10月28日

特別だった “1983年度の松田聖子”「瞳はダイアモンド」と「蒼いフォトグラフ」

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松田聖子のシングル「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」がリリースされた日
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ファンにとって特別な意味を持つ “1983年の松田聖子”


一冊の写真集がある。

タイトルは『のちの想いに…』。発売日は1983年8月5日、撮影は武藤義、発行元はワニブックスである。装丁(表紙カバー)は白地に、胸元まで露わな被写体のフォト。その表情は物憂げで俯き加減、髪形はナチュラルで美しい。そう、言わずと
知れた “1983年の松田聖子” がそこにいる――。

正直―― 当時、10代だった男子は書店で同写真集を見かけると、100人が100人、こう思ったに違いない。

「聖子が脱いだ!」

―― だが、それは写真集にありがちな “表紙MAX” の法則であることを、後に少年たちは学ぶことになる。

以前、当リマインダーの僕のコラム『究極のアップデート “1983年の松田聖子” を超えるアイドルは存在しない!』でも触れたが、聖子ファンの間で “1983年の松田聖子” は特別な意味を持つ。

若松宗雄と松本隆が仕掛けた、松田聖子復活のシナリオ


ただし、出だしは、かなり危うかった。2月に出した「秘密の花園」は、オリコンこそピンク・レディーの持つ連続1位記録を上回る10作連続1位の新記録を樹立したものの―― セールス自体は低迷(※楽曲自体は悪くなかったものの、少々インパクトに欠けた)。結果、デビュー曲の『裸足の季節』に次ぐワーストに終わる。正直、この時点で聖子はピンチだった。背後には前年デビューの中森明菜が「セカンドラブ」を大ヒットさせて、猛然と迫っていた。

しかし、ここから彼女は奇跡の復活を遂げる。そのシナリオは若松宗雄プロデューサーと、作詞家の松本隆サンによって巧妙に仕掛けられた。

まず4月27日―― 13枚目のシングル「天国のキッス」をリリース。作曲はシングルとしては初めて細野晴臣サンを起用した。その転調が繰り返される独特の細野メロディは圧倒的に新しく、初期・聖子ソングを彷彿させるポップで明るい曲調も好評を博した。何より、前作より髪も伸び、ストレートパーマをかけた聖子の新しい髪形は、完璧なアイドルのフォルムを形成した。今でも、天キスのヘアスタイルをナンバー1と評するファンは少なくない。

かくして、 “1983年の松田聖子” が幕を開ける。いや、正確には年度替わりの “1983年度の松田聖子” と表記した方がいいかもしれない。



アイドルからアーティストへの転機「ガラスの林檎」


そして8月1日、この年の聖子最大のヒットとなる14枚目のシングル「ガラスの林檎」がリリースされる。作曲は前作に続いて細野サン。スケールの大きなスローバラードを見事に歌い切った聖子に、評論家筋から “「赤いスイートピー」から試みたキャンディボイスが完成の域に達した” という声が寄せられる。もはや彼女は、アイドルからアーティストへと脱皮しつつあった。それを裏付けるように、ジャケットの写真も憂いを帯びた表情が実に美しく、まるで “アート作品” のようだった。

そう、冒頭に挙げた写真集が発売されたのが、まさにこのタイミングである。ナチュラルな髪形、すっぴんに近いシンプルなメイク、ほんの少し幼さを残した物憂げな表情―― それは、松田聖子史上最も美しい瞬間でもあった。若松・松本両氏が仕掛ける楽曲・ビジュアル両面の ”二正面作戦” は着実に実りつつあった。



「SWEET MEMORIES」のブレイクから続く奇跡


―― とはいえ、本当の奇跡はここからだった。それは、若松・松本両氏も予想だにしない展開だった。

まず、サントリーCANビールのCMが評判となり、急遽「ガラスの林檎」のB面曲が、両A面として10月20日に再発売されたのだ。言わずと知れた「SWEET MEMORIES」のブレイクである。作曲は、聖子の数々の楽曲の名アレンジャーでもある大村雅朗サン。そして驚くべきことに、両A面となった同シングルは10月31日、実に11週ぶりにオリコン1位に返り咲いたのだ。

さらに奇跡は続く。翌週の11月7日、松田聖子15枚目のシングル「瞳はダイアモンド」がオリコン1位に立つと、2位には前週1位の「ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES」が留まり、1・2フィニッシュ。以後、9週間に渡り、このシングル2枚は同時にベストテン入りを続けるのである。

いかがだろう。1983年度の松田聖子――。少々前置きが長くなったが(長すぎる!)、今回は、今から39年前の今日、かような奇跡の最中にリリースされた「瞳はダイアモンド」の話である。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂。ユーミンは「秘密の花園」以来、実に3作ぶりの登板だった。

本格的な失恋ソング「瞳はダイアモンド」


 映画色の街 美しい日々が
 切れ切れに映る
 いつ過去形に変わったの?

同曲もまた、前作同様にバラードだった。しかも、シングルとしては初めてとなる本格的な失恋ソング。それまでも “別れ” を匂わせる楽曲は「風立ちぬ」や「SWEET MEMORIES」でも見られたが、リアルタイムで失恋が進行するのは同曲が初めてである。その意味で、エポックメーキングなナンバーとなった。

 あなたの傘から飛びだしたシグナル
 背中に感じた
 追いかけてくれる優しさも無い

あぁ、なんと視覚的な詞だろう。1行、1行がまるで映画のワンシーンのように脳裏に浮かぶ。これがプロの作詞だ。もちろん、松本隆サンは “別れ” や “失恋” といった直接的なワードは用いない。あくまでも2人の描写の中で、そのすれ違いを間接的に表現する。

サビに込めた “ダイアモンド” に見る松本隆の冴え


 ああ 泣かないで メモリーズ
 幾千粒の雨の矢たち
 見上げながら うるんだ
 瞳はダイアモンド

サビまで来ると、もう完全に映画のクライマックスである。傘を飛び出して雨の中を走り続けるも、彼が追いかけてくる気配はない。立ち止まって空を見上げると、激しい雨の矢が瞳をうるわす―― そう、まるでダイアモンドのように。さて、ここで僕らは疑問を抱く。

「彼女の瞳を濡らしているのは雨か涙か?」

―― その答えは、都合3回繰り返されるサビで明らかになる。気丈に振る舞う現代的な女性か、あるいは――。それにしても、まさか“ダイアモンド” がダブルミーニングで使われるとは、完全に一本取られてしまった。恐るべし、天才・松本隆。まぁ、この先の種明かしまで解説するのは野暮というもの。あとは各々で考察してください。きっと、その答えに深く頷きます。それにしても、現代の日本のヒットチャートを賑わせている楽曲に、ここまで聴き手に考えさせる歌詞はあるだろうか。

ちなみに、「瞳はダイアモンド」がTBSの『ザ・ベストテン』に初めて登場したのは、1983年11月17日の2位である。この日、9位には「SWEET MEMORIES」も初登場を果たし、聖子サンは都合、2曲を歌った。初登場で同一シンガーの曲が2曲ランクインするのは、彼女が史上初めてだった。これまた、奇跡である。

ドラマ「青が散る」の主題歌で両A面に昇格


いや、まだ終わらない。“1983年度の松田聖子” の奇跡は、更に続くのである。

ほら、勘のいい方なら、もうお分かりですね。「瞳はダイアモンド」と言えば、B面曲は「蒼いフォトグラフ」―― そう、テレビドラマ『青が散る』の主題歌だ。

同ドラマ、視聴率は伸び悩むが、2世俳優ばかりを集めた異色のキャスティングや、大学のテニス部という当時流行りの舞台設定(※80年代はテニスブームでした)が若者層の関心を集め、回を重ねるごとに、そのキャッチーな主題歌も評判になった。そんな次第で、間もなく「蒼いフォトグラフ」は両A面へと昇格。新たなプレス分から、ジャケットの曲名のフォントが拡大されたのである。

そう、2作連続両A面――。それも、最初からその形態でリリースされたものではなく、まずB面曲が注目を浴び、ファンに後押しされる形で急遽両A面に仕立てられたというバックストーリー付き。もはやそれは、若松・松本両氏が当初立てた戦略の遥か上を行くものだった。これもまた、奇跡である。



年を挟んだロングセラー「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」


さて―― そんな両A面効果もあったのだろう。同シングルは『ザ・ベストテン』で11月24日に1位に立つと、年を挟んで翌1984年1月12日まで、なんと8週連続で1位を続けた。これは、聖子自身の同番組の自己最長1位記録でもある。言わずもがな、最初は「瞳~」がチャートをけん引し、ドラマが中盤に差し掛かるころから、今度は「蒼い~」が人気を博し、同シングルのロングセラー化を後押ししたのである。

そして、翌月の同年2月―― 松田聖子16枚目のシングル「Rock’n Rouge」がリリース。作詞・作曲は前作と同じ座組である。同曲はカネボウのタイアップが付いたので、リリース前からそのサビがCMで頻繁に流れた。しばらくバラードが続いていたので、聖子自身がアップテンポを要求し、その通りに明るく軽快なポップナンバーに仕上がった。

これが売れた。春色のミニスカートで明るく歌う聖子と、ディスコ調のサウンドが見事にマッチした。松本サンが書いたストレートなデートシーンは一周回ってオシャレに聴こえ、ユーミンが紡いだ珠玉のメロディはユーロ・ポップ風で新しかった。同曲はたちまち街に氾濫した。高校生はダビングテープをウォークマンに入れて持ち歩き、大学生はカーステレオにかけて大音量で流した。

え? いつの間にか1984年の話になってるって? ―― だから言ったじゃないですか。正確には “1983年度の松田聖子” だって。そう、“奇跡” の年度は3月まで。

現に、次の17枚目のシングル、1984年5月にリリースされた「時間の国のアリス」以降、聖子はそれまでの勢いに、若干陰りがみられるように――。年度が替わり、魔法が解けたのである。


※2021年2月27日に掲載された記事をアップデート

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2022.10.28
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カタリベ
1967年生まれ
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