5月2日14時、六本木ヒルズのグランドハイアット。3月1日に癌のためこの世を去ったムッシュを慕う人たちが会場にあふれた。
その顔ぶれは私に「しまった、のこのこと来るんじゃなかった」と思わせるに充分で、出入り口には報道陣が鈴なりになってカメラをかまえていたのも当然だった。
ムッシュには一度だけ取材でお会いしたことがある。
ビートルズについての話を聞く仕事だった。終わって部屋を出るムッシュを見送っていると踵を返して戻ってきて、
「あなた、あの人に似てるね。あの、あの、学園祭の女王の… 」
「… 白井貴子さんですか?」
「そうそう! あなたが入ってきたとき彼女が来たのかと思ったよ!」
そう言ってにこにこと帰って行かれた。“これは言っとかなきゃ” と思われたんだろうなぁ、と想像すると今も温かい風が吹く。
お別れの会は音楽とともに進行した。スパイダースの現役時代は私はあまりに幼く、しかも子供にテレビをあまり見せない家庭だったので、曲は後追いでしか知らない。
しかしフロントマンに堺正章と井上順とかまやつひろしを擁したバンドというだけでも奇跡ではないか。ステージでの堺・井上両エンターテイナーのやり取りは拝みたくなったし、マチャアキ(あえてこう呼ぶ)の凄味も少しだけわかった。
「サマーガール」を歌ってスパイダースはステージを降り、ユーミンが出てきた。ユーミンのムッシュ愛はつとに有名だ。「ムッシュの骨は私が拾う」と公言し、自らが幹事となって60歳の還暦パーティーを大成功させた。ムッシュが好きなイヴサンローランで身を包んだユーミンは「喋ると泣いちゃうから」と言って言葉少なに質問に答え、マイクを握りなおした。
「中央フリーウェイ」はユーミンとムッシュで曲の交換をしようということになったときに書いたのだという。
ムッシュがユーミンのために書いた曲は「楽しいバス旅行」。でもそれは未完成品だったのでユーミンは自分で書いたほうをレコーディングした。ムッシュもいつかアレンジして歌いたい曲として「中央フリーウェイ」を自著の中で挙げている。
目の前で歌うユーミンは、ボーカリストは身体が楽器であることを教えてくれた。誰もが知っている名曲は間違えることができない。ハンドルを握るフリなども入れて立派に歌い終えたユーミンは、会場後方を指差し「ムッシュが来てる! ムッシューー!」と手を伸ばして目を潤ませた。
曲終わりの演出などではなく、ユーミンの目には本当に見えていることがわかった。このシーンを思い出すと今も鼻の奥がツンとする。あのCharも「寂しい」と人目もはばからず泣いていた。
ムッシュを語る人はみな穏やか、ジェントル、という言葉を使う。自分より二回りも三回りも若いミュージシャンたちとも対等に付き合っていたのを知っている。お茶目な話も多い。ベルリンの壁が壊されているときに滞在中だったロンドンから遊びに行き、塀の上で「バン・バン・バン」を歌って逃げたエピソードなど最高だ。
「敵をつくらない人だったね」と評したのは堺・井上両氏のどちらだったか思い出せないが、そんな生き方は到底できない私が日本の音楽業界の片隅でこんな風に仕事をさせてもらえているのも、60年代にGSやウエスタンカーニバルがあったからだと思う。
ありがとうございました。また、いつか。
2017.05.19
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