アイドルからシンガーへの道を歩んでいった松田聖子
「蒼いフォトグラフ」を語る前に少しだけ自分の松田聖子論のようなものを書いてみようと思う。
1980年、NHKの歌番組『レッツゴーヤング』の番組内オリジナルグループ、サンデーズの一員として彼女の存在を知り、翌年リリースされた「夏の扉」を黄色いフレアミニのワンピースで歌う彼女はとにかく眩しかった。圧倒的な声量と躍動感。揺れるレイヤードの “聖子ちゃんカット” がアイドルの象徴だった時期だ。
しかし、夢中になってほどなく彼女は変わっていく。その兆候が見えたのは、間違いなく松本隆とタッグを組んだ「白いパラソル」からだったと思う。当時中学1年だった僕が、厄介な思春期に入っていくのと同時に松田聖子は、アイドルからシンガーへ、さなぎが羽化するかのように、ゆっくりゆっくりと変わっていく。
圧倒的な表現力で捉えた女性ファンの心
「白いパラソル」の中での夏の午後の凪のようにゆったりした時間の中で垣間見せる恥じらい―― それは、3か月にも満たないインターバルでリリースされた「風立ちぬ」で、時間を行き来しながら一途な可憐さと強さが同居する大人の女性へと変わっていく。胸の奥の小さな痛みを体現するリリックに相反する楽曲を手掛ける大瀧詠一のウオール・オブ・サウンドが、堀辰雄の同名小説のような壮大な世界観に昇華していく。
松田聖子×松本隆×大瀧詠一から生まれたこのドラマティックな名曲は、彼女の独壇場を築き上げ、胸の内の小さな痛みを大河ドラマのような物語に昇華させる唯一無二の女性シンガーとしての道を歩んでいくことになる。
「風立ちぬ」の大ヒットの渦中、決意表明のように髪を切った彼女は「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「野ばらのエチュード」… と、移ろいゆく季節と水彩画のように淡い色彩の中に女性特有の機微の心情の変化を圧倒的な表現力で自分の世界として歌い、多くの女性ファンの心を捉えてゆく。
「蒼いフォトグラフ」松本隆がイメージした横浜港の赤レンガ倉庫一帯
この頃、松田聖子がニューシングルをリリースするというのは、僕が好きなアーティスト、佐野元春や大滝詠一がリリースする時と同じような期待感があった。
手が届きそうなアイドルは時差が異なるほどの遠い世界へ行ってしまったと思えたものだが、その距離をグッと縮めてくれたのが1983年10月28日に「瞳はダイヤモンド」の当初B面に収録されていた「蒼いフォトグラフ」だった。
TBS系ドラマ『青が散る』の主題歌としても有名なこの楽曲は、歌詞の中に出てくる、
港の引き込み線を
渡る時 そうつぶやいた
… とあるように、舞台は港町横浜である。作詞を担当した松本先生の述懐によると横浜港の赤レンガ倉庫一帯をイメージして書いたという。
当時この曲を聴いた時、舞台がそうだというこがなんとなく想像できた。今となっては、倉庫を改装した商業施設が鎮座する華やいだ場所だが、当時は松本先生の心象風景を意味する “風街” のイメージを想起する都市開発の影にひっそりと、時に置き去りにされた場所だった。
松本先生が青春期を過ごした風街… 渋谷、青山、麻布界隈から横浜までは1時間弱の距離だ。新宿のはずれに育った僕にとっても横浜はそれと同じで、気軽に潮の香りを感じ、異国情緒に浸れる特別な場所だった。
きっと松本先生にしてもそうだろうと勝手に思いを馳せると、このリリックの世界が僕に寄り添ってきた。背伸びしてデートする時は決まって横浜だった僕にとって、この曲は特別なものとなった。
時間の中で揺れ動く心を見事に体現
写真はセピア色に
褪せる日が来ても
輝いた季節 忘れないでね
蒼いフォトグラフ
このリリックに登場する女性は、今の「好き」という気持ちの背景を熟知しながらも、現実的に未来を見据えている。
港町横浜の景色とオーバーラップしながらも現在、過去、未来… そんな時間の中で揺れ動く心を見事に体現していた。凛とした強さの中に想い出に寄りかかる弱さも知っている主人公は女性でありながら、ここに漂う切なさに強く共感できた。
そこには、松田聖子のキャンディボイスが大きく影響されていたと思う。シンガーとしてのスタンスを確立しながらもアイドルの面影を残す甘く舌足らずな歌唱法。リリックが体現する時間の流れの中でゆっくりと行き来する情景描写、彼女ならではの表現方法がやけにリアルで永遠という言葉にも似た心象風景を心に描いてくれた。
あれから30年以上の時が流れ、輝いた季節を忘れそうなくらい忙殺された日々を送りながらも時折思い出す、“風街” 発 “横浜” の風情。十代の一瞬の思いを切り取り、今も心の奥に潜む甘酸っぱさに変わったこの歌は、あの頃感じたほのかな潮の香りと共に今もエバーグリーンな輝きを放っている。
特集 松本隆 × 松田聖子
2021.08.01