・ムーン(1982年に設立されたレーベル。初期は山下達郎、村田和人、松下誠らが在籍)からデビューする予定だった。だが関係者を集めたコンベンションで、1曲目の「バーバラ・アン」(1965年にビーチ・ボーイズがカバーしたロックンロール)の演奏に失敗。その結果、デビューの話が立ち消えになったという。「歴史にIFはない」と言うが、もし無事に演奏できていれば、筒美京平との出会いはなかったに違いない。



しかし、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもの。意気消沈する彼らの前に、ある名物ディレクターが現れる。森山良子や野口五郎、のちにKAN、山崎まさよし、スチャダラパー、コブクロなどを手がける渡辺忠孝だ。当時ポリドールにいた渡辺はメンバーのボーカル力に注目し、「コーラスを鍛えれば面白いバンドになる」と直感。ビーチ・ボーイズに詳しい萩原健太を作曲に迎え、1983年6月にシングル「Candy」でデビューさせる。その直前に1人が脱退したため、メンバーは5人だった。

同月にアルバムもリリースした彼らだがヒットに至らず、さらにメンバー2人が脱退。代わって田口智治(キーボード)と米川英之(ギター)が加入し、再び5人編成となる。翌84年7月には、チェッカーズでヒットを連発していた芹澤廣明(作曲)と、当時売り出し中の秋元康(作詞)のコンビによるセカンドシングル「瞳少女」を発表。爽やかなコーラスが心地いいオールディーズ調の佳曲で、AB面ともにCMタイアップが付いたにも関わらず、やはりヒットに結びつかなかった。「歴史にIFはない」と言うが、ここで成功を収めていれば、「Romanticが止まらない」は生まれなかったと言えるだろう。



作曲は筒美京平、「Romanticが止まらない」


だいぶ前段が長くなった。ここからは割と知られた話だが、あとがなくなった彼らと渡辺にまたとないチャンスが巡ってくる。音楽出版社・日音を通じて、1985年1月期の連続ドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)の主題歌の話が持ち込まれたのだ。ここが勝負どころと見定めたディレクターの渡辺は実兄の筒美京平(本名は渡辺栄吉)に作曲を依頼する。実はデビュー当初から話はしていたそうだが、当時の筒美はヒットメーカーとして多忙の身。このときは松本隆が詞を書くことを条件に引き受ける。

ココナッツ・ボーイズの5人も心機一転、髪をカラフルに染め、バンド名をC-C-Bに変更する。笠がシモンズ社の電子ドラムを分割払いで購入したのはその頃のことだ。余談だが、挨拶に現れた彼らの髪の色に驚いた松本は一瞬、仕事をすることをためらったという。

それはともかく、制作は曲先で進められ、既発のアルバムを聴いた筒美は笠のハイトーンボイスに着目。ドラマーであることを知らずにメインボーカルに指名する。当の笠はコーラス程度の経験しかなく、「なぜ自分が……」と面食らったそうだが、背水の陣ということもあり、敢然と立ち向かう。2度目の取材のときの話によると、朝10時から夜8時まで、連日事務所の一角で筒美のデモテープを聴きながら1人で特訓、松本の詞が完成すると詞をはめて練習を重ねたらしい。

アレンジには多くの筒美作品を手がける船山基紀が起用されるが、完成したオケを聴いた笠は「イントロからカッコいい!」と惚れ込み、ヒットを確信。他のメンバーも同じ反応だった。当初、筒美は歌謡曲っぽいイントロのフレーズに難色を示したらしいが、メンバーの支持を受けて翻意。若い感性を信頼したということだろう。

歌入れ当日の笠は朝10時から練習を開始。夕方5時に筒美と松本がスタジオ入りすると、「今度は少し大人っぽく」など、様々な注文が入ったため、プレッシャーのあまりメロディを間違えてしまう。1番でいうと「胸が胸が苦しくなる」の語尾はもともと下がるメロディだったのだが、笠は上げて歌ってしまったのだ。ところが筒美は意外な言葉を発する。

「メロディは君の歌い方でいいんだから、堂々と歌いなさい」

―― 本人いわく、それまでは自己評価の低い人間だったそうだが、巨匠のこの一言に救われ、以後自信を持てるようになったという。

「筒美先生がそう言うんだから、自分は大丈夫。まるで神様に会ったような心境になれた」

笠はそう表現した。


こうして完成した「Romanticが止まらない」は1985年1月25日に発売。その時点でドラマは3回放送され、平均15%の視聴率を獲得していたこともあり、オリコンで初登場63位と、バンドとして初のトップ100入りを記録する。その後も順調にチャートを上昇し、登場4週目でトップ10入り。オリコンで最高2位、『ザ・ベストテン』(TBS系)と有線放送ランキングでは1位を獲得する大ヒットとなる。

『ザ・ベストテン』でも10作連続のトップ10入り


当時大学生だった筆者が、歌う彼らを初めて観たのは『ザ・ベストテン』の注目曲コーナー「スポットライト」に登場した85年2月21日のこと。カラフルな髪や衣装はさほど気にならなかったが、ヘッドセットを付けた笠が六角形の電子ドラムを叩きながら歌う姿が新鮮だった。それまでのバンドと言えば、ギタリストかボーカル専門のフロントマンが歌うケースがほとんどだったからだ。

肝心の音楽性は80年代前半に英国発で世界を席巻したニューロマンティックを思わせる、打ち込みを主体としたエレクトロポップ。色鮮やかなファッションもデュラン・デュランやカルチャー・クラブ、カジャグーグーに通じるものがあった。

大ブレイクで時代の寵児となっただけに “一発屋” に終わりかねないリスクもあったが、その後も彼らはヒットを連発。渡辺、関口、笠の3人がパートごとに歌い分けるスタイルで幅を広げ、メンバーによるオリジナル曲も織り交ぜつつ、オリコンで12作連続、『ザ・ベストテン』でも10作連続のトップ10入りを果たす。彼ら以外に80年代でそれだけのトップ10ヒットを放ったバンドはチェッカーズと安全地帯、TM NETWORKなどに限られる。その快進撃の端緒となったのが「Romanticが止まらない」であった。



笠はこうも語っていた。

「メンバー全員が作詞・作曲・編曲をするバンドだったので、売れる曲はどこが違うのかが『Romantic〜』のときに分かったんです。スタジオで時間があるときには先生たち(筒美、松本、船山のこと)に質問して曲づくりの勉強もしました」

独特のボーカルとビジュアルで時代のアイコンとなった笠だが、C-C-Bは89年10月、日本武道館公演を最後に解散。メンバーは独自の活動に移行する。いつかはそうなることはバンドの宿命とも言えるが、彼らは時代のあだ花に終わらなかった。それは演奏力も含めた音楽性と楽曲のクオリティが高かったからに違いない。

世代を超えて「歌いたい」、「聴きたい」と思わせるC-C-Bの魔法


実際、「Romanticが止まらない」は2000年代中盤に各方面でフィーチャーされる。まず2005年、笠が出演したアサヒ飲料の缶コーヒー「WONDA」のCMで使われて話題となり、同年7月期の連続ドラマ『電車男』(フジテレビ系)では挿入歌となる。2007年に世界チャンピオンとなったボクシングの内藤大助選手の入場曲として注目される一方、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で稲垣吾郎が笠の扮装でエアドラムを披露する “C-C-B吾郎” も人気を呼ぶ。筆者が渡辺、関口、笠の3人にインタビューした2008年は再ブームの真っ只中であった。

それからさらに15年。「Romanticが止まらない」は筒美・松本のゴールデンコンビによる名曲として、往時を知らない若い世代にも浸透している。それはカラオケで歌う女性の3割が30代以下というデータ(出典:JOYSOUND)や、サブスクで今もランキングに名を連ねる事実(LINE MUSICの歌謡曲・演歌カテゴリでは常に20位前後)からも明らかであろう。彼らの音楽には時代や世代を超えて「歌いたい」、「聴きたい」と思わせる魔法がかかっているのだ。



来たる2月2日(木)には新宿BLAZEにて「笠浩二お別れの会」が行なわれる。第一部が献花式(15時〜17時)で、第二部が追悼ライブ(18時開場、19時開演)。ライブは有料配信もされるとのことなので、笠を偲びつつ、C-C-Bが残した音楽に浸りたい。

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2023.01.25
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