「プロデューサーと言えば親も同然」立花ハジメの言葉である。
サエキけんぞう、窪田晴男擁するパール兄弟のデビューアルバムのプロデューサーが、ムーンライダーズの岡田徹であることはご存じのとおり。
パール兄弟以前にサエキが所属したバンド、ハルメンズのプロデューサーが、同じくムーンライダーズの鈴木慶一だった事を思うと、メインゲストに岡田徹、ゲストに鈴木慶一を迎えた『君と河をのぼろう パール兄弟2019』と題された渋谷クアトロ公演は、差し詰め親子共演とも呼べるかもしれない。
ちなみに、2018年のクアトロ公演でのゲストは近田春夫だった。もともと窪田晴男の人種熱というバンドに近田が加入する形でビブラトーンズが結成された事を思うと、こちらは後妻、継母といったところか。
ところで、1996年公開の映画『スワロウテイル』の中に登場した架空のバンド YEN TOWN BAND のモデルは、ムーンライダーズであると岩井俊二監督は述べたが、ライダーズのデビューは、映画公開の年から遡る事20年の1976年、パール兄弟のデビューはその10年後の1986年であった。
では、1986年の邦楽シーンを振り返ってみよう。バブル時代に突入したと言われるこの時期、チェッカーズ旋風も落ち着きつつあるなかで、職業作家の作品からは巣立ち、メンバー作曲の「NANA」がリリースされ、作詞における一部卑猥な表現が NHK での放送禁止を招く事になる。
また、ランキング番組「ザ・トップテン」で司会を務めた堺正章が「西のチェッカーズ、東の C-C-B」と評し、当時、チェッカーズとアイドル的人気を二分した C-C-B も、メンバー作曲の「不自然な君が好き」をシングルでリリース。
ほかに、ケラ擁する有頂天はインディーズシーンに別れを告げる「BYE-BYE」という曲をポニーキャニオンからリリース。当時、チェッカーズの所属レコード会社でもあったキャニオンの制作サイドからは「君たちは第2のチェッカーズを目指せ!」とのミッションを与えられ、メンバーは鬱になっていたという。
当のムーンライダーズは、盟友、高橋幸宏と共にキャニオンの中に「T・E・N・Tレーベル」を設立し、通称ドントラと呼ばれるアルバム『DON'T TRUST OVER THIRTY』(30才以上を信じるな!)をリリースし、5年の間活動を休止する。ちなみに、高橋幸宏もお気に入りの「9月の海はクラゲの海」ではサエキけんぞうが作詞で参加している。
そんな、視界の悪い死海のような1986年に、サエキ歯科医が司会を務めるパール兄弟の存在は、正に見過ごされた死界だったといえよう。
このほど発売されたニューアルバム『歩きラブ』とデビューアルバム『未来はパール』を並べて聴いた。そこには何の違和感もないのだ。その質感は、今も昔もニューウェーブ。これは代わり映えしないという意味ではなく、変わらない為に変わり続けた結果であることは、聴けばわかる。
なお、デビューアルバム『未来はパール』が発売されたのは昭和。時代は令和となり、世に出たばかりのミニアルバム『歩きラブ』の帯にはこう書かれている「未来はパールになった!」メンバーチェンジを余儀なくされつつも解散する事なく令和に在るバンドの自信のほどが伺える。
形骸化したニューウェーブっぽい音色を用いただけでは、それはオールドウェーブでしかない。バンドとしてのパール兄弟はアップデートし続けている、現在進行形のニューウェーブなのだ。
とかく東京ロッカーズや YMO 等、パンク / ニューウェーブの胎動と言えば東京発のムーブメントとして語られがちだが、ライダーズの歴史を羽田からスタートさせた鈴木慶一は「東京湾を挟んだ千葉の人脈が重要な役割を果たした」と証言している。地元千葉から TOKYO を俯瞰し続けたサエキが紡ぐ詞と、その佇まいは今も飄々とニューウェーブを体現している。
2019.06.25
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