評価の基準はレコードの “売上”、職業作詞家に求められるものとは?
職業作詞家の仕事は、“歌詞” という手段を通してアーティストならびに楽曲の世界観を脚色することだと、私は思う。メッセージ性を重んじるシンガーソングライターとは異なり、職業作詞家に求められるのはいかに適切な言葉でもってアーティストの魅力を世間に訴求するか、だ。
だから必然的に、評価の基準はレコードの “売上” ということになる。売れなかったけど伝えたいことを伝えられたからオッケー、ではなく。売れるのを期待してオファーされる以上は、結果を残さなければプロとしては “失敗” なのである。
松本隆自身も、多忙を極めた1980年代についてこう振り返っている。
「きつかったのは、毎週売上のランキングが発表されること。1位になって当たり前で、調子が悪いと2位、3位。永久に試験休みのない試験が続いている感じ」
(『文藝春秋』2021年5月号)
それでも松本隆は、当時たくさんいた同業者のなかでも阿久悠と双璧を成す “勝てる作詞家” であり続けた。80年代の幕開けと共に「ルビーの指環」のメガヒットで揺るぎない地位を築き上げながらも(下世話ながらおそらくこの時点で一生食うに困らない収入を手にしたはずだ)、松本隆は安住することなく “休みのない試験” を受け続けた。
ちょうどこの頃、野球界では広島、日ハムと渡り歩いた先で立て続けにストッパーを担い、優勝へと導いた江夏豊が「優勝請負人」と呼ばれ脚光を浴びていた。まさしく松本隆も、レコード会社や事務所からすれば「ヒット請負人」といった存在だったのではないだろうか。
髪型をストレートボブに変えて心機一転、自身最高のセールスを記録!
だが、そんな松本隆の神通力をもってしても、松田聖子の人気低迷には歯止めをかけることができなかった。1981年秋に商売道具である喉を痛め、伸びのあるハイトーンボイスを失った話は
『松田聖子の声が出ない… 苦難の名曲「風立ちぬ」に彩りを添えた松本隆の作詞術』でも書いたとおりだ。
そこから「赤いスイートピー」で歌い方を変えて立ち直ったかに思われたが、1982年夏にリリースした「小麦色のマーメイド」以降はチャート1位こそ守りながらも、レコード売り上げは50万枚を割り込む不振が続いた。12枚目シングル「秘密の花園」では遂に30万枚台に落ち込み、デビュー以来右肩上がりだった聖子ブームは一時停滞。勢いは、猛追する中森明菜の方が完全に上回っていた。
並のアイドルならここらで「お芝居を勉強したい」、あるいは「夢だった海外留学をしたい」とか言って路線変更を模索してもおかしくないが、これしきの苦境に屈する聖子ではない。
髪型をストレートボブに変えて心機一転、YMO細野晴臣の提供を受けた「天国のキッス」で再び上昇に転じると、続く「ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES」は自身最高となる85万枚のセールスを記録。女帝の地位を不動のものにしたのだった。
このあたりの経緯は、指南役先生のエントリー
『究極のアップデート “1983年の松田聖子” を超えるアイドルは存在しない!』に詳しい。
強力な両A面シングル「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」
勢いそのままに、この年の暮れ間近にリリースしたのが「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」という強力な両A面シングルだった。今回焦点を当てるのは「瞳はダイアモンド」の方だ。何を隠そう私は、本曲こそが松本隆ワークスの最高傑作だと信じて疑わない。冒頭から終わりまで、額縁に入れて飾っておきたいくらいの美しきフレーズの数々を、順に読み解いていこう。
愛してたって言わないで……
聖子のシングルとしては初の本格的な失恋ソングは、初っ端からクライマックスを迎える。
愛して “た” というたった1文字で、これが失恋の歌であることを伝える手際の良さ。ここからAメロは松本隆得意の比喩が炸裂する。
映画色の街 美しい日々が
切れ切れに映る
いつ過去形に変わったの?……
色彩の魔術師が今回選んだカラーは、「映画色」である。もちろんそんな色は見たことも聞いたこともないのに、映写機がカタカタ鳴りながら “美しい日々” を走馬灯のように映し出す、そんな光景が自然と浮かび上がるから不思議である。さらに、
あなたの傘から飛びだしたシグナル
… で、雨の日の出来事であることを印象づける。これがあるから、サビの「幾千粒の雨の矢たち」が違和感なく生きてくるのだ。
2番に入ると、よりリアルに別れの予感が描かれる。とはいえ松本は、「別れ」だなんて陳腐な表現は使わない。そんな直接的な言葉に頼らずとも、不穏な結末を表現できてしまうのだから。
哀しいうわさも微笑い飛ばしたの
あなたに限って
裏切ることはないわって……
でもあなたの眼を覗きこんだ時
黒い雨雲が
二人の青空 消すのが見えた
漠然と抱いていた不安が確信に変わった瞬間を、空の移ろいに喩えるセンスには感服するばかりだ。
サビに注目! ヒット請負人・松本隆が綴った“ダイアモンド”
だがこの歌の白眉はやはりサビにある。タイトルにもなっている「ダイアモンド」。歌の中で3度登場するこの言葉が一体何を表すのかに注目したい。
まず最初は、
うるんだ 瞳はダイアモンド
その次が、
傷つかない心は 小さなダイアモンド
そして最後が、
あふれて止まらぬ 涙はダイアモンド
“瞳”、“心”、“涙”―― おそらくこの歌の主人公は10代か、さもなくば聖子と同年代の若い女性だろう。失恋という哀しいテーマでありながらも、松本隆はそこに生じる感情の揺らぎを「ダイアモンド」、すなわち最上の美しさに喩えてみせた。恋がとても輝きに満ちているように、若いときの失恋もまた同じくらい輝かしいのだと。
そしてこの主人公は、「♪私はもっと強いはずよ」とグッと哀しみをこらえて前を向こうとする。それまでの歌謡曲にはあまり出てこなかった、強い意志をもった女性像。まさしく1980年代的であり、こうした時世をさりげなく映し出すアンテナ感度の高さも、松本隆が世代を代表する大作詞家となった要因のひとつだろう。
ぶりっこなだけじゃない、失恋してシクシク泣いているだけじゃない。新しい時代の女性像を自ら体現するかのように、このあと松田聖子は色々な意味で世間を何度も驚かせることになるが、それはまた別の機会に。
ほろ苦く、しかし眩しい青春の1ページを最上に美しい言葉で綴った失恋の名曲「瞳はダイアモンド」は、60万枚近くを売り上げるヒットとなった。もちろんチャート1位獲得。ヒット請負人・松本隆、またしても勝利である。
※編集部より:松田聖子のシングル売り上げ推移とその考察に関して事実誤認がありましたので、お詫びを申し上げるとともに、訂正いたしました(2021.7.31)
特集 松本隆 × 松田聖子

2021.07.31