天才コメディアン萩本欽一が発揮したレコードプロデュース能力
1971年にようやく小学校1年になった自分たちの世代は、コント55号の全盛期を享受するのにはちょっとだけ間に合わなかった。坂上二郎とのコンビネーションは、『コント55号のなんでそうなるの?』や、『ぴったしカン・カン』でかろうじて見ることは出来たが、萩本欽一といえば、『スター誕生!』や『オールスター家族対抗歌合戦』の司会、ラジオから発展した『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽ドン)、お茶の間セットが組まれた『欽ちゃんのどこまでやるの!』(欽どこ)など、ソロがメインになってからのテレビ番組の方が馴染み深い。
ステージを駆け回ってコントを演じる体技型の天才コメディアンであった萩本が、プロデュース能力を発揮してゆくのは少々意外な気もしたが、そもそも二郎さんをパートナーに選んだ時点で、その萌芽は既に見られたのだ。『スター誕生!』では斉藤清六や黒部幸英を人気者にし、『欽ドン!』では前川清のトボけた面白さを引き出して “コント54号” が結成された。
『欽どこ』で往年のスター歌手・若原一郎をタレントとして復活させたのもまた然り。かつてのヒット曲「おーい中村君」のアンサーソング「あれからどうした中村君」が1977年に出された際には、レコードに “おともだち” として萩本の写真も刷り込まれた。
欽ちゃんファミリー、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」が大ヒット
80年代を迎えて、“欽ちゃんファミリー” の定義がより明確化していったのは、『欽ドン!』がリニューアルされて1981年4月にスタートした『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』の人気が大きいだろう。
ヨシオ・ワルオ・フツオ役でコントを演じた山口良一・西山浩司・長江健次によるユニット“イモ欽トリオ” のレコード「ハイスクールララバイ」が、週間チャート1位、年間で4位を記録する大ヒットとなるのである。
言うまでもなく、当時の人気アイドル “たのきんトリオ” のパロディであったが、近藤真彦を手がけていた松本隆の作詞、細野晴臣の作曲によるテクノデリックなコミックソングは、本家をも凌駕する予想外のヒットとなった。シングル第2弾は「ティアドロップ探偵団」、フツオが後藤正に交代した後に第3弾「ティーンエイジ・イーグルス」を出しており、いずれも松本×細野コンビが手がけた。
イモ欽トリオに続くよせなべトリオ、ニックじゃがあず
60年代はコント55号として、70年代はソロで、決して少なくない数のレコードを吹き込んできた萩本は、80年代になると笑いの場と同じようにプロデュースを主としたポジショニングへと移行していた。フジテレビ『欽ドン!』からはさらに、生田悦子・小柳みゆき・松居直美による “よせなべトリオ” の「大きな恋の物語」、松居のソロ「微妙なとこネ」がスマッシュヒットとなった。
「大きな恋の物語」は、欽ちゃんファミリーのレコードを多数出したフォーライフレコードからのリリースであったが、松居が所属していた日本フォノグラムからも同時リリースされるという、珍しいケースだった。
作曲はニューウェイヴの旗手として活躍したプラスチックスの佐久間正英で、氏が同時期に手がけたアイドルグループ “ソフトクリーム” には、おまけの子の役の遠藤由美子が在籍していたという縁も。
さらに、ヒットには至らなかったものの、ワルオ役の西山浩司と、悪いOL役の小柳みゆきが組んだユニット “ニックじゃがあず” のシングル「ヨロシク原宿」もあった。松本隆×筒美京平コンビの作詞・作曲、後藤次利アレンジによる本格的なサウンドで、テクノ歌謡の隠れた佳曲として知られている。
「欽どこ」からは、細川たかし、わらべ、サンドイッチ
一方でテレビ朝日の『欽どこ』からは、レギュラー出演していた細川たかしの「北酒場」があの手この手で売り出しが図られ、ヒットに至る。結果的に1982年のレコード大賞グランプリの栄誉に浴した。受賞の際に萩本がお祝いに駆け付けたのは感動を呼んだシーンであった。
さらには、欽ちゃんの娘、のぞみ・かなえ・たまえ役の高部知子・倉沢淳美・高橋真美によるユニット “わらべ” が歌った「めだかの兄妹」が1983年に大ヒットするのだ。わらべは、その後、諸事情により高部が脱退することになるが、翌年も「もしも明日が…。」が前作を上回る大ヒットとなり、1984年の年間チャート1位に輝いた。その後、第3弾となる「時計をとめて」も出している。
ほかに、小堺一機と、後にゴールインする鳥居かほりと藤井暁アナウンサーによる3人組ユニット “サンドイッチ” の「想い出して下さい」は、わらべと同じく三木たかしの作曲で、美しいメロディに癒される。男性の小堺と藤井に紅一点の鳥居が挟まれる姿を、パンと具に例えたのがユニット名の由来であった。
視聴率100パーセント男が放つ欽ちゃんバンド、不可欠だった音楽コーナー
そして、萩本が “視聴率100パーセント男” の異名をとることになったもうひとつの番組、TBS系『欽ちゃんの週刊欽曜日』からも、欽ちゃんバンドのメンバー、風見慎吾(現・風見しんご)の「僕笑っちゃいます」が1983年にヒット。リズミカルなテンポながらも哀愁を帯びた切ない失恋ソングは、吉田拓郎の作曲であった。
同年には、コニタンこと小西博之が清水由貴子とデュエットした「銀座の雨の物語」もスマッシュヒットとなる。阿久悠×南こうせつの作詞・作曲。カップリングには、バンドメンバーの佐藤B作と天園翔子によるパロディ調のカバーが置かれた。
期首編成として何回か放映された3番組の合同特番では、これらのヒット曲を披露する音楽コーナーが不可欠であったことは言うまでもない。
おめで隊、CHA-CHAも忘れるな! まだある欽ちゃんファミリーのレコード
その他、80年代後半の欽ちゃんファミリーのレコードとしては、TBS系『ドキド欽ちゃんスピリッツ』で、当時人気だった少年隊に因んで結成された3人組ユニット “おめで隊” が、1987年に「悲しきエクササイズ」をリリース。
また、日本テレビ系『欽きらリン530!!』に出演した、勝俣州和や西尾拓美らのグループ “CHA-CHA” が「Beginning」で1988年にデビューし、「いわゆるひとつの誤解デス」など複数のシングルとアルバムをリリースしている。
2021.05.07