Yes, I’m Ready / KC with Teri De Sario
70年代後半、世界を席巻した空前のディスコブームを覚えていらっしゃる方はもはやアラフィフ以上の世代なのであろう。メインストリーム音楽シーンの台風の目となった2010年前後のEDMムーヴメントどころの騒ぎではない、まさしく「空前」という言葉がピッタリだったのがディスコブームだった。
もちろん多くのディスコアーティストたちがそのシーンを彩っていたわけで、中心的存在のひとつとなっていたのがKC&ザ・サンシャイン・バンド。彼らは75年から80年にかけて5曲の全米ナンバーワンソングを含む計9曲のトップ40ヒットを輩出している。
特に、いよいよディスコブームが本格化してきた75年から77年にかけての4曲の全米ナンバーワンソング、「ゲット・ダウン・トゥナイト」(75年)、「ザッツ・ザ・ウェイ」(75年)、「シェイク・ユア・ブーティ」(76年)、「アイム・ユア・ブギーマン」(77年)は、ダンスクラシックス作品として今でも充分機能しているし、ディスコブームの代名詞的楽曲たちでもある。
実はその空前のディスコブームも79年に大ピークとなったのも束の間、ほぼ80年代の幕開けとともに潮が引くように終焉を迎えている。
この件に関してはまた別機会に詳述するとして、KC&ザ・サンシャイン・バンドは75~77年にその独特なディスコサウンドを標榜してブームをけん引するわけだが、実はシーンがピークを迎えた78~79年には一時期の勢いを失っていた。
しかし、絢爛豪華な80年代の幕開けを飾った全米ナンバーワンソングは(80年1月第1週)なんとKC&ザ・サンシャイン・バンド「プリーズ・ドント・ゴー」だったのだ! ディスコブームの終焉を迎えながらも華麗なる80年代の全米制覇のキックオフを成し遂げたのが、ディスコブームの象徴たるKC&ザ・サンシャイン・バンドだったというのは、なんたる皮肉なことか!
その「プリーズ・ドント・ゴー」はKC風ディスコサウンドではなく、普遍性を擁した典型的なポップバラードだったのいうのがこの話のオチというか、80年代を迎えたと共にディスコブームが終焉したひとつの象徴的事実ということ。
そしてこの「プリーズ・ドント・ゴー」のヒットと間髪入れず最高位2位を記録したのが、これまたポップ男女デュエットバラードの典型例ともいえるKC&テリー・デサリオ「イエス・アイム・レディ」だったのだ。
80年代が始まったとほぼ同時に1・2フィニッシュをキメたKC(&ザ・サンシャイン・バンド)、80年代の初ナンバー1及び初ナンバー2を両方獲得するという、すごいんだかすごくないんだか判断しにくい珍記録を達成している。
これ以降、84年に18位となった「ギヴ・イット・アップ」以外のトップ40ヒットを放てなかったKC。日本での共有認知度は若干低めの「イエス・アイム・レディ」かもしれないが、80年代初ナンバー2ソングの栄誉に輝く曲だったこと、日本独自のヒットとなったカセットテープのCMソング「オーバーナイト・サクセス」(83年)を歌っていたテリー・デサリオ唯一の全米ヒットということで、さすがKC、歴史に名を刻む楽曲をあだ花のごとく80年代初頭に残したのだ。
ちなみに「イエス・アイム・レディ」は、女性R&Bシンガー、バーバラ・メイソンがオリジナル(65年5位)。
2016.05.12
YouTube / waka625
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